2022年02月15日(火)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ イーグルフェザー

 

パン職人の修造 江川と修造シリーズ   イーグルフェザー

 

 

鷲羽秀明(わしゅうひであき)は東京NN製菓専門学校パンコースを首席で卒業した。

在学中は学科、実技ともに他を圧倒する実力でその名を学校中に轟かせた。

教室の中では何もせずとも楽にトップでいるそぶりだったが、心の中では絶対に誰にも自分の前を行かせまいと躍起になり、陰では人一倍パンに関する何事でも頭に入れようと努力していた。

にも関わらず、トップを走り続けていると自分は何かのエリートではないかと思える、そして自分より遥かに後ろを走ったり歩いたりしている同学年の生徒がなんだか小さな存在にしか見えず、段々不遜な性格が強く出て、小馬鹿にする態度を取ってくる鷲羽に話しかけるものは誰もいなくなった。

だが講師達はパンコンテストに出品させては賞を取ってくる鷲羽にとても目をかけていた。中には褒めそやして「君なら若手コンテストに出られるよ」と言う講師もいた。何度か言われているうちになんだかそれは未来に必ずやってくる出来事として鷲羽の心に刻み込まれていった。

ブーランジェリーホルツの入社試験に無事合格した。入社してからも野心家の鷲羽は先輩の真似をしては自分のものにしていった。

ある時ホルツのオーナー大木シェフに「今度からパンロンドの職人が奥の別室で特訓するから」と聞いてからは、やってくるであろう田所修造の事を調べて憧れを抱いた。修造の事をなんだか遠く手の届かない、ハイブランドな存在に感じていたのだ。

そしてその当日、修造と一緒に来た江川と言う若者は学校で見た誰よりも性格が頼りなく実力のない様に見えたので、一体何故こんな奴が大切にされるのか不思議で、踏みつけてやりたいと言う気持ちに駆られた。ところが足を引っ掛けて倒す様な事をやっても、いつの間にか起き上がって、なんなら自分よりも高いところから見下ろされている。

おまけに修造に凄く可愛がられていて、世界大会に出ようとしている。は?俺だよ俺だよ。お前じゃない。俺の予定を狂わせるなよ。

そう思って敵視していたその時、修造に言われた言葉がこうだった。

美味いパンって言うのはいつも食べられる当たり前の存在であってほしいと俺は思ってる。だから天候や気温に合わせて種や生地の面倒を見て良い状態で焼成まで持っていく、そうすると美味いものができるんだ。お前は江川の事をライバルで、戦わなきゃならないと思ってるのかもしれないが、お前がこれから戦うのは自分自身なんだ。お前の作ったものを選んで食べてもらう為にな。それは必ず美味いものでないといけない。形だけ勝っても意味はないんだ」

ライバルに勝とうとしているのに、本当の戦いは自分自身と?俺が俺に打ち勝つのは一体どんな時なのか。

毎度大木が出してくる課題に誰よりも良いものを出す。そう言う事なのか?

鷲羽は頭をかかえた。

何度練習して結果を出しても、最後は江川が追い越していく。

そんな折

鷲羽と江川のパン作りはとうとう他人の手によって審査される時が来た。

「次来た時、一次審査のパンを送るから」

大木は皆の顔を見ながらそう言った。

締め切りから逆算して日にちを決めたのだ。

そう聞いた途端、なんだか身体の血の巡りが早くなり瞼が痙攣する。

鷲羽は仕事中も出品する事を心がけて命を込める気持ちだった。

今までこんなにまで打ち込んだ事はない、そのぐらい。

 

 

 

配送の日が来た。

自分達の作ったパンを焼けてすぐに良いと思ったものを選んでフリーザーで凍らせた。

完全に凍るまで工場で仕事を手伝う。パンロンドから来た二人にとってとても勉強になる時間だ。そしてついに梱包をする時間が来た。丁寧に梱包して、大木が手配した配送業者に渡す。

「工芸品の様に大事な物が入ってるんだ。頼むよ」どうやらこの時のために知り合いに頼んだ様だ。大木に馴染みの配送業者は丁寧に頷いて冷凍車に積み込んだ。

「緊張するな」「はい、僕心臓がドキドキします」配送業者がパンを持って行った後の修造と江川の会話だった。

園部は黙ったままだったが、一体どんな事を考えていたのか。

冷凍で配送されたパンは会場に並べられて審査される。

さて、審査が終わり、大木が選考会への切符を受け取る選手の名前を述べた。

まずは選考会には修造が選ばれていた。

それを聞いた時修造は「ふぅー」っと息を吐き、緊張を解きほぐす仕草をした。そして他の選手の名前を覗き込んだ。「あ、北麦パン!」パン王座決定戦で一緒だった北麦パンのチーフシェフ佐々木の名前があった。他にも有名店で働いている職人の名前が二人。

「北麦パンは凄い特訓をしてるよ」大木は何かと色々知ってる様だった。

次に大木は気になる若手コンテストの選手の名前を述べた。

「江川と鷲羽が選ばれたよ。園部、残念だったがこれを機に更に飛躍する様に」

「はい」

相変わらずポーカーフェイスの園部を見て、学校時代の自分なら気にもしない所だが、鷲羽はやっと、自分と同じ立場でさっき迄同じ心配をしていた園部の心中がわかる様になってきた。

「園部ごめんな、俺、お前の分も頑張るよ」

この言葉がこの場にあってるのかどうか鷲羽には分からなかったが、何か声をかけずにはいられなかった。

「俺、この場にいて良かったよ。勉強にもなったし。応援してるからね秀明」

「うん」

人に向かって何かしらの優しい言葉をかけたのは生まれて初めてだった。

江川が「鷲羽君、入選おめでとう。頑張ろうね」と言ってきた。

澄み切った水辺に輝く宝石の様に瞳がキラキラしている。

自分には全くキラキラした所が無い。思えば自分と江川のパン作りの違いもそんな所では無いのか。ふとそんな事に気づく。

白い鳥の羽の様な、青い空に浮かぶ白い雲の様な、鷲羽から見た江川はそんな風に見えた。

鷲羽は江川の言葉に対して斜に構え少しだけうなづいた。

大木が帰ろうとする鷲羽と江川を呼び止めた。「お前達には修行も兼ねてベーカリーベークウェルのヘルプに行ってもらう、江川が次に空いてる日に鷲羽も行ってきて良い。江川、決まったらメールくれよ」

 

 

「はい」


帰りの電車で江川は修造に質問した。

「ヘルプってどんな事をすれば良いんですか?」

「そうだな。ベークウェルって五店舗ある町のパン屋さんなんだけど、そのお店がイベントとかしたら沢山のお客さんに来てもらえるからその分沢山パンがいるだろ?だから手の足りなさそうな所を手伝ったりするんだよ。店の人にに頼まれた仕込みや成形をするんだ」

「へぇ〜僕初めてです。どんなのかなあ。。それに、、鷲羽君と一緒なんですよ」

江川は不安そうに少し涙目で言った。

「それは、、頑張ってね」そこに呼ばれていない修造はそう言うしかなかった。

さて、江川は空いてる日を大木にメールした。するとベークウェルの地図と持ち物、日時を書いて送り返してきた。

大木はホルツで仕事中の鷲羽に、この日に江川とベークウェルに行く様にと言ってきた。

なんで俺が江川と行かなきゃいけないんだ。

鷲羽は心の中で愚痴をこぼした。あのキラキラした江川をずっと見てなきゃいけないのか。うんざりだ。

ベークウェルはお洒落な設計で、敷地が四十坪、店と工場は半分ずつに分かれており、店部分の三分の一はイートインスペースだ。お店にいる三人の店員さんに挨拶して中に案内して貰う。

江川と鷲羽は別々に着いてその店の店長に挨拶した。

「店長の杉野です。来てくれて丁度良かったよ。明日から三日間、開店五周年の創業祭があるんだよ。今日は二人ともよろしくな、あそこにいる塚田って子が指示してくれるから」

二人は同時に塚田を見た。

細身の塚田の制服はうす汚れていてヨレヨレしている。それがなんだかやる気のない様子に見えた。表情もどこか頼りなげだ。

塚田はぺこっと頭を下げて二人にバゲットの成形を促した。

「おい!ちゃんとやっとけよ!」塚田に罵声とも言える言葉を残して店長がどこかへ行ってしまったので、工場の中には塚田と焼成のところに三田、仕込みのところに辻と言う従業員、そして江川と鷲羽の五人になった。

 

 

「塚田さんって幾つなんですか?」と気さくに江川が質問した。

「ニ十五です。元は本部にいたんです、、こちらに来て一年目になるんですがもう辞めようと思っていて」まだ話し出したばかりなのに塚田は何故かやめる事を言い出した。

「なんで?」なんだか自分が普段目指してるものと違いすぎて帰りたくなった鷲羽が聞いた。

「それは、、」塚田はチラッと店長が出て行った跡を見た。

「あの人が嫌なの?」江川もそちらを見て言った。

「はい」

パワハラかなんかか?もうさっさと仕事をやってしまって帰ろうと決めた鷲羽は「何が修行だよ、一日損した」と呟いて突然黙々と仕事をしだした。

鷲羽の険しい表情を見て、江川はそこからなるべく遠ざかって塚田と一緒に成形しながらしつこく質問した。

「何が嫌なの?」ホルツやパンロンドにはいないタイプの塚田が珍しかったのだ。

「ここにいても何も解決しない」

「例えば?」

「おい!江川。そんなやつほっといてさっさとやろうぜ。やる気のない奴は辞めたらいい」

「鷲羽君、そんな言い方しないで」江川はオロオロした。

修造ならこんな時なんて言うだろうと考えていると塚田が言った「やる気ないわけじゃないんです」

「ならなんで辞めるんだ」要領を得ない会話に鷲羽はイライラした。

「ここには問題が沢山あるんです」と突然後ろから声がした。

仕込みをしていた女性が話しかけて来たのだ。

「あ、急にごめんなさい。塚田さんもヘルプの人達に中途半端に言わないでよ」

「ごめん」

「ここは経営者は別にいるんです。店長は目が行き届かないのをいい事にサボってばかりいて」

「注意すればいいだろ?」

「無駄ですよそんなの」

もう一人の焼成の担当三田も話しかけて来た。

「店長はすぐにキレるんです、注意なんてしたら一日中機嫌悪いですよ、それに二言目にはお前達は効率が悪いってキレてます」

「えー!嫌だなあそんなの」

「だから辞めるのか」

「それもあります」

問題を解決しないと次に入ってきた人も同じ事になるんじゃないかなあ」江川の言葉に乗せて、鷲羽は塚田に言った。「例えばお前が受験生だったとする。第一志望に受からなくて第二もダメでヂ第三なら受かった。こんなとこに入りたくなかったとずっと不満に思うか、自分がこの学校のトップを追い抜いて更に上を目指して学校の格を上げるか。要は気持ち次第だろ」

「ここって色々問題あるんだよ。例えばさ、それ、店長どうのこうのより袋の中のクリームは綺麗に使い切ろうよ。ほらこれを使うとすごい綺麗に使い切れるぞ」

鷲羽は窓拭き用の小さな四角いワイパーを持ってきて洗って搾り袋を持っている三田に渡した。

ワイパーの薄くなっている部分で搾り袋を押していくと袋の中のクリームが綺麗に使い切れた。

スケッパーって使い込んでるうちに先が凸凹してくるけどこれなら密着する。さっきから気になってたんだよ」

「ほんとだ!」

三人はしぼり袋の中のクリームが綺麗に使いきれているのを見て「へぇ〜」っと言った。

「僕もちょっと良いですか?」江川も口を挟んだ

ほら成形してるところとバゲットを乗せる板が離れすぎてて運んで置いてると形が悪くなっちゃう。近くに置いてやればいいのになんでわざわざ遠くに置くのかちょっと思っちゃいました」

「作業する時にさ、同じ事を繰り返す瞬間があるんだよ。その時に手は動かして頭の中では次にする事どころかその日の行程をすでに考えておく、するとえーととか言って次に何するかその時になって考えなくてもいいのさ、それが効率化だよ」調子に乗ってきた鷲羽の口が軽くなってきた。

「あとはこっちの仕事とこっちの仕事、どっちを優先させるか考えるのも大切だよね」

店長が殆どサボってて私達何も聞いてないので我流が多くてお恥ずかしいです。貴方達みたいなのがうちにもいたらな」三人は顔を見合わせ頷いた。

「あの、実は。。」「えっ?なに何?」三人が言う事を江川が乗り出して、鷲羽も仕方なく聞いていた。

「鷲羽君、僕たちも協力してあげましょうよ」

「嫌だよ。俺に関係ねえし」

「怖いんでしょう」

「そんな訳ないに決まってるだろう」

「じゃあお願いね」

「フン」

鷲羽は嫌な顔をしたが、江川の前で怖そうにもしていられない。

「協力しても良いけど条件があるぞ。俺をパンロンドで一日勉強させてくれよ。インターンシップってやつだよ」

「えっ」鷲羽がまさかパンロンドに来るなんて想像もしてなかった江川はどうなるか想像して足が震えた。みんなの鷲羽に対する印象はあまり良くない「お、親方に聞いておくね」

「よし!やる気でてきたぞ!」

鷲羽は勢いで乗り切る決意をして、店長が戻って来る前に時間を組み立て全員で力を合わせて仕事を片付けた。

店長が戻ってきて誰かと電話で話している。「始まりますよ」塚田が言った。「うん」二人は返事して、江川は「塚田君、電話した?」と聞いた。「はい、すぐ来るって言ってます」

そのうち納品業者が来て、店長と外に出て行った。

「よし」鷲羽は江川と二人で静かに外に出た。店の横のレンガ調ののタイルを敷き詰めた階段が下へと続いている。店長達は倉庫のある地下一階のドアを開けて入っていった。

 

 

「江川、行くぞ」

「うん」

二人がそーっと小さな窓を覗くと業者と店長が話している。そして封筒を受け取ったところに鷲羽がドアを勢いよく開けた。

「見たぞ!ワイロ受け取るところ!」

店長が、ギクッとした。

「あんた横流ししてるだろ!」

「何言ってるんだ、納品書を受け取ったところだよ」

「嘘つけ」

「何が嘘だ」

「封筒の中を見せてみろ」

店長より背の高い鷲羽は上から封筒を取り上げた、店長が取り返そうと揉み合いになりそうになり、その隙に業者が慌てて帰ろうとしたので江川が「ちょっと待って!帰らないでね。どうせ会社の名前もわかってるんですよ」と引き留めた。

と、そこへ

「そこまでだ!」と社長と塚田が入って来た。

「あ!」店長が社長を見て叫んだ。

「在庫製品を倉庫から間引きして転売していただろう!俺はずっと塚田に頼んでお前の様子を見てもらってたのさ。お前には選ばせてやる。業務上横領で訴えられるか自ら辞めるかだ」

江川と鷲羽はそれを後ろで見ていた。

「鷲羽君あれ」

「うん」

塚田が急に顔つきと姿勢がが変わってしゃんとし出したのを。

「店長、あなたはこの職場に相応しくない、指揮が下がります」

「塚田!お前裏切ったな?」

「裏切ったのはお前だ!僕はずっと不正を暴くために詳細な在庫管理をしていたんだ、続きは社長と事務所でするんだな」

塚田が社長の代わりに強い口調で言ったので社長は転売業者に「お前もな、もうすぐお前の上司がここに来るってさ」

そんな顛末を見守ってから二人は階段を上がった。

「江川、片付けて帰ろうぜ」

うん鷲羽君」

いつのまにか二人は元々二人で一組の様な感じになっていた。

 

 

「鷲羽君ってさ、リーダーシップあるんじゃない?今日カッコ良かったよ」

江川は、そう言われて照れる鷲羽の顔を覗き込んだ。

「何言ってんだよ!」

「うふふ」

二人が話していると塚田が追いかけて来た。

「変な役をやってもらってごめんね、おかげで助かったよ。月一回業者が来て商品を横流しする日が今日だったんだ。高額な物を仕入れるから怪しいって思って調べていたんだ。それに、、江川君が色々聞くからつい言っちゃったんだ」

「えっそうなの?ごめんねなんか」

「おかげで勢いでスピード解決したよ。ありがとう」

「お前辞めるなんて嘘だったのか?それとも社長のいてる本部か何かに戻るのか?」鷲羽が聞いた。

「僕、ここに残るって社長に言ってみるよ。今抜けたらみんな困るし。そうだ!まだ時間あるから今から工場を改善する方法をみんなで考えようよ

三人は口々に色々案を出しながら工場に戻って行った。

おわり

 


2022年02月11日(金)

パン職人の修造 Happy Valentine

 

パンロンドの職人さんのバレンタイン

 

Happy Valentine 律子と修造

 

今日は2月14日

仕事の帰りに修造は東南駅の横の

巨大モールの入り口にある花屋に立ち寄った。

「いらっしゃいませ、今日はどの様なものをお探しですか?」

「あの、妻が妊娠中で、あまり香りのキツくないものが欲しいんです」

「奥様にプレゼントですか?それでしたらこちらなんかいかがですか?」

修造は店員さんと色や量について決め

可愛くラッピングして貰った。

そして雑貨屋さんでレモンやカモミールなどの配合された

爽やかなテイストのハーブティーを選んだ。

アパートに帰ると律子は

グリーンのソファに座って雑誌を読んでいた。

それを見て修造は生まれてくる

赤ちゃんの事を想像してワクワクした。

妊娠中のホルモン分泌の高まりからか

律子は美しく神々しくさえ感じた。

 

 

律子これ

わあかわいいチューリップ

これ私に?

うん

ドイツにいた時

バレンタインには

男性から女性に

プレゼントしてたんだよ。

俺もいつもそれを見てて

律子にそうしようって

決めてたんだ。

愛を込めて

いつもありがとう

いつもありがとう

誰よりも大切な

俺の宝物

私こそありがとう修造

初めて見た時から

あなたの瞳を見て

本当はわかっていたわ

あなたが私の事を

好きでいてくれる事を

Happy Valentine

ずっとずっとずっと大好き

 


 

杉本と風花

 

 

あのさ風花

何?龍樹

これ勿体無くて食べられない

飾っとく

だから予備のやつない?

あるけど、、

それって正解なの?

だって可愛いんだもん

また作ってあげるわよ

毎日がバレンタインならいいのに

ばかね

 

Happy Valentine

 


 

藤岡君の毎日

 

来たわよ

 

 


2022年01月24日(月)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ スケアリーキング


2022年01月07日(金)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ Sourdough Scoring 江川

 

パン職人の修造 江川と修造シリーズ Sourdough Scoring 江川

 

 

「あっ鷲羽君と園部君!」

ベッカライホルスの別室に入るなり江川は叫んだ。

一次審査への練習もそろそろ仕上がってきた頃、いつもの様に修造と江川はホルスにやって来ていた。

入ってきた二人をオーナーシェフの大木、二十歳で同期の鷲羽と園部が見ていた。

「どうも」修造が三人に挨拶した。

「修造さん!おはようございます」鷲羽は憧れの修造に一歩近づけて、嬉しさのあまり目を爛々と輝かせている。

大木が説明し出した。

「今日から一緒に練習する事になったからな。狭いけど協力しあってできる様に無理のないスケジュールを三人で組めよ。修造は第一審査用のレシピを書いて見せろよ、詳細はここに書いてあるからな」

「はい」

修造は大木がダウンロードした審査の詳細を受け取った。そこには出品する種類毎の細かい決まりが書いてある。

修造は早速奥の事務机と椅子が置くいてあるところに行き、座ってじっくり読み出した。

「お前達三人は今日はカンパーニュを作るんだ。発酵種はうちのを使って良い。生地の具合、発酵、スコーリング、焼成のできをみる。空いた時間があったらそれぞれ工房に行って成形を手伝って来い」

「はい」

「では始めて」

江川は焦った。まだ練習中の事を鷲羽と園部の前でやるなんて!

失敗したら再びもう来なくて良いと言われそうだ。

鷲羽は大木と憧れの修造の手前、笑顔を作って「協力しながらやろうね、江川君」と言ったがとても本心からとは思えない。

顔が引き攣ったまま「うん」と言った。

その時大木に電話がかかってきた。

「あいつからだ」

大木は小声で言いながら別室から外に出て、修造達に聞こえない様に電話した。

「あぁ、言われた通りにしたよ。三人とも顔が引き攣ってるよ。うんうん、そう。揉め事が起こるんじゃないのか?別々に練習した方がいいだろ?」大木は室内を除いて、また隠れる様に話し出した。

「何?これで全員爆上がりになるって?特にあの若い子が?お前は相変わらずだなぁ。まあ、こっちも職人達の技術が上がって良いよ。そっちはどうなんだ、随分仕上がって来たって?こっちも負けてられないからな。はいはい、じゃあまたな」

あの三人にハッパをかけてドーンだな!あいつめ。

大木はフフフと笑った。

大木が指示を出したスコーリングとは本来は歯車などの損傷に関する言葉だが、この場合は発酵した生地にカミソリの刃を入れる作業(クープ)のことで、さまざまな模様がカミソリひとつで作れる。

 

三人はじゃんけんでミキサーの順番を決めて、勝った江川が初めに生地を練り始めた。

生地を作り発酵させて成形、そしてそれをバヌトン(発酵カゴ)に入れる。

「誰が誰のか間違えない様にな。それぞれ自分の生地にスコーリングしてみろ。窯は三段あるから一段ずつ使えよ」

「はい」

江川と二人が牽制しあって作業してる間、修造は椅子に座ってどんなパンにするか考えていた。

それはこんな風だった。

選考会ではバゲット、ヴィエノワズリー、タルティーヌ、パンスペシオ、飾りパンがあるんだ。

修造はその五種類を紙に書き出してペンで机をトントンと叩いた。

バゲットはパキッとエッジの効いたものにしたい。パンスペシオは味わいを大切に。

ヴィエノワズリーは色合いと種類に気を使いたいな。飾りパンは他にない、見たことのない形にしつつ、日本の文化的なものを取り入れたい。

今日は形はともかく生地の配合を考えよう。

選考会までの審査は日本人のシェフがやるんだからあまりライ麦重視に走らない方がいいだろうか。それに前回までの傾向もあるし。そこもよく考えておかないと。

大会ではヨーロッパの審査員が審査するんだから、向こうの生地も意識しつつ日本らしさを出していかなきゃならない。

そして生地のベースはよりナチュラルで、滋味に満ちた味わいのものだ。

よくよく考えて

最終的に修造はバゲットは国産小麦で起こしたルヴァン(発酵種)で、パンスペシオとタルティーヌはザワータイクを使って国産のライ麦の分量を調節して配合を書き始めた。

集中して配合を書き綴る修造の横では、いよいよ焼成の時間が来ていた。

 

   

 

一番の江川が生地をスリップピールに乗せてカットしていた。

スリップピールとは沢山の生地を窯に入れる時に使う業務用の道具で、布を張った板に生地を乗せてそのまま窯に入れ、窯の入り口に引っ掛けて引っぱり出すと布が回転して生地だけが窯に残る。

鷲羽が江川の手元を穴の開くほど見ている、そうなると緊張して、手が震えてきた。

江川は震える刃先で生地に少し強引にグイグイと真ん中に筋目を入れた。

負けるのは嫌だ、だがそう思うと余計に手が震える。

江川が窯にパンを入れたあと、鷲羽が自分の生地を並べてカットし出した。

自分と比べて刃の滑りがいいように思える。

鷲羽は長い指先で器用に6種類の基本的なスコーリングを展開した。

そして園部も。

焼成後、大木が並べられた三人のカンパーニュを審査した。

「江川、カットがガタガタじゃないか。引っ張りながらカットしたらこうなるから次から気をつけろよ。」

「はい」

鷲羽はうっすら笑いながら江川をまた穴の開くほどじっと見た。

威嚇か!江川の顔の辺りに視線が粘りついて鬱陶しい。

大木は鷲羽と園部のものには「うん、少しぎこちないところもあるがまあ良いだろう」

江川は二人のカットをマジマジと見た。

二人との実力の差が激しい。

 

 

大木がカットして三人のパンをそれぞれに試食させた。

断面を見せて「江川、断面の気泡に偏りがある、成形の時に絞め過ぎるなよ」

そして「うん、味も悪くないだろう。これが一番気泡がいい感じだね」と鷲羽のパンを指した。

「ありがとうございます」

「次の時もう一度やるから次回までに三人とも練習してこいよ」

大木の指示に三人が返事した「はい」

「江川君、次も頑張ろうね」鷲羽はまるで大根役者の様な大袈裟でわざとらしい言い方で言った。

その夜、江川はベッドに入ったが、疲れているのに頭の中に鷲羽の視線がこびりついて眠れなかった。


   

次の日の朝、杉本が出勤してきてみんなに挨拶した。

「おはようございまーす」

「いつも元気だな」

「藤岡さんおはようございます〜」

「おはよう、最近顔色も良いしなんか顔つきも変わってきたよね」

「俺ですかあ?俺今充実してるんで」

「へぇ、仕事に愛に的な?」

「俺、この中で一番幸せなんで!」

「はあ?まあ本人がそういうんだからある意味幸せで仕方ないよね」

そう言って杉本のお腹あたりを指して

「そういえば腹の当たりも福々しくなってきたよね、幸せ太りかな?」

「気のせいですよ!」

そう言われて杉本がお腹の周りを見せない様に手で隠した。

その時、後ろでガッシャーンと音がした。

「あっ!江川!」修造が慌てた声を出した。

 

 

「親方!!江川さんが倒れました!」杉本が大きい声で親方を呼んだ。

「なに〜!!」親方は飛んできて江川をひょいっと車に担ぎ込んで病院に素早く行ってしまった。

江川は倒れてしまった。

修造は自分が江川に無理をさせたと思い後悔していた。

時頃

杉本はパンに使うローズマリーを計って小さなボールに入れ棚の上に置いたが、置き方が悪く丁度修造が通りかかった時に裏返って頭の上に落ちた

カポッ!

「あっ!」杉本は背中に三筋ほどの冷や汗を垂らした「すみません修造さん!」

修造はいいよいいよのジェスチャーをしてコック帽と頭や肩についたローズマリーを払っていた。

その時親方が病院から戻ってきた。

「過労だろうってさ。病院のベッドが空いてたんでめまいが治るまで検査して入院することになったよ」

「俺、後で見舞いに行ってきます」

「うん、頼んだよ修造」

仕事終わり、五階建ての東南中央病院に来た。

江川の病室は四階の四人部屋で比較的軽症の患者が集められていた。

病室の入り口横のベッドで寝ている江川の顔を見ながら、これから先も無理をさせるだろう。でも絶対やめるって言わないだろうなと思っていた。

薄暗い病室で江川の顔を眺めてるうちに修造も疲れが出て眠くなってきた。

うとうとして江川の布団の縁で居眠りを始めてしまったが、そのことは全く知らないで寝ている江川はこんな夢を見ていた。

あ、草だ、、草原の草がザワザワと風になびいている。太陽の匂いと草花のいい匂いがする。

広がる草原、遠くに見える山々が美しく空は青い。江川は草の間を走っていた。

それは小さい頃故郷で見た景色だった。

と思っていたが、実は修造の頭にかかったローズマリーの香りがそうさせていた。

「はっ」

江川の声で修造も目が覚めた。

「おぉ、江川、具合どお?」

「僕、いい事を思いつきました。スコーリングの柄を」そう言って立ち上がろうとした。

「おい、まだ休んでろよ」

「もう治りました」

「何言ってんだ」

修造が江川をベットに戻そうとしていると、そこへ女の人が荷物と花を持ってやってきた。

「卓也、調子はどう?」

「あ、姉さん」

江川ってお姉さんがいたのか。自分のこと何も話さないから知らなかったな。江川より少し年上ぐらいかな?

「修造さん、美春って言います」

身体のでかい修造はベット周りが急に狭くなったので「じゃあ俺帰ります」と江川に目で挨拶して病室を出た。

すると美春が追いかけてきた。

「あの」

「はい」

「弟は高校生の時、三ヶ月ほど不登校だったんです。なのに急にパンロンドに面接に行って働くと決めてきた時は驚いて、随分心配したんです。でも修造さんと約束したからと言って学校にも真面目に行きだしたし、ちゃんと卒業してホッとしました。あの子が変わったのは修造さんのおかげだと思っています」

そうだった、あの時俺が面接して就職が決まった時、あいつすぐ来るって言ったから、学校は卒業する様に言ったんだ。

「電話でも修造さんの話ばかりしているから、私も初めて会った気がしません」

「そうだったんですね、実は俺、江川に会ってから随分変わりました。仕事中何も話さない事が多かったけど。毎日あいつと話ししてるうちに口数も増えてきた。江川と一緒にいると楽しいですよ」

「良かった、本当に。卓也も明るくなったって母も喜んでいます」

美春は嬉しそうに笑った。

「そりゃ良かった」

「あの子、以前は寂しかったんだと思います、父と母は別れてしまって」

「そうだったんですね」

「父親はあまり家にいない人でした。卓也はそんな父親に懐いてなかったんです。反抗ばかりしていました」

「え!あの江川が反抗?想像つかないなあ」

「笑うことなんてあまりなかったわ」

信じられない。

あんなに明るいやつなのに、、、

「俺、謝らなきゃいけない事があるんです。入院したのは俺のせいなんです。休みの日はよその店に修行に行っていて、そこでもライバルがいて気が抜けない。体力が持たなかったんです」

「それ、あの子がやりたくてやってる事でしょう?私から無理しないように言ってはおきますが、元々頑固だから多分聞かないわ」

美春は頭を下げた。

「きっと修造さんと一緒にいたいんだと思います。これからも卓也をよろしくお願いします」

「こちらこそ」と修造も美春に頭を下げて長い廊下を歩き出した。

美春はその背中を見つめながら「本当に初めて会った気がしないわ」と呟いた。

エレベーターに乗りながら修造は考えていた。

反抗的で不登校の江川か、そんなところ全然見た事ないなあ。一生懸命でいつも明るいやつなのに。

きっと俺と江川は良い相性なんだろう。安定してお互いを良い方に高めていけるようになってるんだ。

本当はこの調子で大会まで持っていきたいけど、もう無理はさせないようにしなきゃ。


江川は二日後退院してパンロンドに戻ってきた。

みんなが江川を取り囲んで声をかけた。

「おっ!江川!大丈夫なのか?もう治った?」

「親方、すみません休んじゃって」

「お前の分は修造が頑張ってくれたよ」

「修造さん、すみません」

「江川、これから辛くなったら言ってくれよ」

「はい」

はいと言ったが、江川の頭の中はライバル鷲羽との対決で頭がいっぱいだった。

その鷲羽と園部は二人でスコーリングのデザインを研究したり、先輩の生地作りや技を穴が開くほど見たりして、次に江川が来る時に備えていた。

パンロンドでは、江川はスコーリングの練習をみて貰いながら鷲羽の視線を思い出してイライラしていた。

「江川、怒りながらじゃちゃんとしたスコーリングはできないよ。ギューギュー引っ張るんじゃない」

「すみません、つい力が入っちゃいました」

鷲羽が頭をよぎる

指先がブレる。

落ち着いて落ち着いて、自分の思い描いたラインにカミソリを繊細に入れていくんだ。

「強弱を考えて。

同じラインは同じ深さと速度に気をつけて」

「はい」

「ほら、これをあげるよ」

江川は修造が使っていた2種類のカミソリのホルダーと新しいカミソリの両刃を受け取った。

 

 

それは当たり前の形でどこにでも売っているかも知れないが、江川にとって特別貴重なものの様に感じた。

修造さんのホルダー!

これ僕の宝物になると思うな。

江川はホルダーを持ってパン生地に刃を入れた。

嘘の様に気持ちよくスッと刃が通る。不思議なほど指先の震えがおさまった。

「絶対負けない。ぼく頑張ります」

江川は病院で夢に出てきた情景を忘れないように生地に刻んだ。

「おっ!これ凄いじゃないか」

修造に褒められて江川はストレスが吹き飛んだ様な気がした。


 そしてまたホルツに行く日がやってきた。

今日は修造も加わって四人でスケジュールを組み、仕込み、成形、スコーリング、焼成を行う。生地の発酵中はホルツの職人に混じって成形を手伝ったが、皆修造に色々話を聞きたかったようで話しかける者が次々現れた。

さて、スコーリングの時間がやって来た。

修造が一番にスリップピールに生地を六つ並べてそのうちの三つに持ってきたステンシルを生地に貼り付けたあと、粉を振って剥がした。ステンシルの後が綺麗に残り、そこにひと筋カミソリを入れる。

三人はそれを見ながらどんな風になるのかワクワクした。それを3種類やった後、残りの3つはカミソリのみで素早くカットを入れていった。

修造の窯入れを見た後、江川の番がやってきた。

江川も六つの生地をバヌトンを裏返して並べ、粉を振りかけていき、修造に貰ったホルダーに新しいカミソリを付けたものを滑らせた。滑らかな指の動きで理想の柄をつける事ができた。

実際に焼けてみないと出来栄えは分からないが、江川の動き自体が前とちがう事に鷲羽は焦りを感じていた。

以前編み込みパンで負けた時の事を思い出したのだ。

鷲羽も順番が来て、先輩や、今見た修造の動きを思い出しながらカミソリを入れた。なるべく同じペースを守りイメージ通りのものを意識した。江川には絶対負けたくない!何か意地の様なものが表情に出ていた。

園部はあまり二人の争いには引っかからない様にフラットな気持ちで基本に忠実にカミソリを入れた。

焼成後

四人はそれぞれのパンを並べて前に立った。

 

 

大木はひとつひとつをしげしげ見て心の中で思っていた。

うーん前回に比べると飛躍的に伸びてるな。半端ねぇ。いい刺激になるんだろうよ。昔ホテルのベーカリーで働いてた時、あいつと佐久間と鳥井とでよく練習したもんだ。懐かしいなあ。

修造のは繊細で表現力は文句ない。

江川はよく仕上げてきたものだ、修造とはまた違う繊細なカットで表現できている。

鷲羽は基本に忠実だし、園部は力強い。

「よし、良いだろう。次は全員真ん中でカットして見せてくれ」

「はい」

皆、パンナイフで真ん中をカットして大木に見せた。

「うん、修造はまず悪いところはないだろう、この調子で審査まで持っていけよ。申請書もよく書けてた。あとは飾りパンのデザイン画を描いて持って来いよ」

「はい」

「江川はスコーリングは格段にマシになってる。まだ断面の所々気泡が詰まってるから気をつけろ」「はい、気をつけます」

「鷲羽と園部は先輩のをよく見て勉強していたらしいな、その調子で練習していけ」

「はい」

鷲羽は江川のスコーリングを一つ一つ見て行った。綺麗だな。クソっ!あいついつも課題をめちゃくちゃ練習して来てる。こいつに勝てる様になんとか俺も上に立たないと。

鷲羽は江川と目があった。

そのままお互いジーッと見ていたその時。

「おい鷲羽」

「はい!」

鷲羽は初めて憧れの修造に声をかけられたので驚いて姿勢がどんどん真っ直ぐになっていった。こういうのを『直立不動』と言う見本の様になった。少し顔が赤くなってきた。

「美味いパンって言うのはいつも食べられる当たり前の存在であってほしいと俺は思ってる。だから天候や気温に合わせて種や生地の面倒を見て良い状態で焼成まで持っていく、そうすると美味いものができるんだ」

「はい」

「お前は江川の事をライバルで、戦わなきゃならないと思ってるのかもしれないが、お前がこれから戦うのは自分自身なんだ。お前の作ったものを選んで食べてもらう為にな。それは必ず美味いものでないといけない。形だけ勝っても意味はないんだ」

江川はそれを聞いて鷲羽に悟られない様に心の中で反省した。自分も形だけにとらわれていた。

なんとか上手くつくろって鷲羽に打ち勝とうと。

僕は僕自身にこれからも打ち勝って行かなきゃならない。

「誰が見ても美しく、誰が食べても美味しいもの。世界大会ってその頂点なんだよ。それが俺たちが目指してるものなんだ。その為に練習してるんだろ?」

鷲羽はさっきとは大違いの姿勢で項垂れて修造の言葉を聞いていた。なんなら縮んでいきそうだった。

自分自身!

鷲羽は自己愛が強い反面、自分が他人からよく思われてないことが多いのも分かっていた。不遜で傲慢なので女性社員からはことごとく嫌われて告げ口もされる。先輩も自分の事を可愛いとは思っていない。職場では皆に当たらず触らずにされている。気の合うのは園部だけだった。

修造に可愛がられている江川を見ただけで腹が立つ。

「なんとか努力します」

そう言ったものの、修造の言葉通りにできる気がしない。

まだまだ長い道のりを考えて気が遠くなりそうだった。

そこへ、滅多に喋らない園部が鷲羽に言った「さっきのって、江川への敵対心のボルテージをなんとか自分自身のパンへの熱量に変えろ、そう言う意味なんだな」

「ああ、できるかな俺に」

鷲羽は自分のパンを見ながらその遠くにある自分の十ヶ月後の姿を見ていた。

 

 

 

帰りの電車の中

「江川、疲れたろ?体調はどうなんだ。大丈夫なのか?」

「はい、もう平気です。姉さんに聞きました。修造さんが僕と出会って口数が増えたし楽しいって言ってくれたんでしょ?」

「そ、そうだけど」修造は照れながら言った。

「だからお姉さんに言いました、世界大会に修造さんと出るから見ていてねって」

「へぇ、親方も楽しみにしてるって言ってたよ」

「そうなんですね、絶対絶対行きましょうね」

「うん」

二人の夢を乗せてというか

運行スケジュール通りに

電車は東南駅に向かって行った。

おわり


2021年12月22日(水)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ  ジャストクリスマス


2021年12月01日(水)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ お父さんはパン職人

 

パン職人の修造 江川と修造シリーズ お父さんはパン職人

 

今日は修造の二27歳の誕生日

家族3人で仲良く夕飯の準備中。

修造はじゃがいもとソーセージにカレー粉を準備して「今日はカリーヴルストだ」と自分の好物を作ろうとしていた。

右のコンロでフライドポテトを揚げて、左のコンロでソーセージを茹でていた。

ドイツでは夕食はカルテスエッセン(冷たい食事)が定番だが、我が家ではあったかい料理も欲しい。

修造が立っているキッチンの後ろには4人掛けの椅子とテーブルがあり、そこでパンとサラダとハムとチーズを皿に盛りつけながら七歳になった緑(みどり)が隣にいる律子に聞いてきた。

「ねえ、お母さん」

「なあに?緑」

「よりってなあに?」

「より?なになにより大きいとかのより?」

「ううん」緑は首をふりながら言いにくそうに言った。

「あのね」

「うん」

「昨日紗南ちゃんのうちに洋子ちゃんと遊びに行ったらね、紗南ちゃんママがね、緑ちゃんパパは家出してたけど最近帰ってきて奥さんとよりが戻ったのねって一緒に来てた洋子ちゃんママに言ってたの」

一瞬、緑ちゃんパパって誰の事かわからなかった。

緑ちゃん

パパ

俺?

「ええっ!」

丁度フライドポテトを揚げていた修造は、驚いて網付きバットを持った自分の指に熱々のポテトを置いた。「うわっち!」

あわてて冷水で指を冷やしながら律子を見た。

律子は修造にすまなさそうに「ずっとそんな噂があるのよ。保育園のお友達のお母さんは今ではみんなわかってるんだけど、近所でもお父さんは出て行ったのねって言われてたし、小学生になってからまたその噂が再燃したみたい」

なんだか立つ瀬がなくて立ってる床が抜けそうな錯覚に陥った。

「律子ごめん」と謝るしかない。

「紗南ちゃんと洋子ちゃんも最近お友達になったから、何も知らなくて噂を信じてるのよ。私から言っておくわね」と言って早速電話の受話器を手に取った。

律子は腹を立てている様に見えた、その腹立ちは[なんとかママ]にではなく簡単に噂を信じてそれをまた尾ひれはひれを付けて広める不特定多数の人達に対する漠然としたものの様に思えた。

緑のお友達のお母さんに1人ずつ電話して丁寧に説明をした「ええ、そうなんですよ。うちの主人はマイスターになる為にドイツに修行に行ってたんですよ。オホホホ。まあ、別居といえば別居ですけれども。ええ、それではまた」

オホホホという言い方にわかったか?という裏側の言葉が見えてちょっと怖い。

そして緑に「よりを戻すってね、一度離れたけど元通りになったって意味よ」と律子は説明を続けた。

「お父さんはね、ドイツにパンの勉強をしに行っていたのよ。だからほら!」と言って壁にかけてあるマイスターブリーフを見せた。

「これはね、お父さんがドイツに行ってパンの勉強をして合格したっていう証明書なのよ」

明らかに他のポスターとは違う、価値のあるそれは緑にもとても大切なものだとわかっていた。

「それにね、お父さんとお母さんはとっても仲良しだからね」

「知ってる」

緑は修造が帰ってからというもの毎日ベタベタ仲良しな両親を見ていて他のお家もこうなのかしらと思っていたが、どうやらそうではない様だと最近はわかってきた。

「洋子ちゃんのおうちはお父さんとお母さんが、もう1年ぐらい話してないんだって、一緒のおうちの中にいるのに」

「へぇ〜」

そして緑は修造に「今度の休みの日に学校から帰ったら一緒に空手に行って。田中師範がたまにはおいでって」と言ってきた。

「勿論だよ緑!夕方行こう!」

修造はやっとこの話が終わったのでホッとした。

 

田中師範とは修造が住んでるアパートの近くの公園で知り合った空手の師範で、小学校や神社でも子供達に空手を教えている。半年ほど緑と通っていたが、修造は最近休みがちだった。

「次の休みといえばホルツに行く予定なので帰ったらすぐ行こう」

「さあ、2人とも座って!お父さんのお誕生日のお祝いをしましょう」

「はーい」

 

 


 

修造は〇〇ちゃんママ達の事をベッカライホルツに行く電車の中で江川に話した。

江川は嬉しそうに「緑ちゃんパパって呼ばれてるんですか?」と言った。

 

 

自分の想像もしない所で修造が違った呼び方をされているのが不思議で新鮮だったからだ。

「そう」

修造もそれが不思議だったが、考えてみれば誰がどの親かわかりやすい呼び名だ。苗字も名前も知らなくても子供の名前さえ判っていれば使える。

 

「さあ、今日もホルツで練習だ!」

修造はホルツに着く手前で張り切って言った。

「はい。僕この間、鷲羽君と勝負した時に6本まで編み込みパンを作ったんです。だけど思ってたより早く鷲羽君が俺の負けだって言ったので親方に習った[ぶちかましスペシャル]は使わなかったんです」

ぶちかましスペシャルってすごい名前だなあ。修造はフフフと笑った。

「一体どんな編み込みパンなんだろう」

「いつか見てもらいますね、緑ちゃんパパ」

「江川まで!やめろよ、、」修造は顔が赤らんだ。

「冗談ですよ、修造さん」

江川が楽しそうに笑いながらホルツに着くとみんなが挨拶してくれた。

鷲羽には自分から「鷲羽君おはよう」と挨拶した。

鷲羽は江川の方を見て照れ臭そうに頭をペコっと下げた。

江川に対して勝手に勝負を挑み、しかも負けた事で大木に注意を受けて、今日は大人しくしておく様に言われていた。

さて、別室で今日も第一審査に送るパンの練習が始まった。

今日は提出するパンの練習を通しでやってみる。

大木は『修造はちょっとしたアドバイスで大丈夫そうだが、江川は細かく見ておかないといけないな』と思っていた。その為捏ね上げから細かく教えていた。

大木がついていて、指導している時は良いが、1人で成形させてみると焼いた時に生地の裏がはじけて割れる。

 

「少し下火が弱かったな」

「僕まだそこがちょっとわからなくて」

「上手くやろうとして逆に締めすぎてるんだよ」大木もそう言っていた。

「はい」

「発酵も少し若めに焼いてしまったな」

「はい」

江川はまだタイミングがわからなくて悩んでいた。

こんなとこ鷲羽君に見られたらいやだなと思ってドアの外を見たが、職人たちは大木に仕事に集中するように言われていたので誰もいなかった。

ほっとしている江川に大木が釘を刺した。

「江川」

「はい」

「分かってると思うが一次審査は誰でも応募できる」

「はい」

「勿論、鷲羽や園部もだ」

「え」

「つまり沢山の職人が応募するってことだ。一回一回の練習を大切にな」

「はい!」

 


 

帰りの電車で不安そうな江川に声をかけた「パンロンドでも生地の発酵と焼く時のタイミングを学ぶ為に色んな人の仕事を見ていくといいよ。明日仕込みはやるから成形に参加させて貰って」

「はい、僕今日初めて沢山応募者がいるんだって気が付きました。もっともっと練習します」

「ライバルは多そうだね」

俺ももっと勉強しないと。自分も同じ立場なんだ。

一次審査は全国から技術の高いパン職人が大勢応募してくるだろう、それに選ばれるようにならないと。

修造と江川はそれぞれ決意を新たにしていた。

 


 

「おかえりなさーい、お父さん空手に行こう」アパートに帰ると緑が待ち構えていた。

「うん」

夕方、東南小学校の講堂でやってる田中師範の空手道場に行き道着に袖を通した。

「道着はいいな。気持ちがしゃっきりする」

修造は故郷の空手道場で黒帯だったが、今の所では白帯からやり直し、古武術も習っていて今は五級になり帯の色は紺色だ。

「師範ご無沙汰しています」

「よくきたね。緑ちゃんとヌンチャクを練習して」

修造はヌンチャク「一之型」を練習中だがそれも久しぶりだ。

習いはじめは後ろ手で掴むのも先がブレて上手く掴めない。

右で後ろ手に回したあとまた左手で掴んで後ろ手にまわすのも早くできるようになってきた所だ。

脇にヌンチャクの先を挟み素早く見えない相手を攻撃して元に戻す。回す方が掴む手より早くて指先に当たった。

「イテッ」指をさすりながらその動作を何度も繰り返し練習した。

形の動きも何度もやってるうちにスムーズになってくる。

「おっ!段々できてきた?緑」

「お父さん上手くなったね、次はこうよ」

緑は右手で掴んだヌンチャクの先を後ろに回し、左手で掴んでまた後ろに回して右手で掴んだ。

 

 

「これを繰り返して」

「はい」

修造は丁寧に小さなヌンチャクの先生に返事して何度かやってみた。ピュンピュンと回してるうちに段々とコツを掴んでくる。

「緑先生どうですか?」

すると緑は結構上手くシュッシュッと回して見せた。

「敵わないなあ」

 

鏡を見ながらやるといいな。

何度もやってると突然手がヌンチャクになじんでくる。

おっ!俺、何かコツを掴んだな。

感覚だな。あとは練習だ。

自転車を漕ぐのもヌンチャクの練習もパン作りも一度自分のものにしたらずっとできるんだ。

コツを掴む。行き過ぎは良くない、加減を知る。そして何度も練習だ。

そうだこの話を江川にしてやろう。今日は来て良かったな~

 


 

仕事中、修造が江川に昨日の力加減の話をしてバゲットの成形を見ていた。

「生地が荒れたり絞め過ぎないように力加減を調節するんだよ」

「はい」

その時配達の郵便局員が来てパンロンドの奥さんが受け取った。

「田所修造様って書いてあるよ。はい」と言って修造に茶色い封筒に入った分厚いものを渡した。

「なんだろう」

開けるとフランスパンの製法が書かれている洋書の翻訳本が入っていた。

送り主の名前も住所も書いていない。

「親方、本を送ってもらいましたか?」と聞いた。

「え?本?なんの事?」

「親方じゃなかったんですね、本が送られて来たんですが名前も何も書いてなかったんです」

「へぇ〜それは気になるなあ。他の人かもね」

「そうですね」

大木に電話した「あの、本を送って頂いてありがとうございます」

「本?どんな?送ってないけどなあ」

「え?そうなんですか?失礼しました」

修造は鳥井に電話した「あの〜本を送って頂きましたか?」

「いいや、私ではないよ」

「わかりましたすみません」

それから会う人会う人に聞いてみたが皆知らないという。

「誰なのかなあ。江川?」と聞いた。

「僕じゃありません」

「うーんわからないなあ」

俺宛なんだから読めって事なんだ。

ひとまず誰からかとか忘れて読もう。

本の内容はフランスの高名なシェフがパンの歴史や製法、作り手の心構えについて細かく書いてあるものだった。

発酵のところにメモが挟んであった。

『必ず一番良いポイントがやってくる。 その時をじっと待つ事だ』

この字、誰の字だろう。このメモの文字、、、

これって丁度江川の悩んでいるところだけど関係あるんだろうか?

本には詳しい製法が段階を踏んで細かく書いてあった。

新しい発見があり、読むたびにそうか。そうか。と納得していた。

そして何時間も本を読み耽った。

ソファに座って真剣な顔をしている修造。

緑はそれを台所のテーブルから見ながら作文を書いていた。

この作文は今度の授業参観でみんなが読む予定だった。

テーマは自分の家族について。

原稿用紙に2Bの鉛筆で書いていて、緑は思い出した事があった。

お父さんがドイツからおうちに帰ってきた時

ドゲザ

してるのを見たわ

大人のドゲザ

「律子、緑すまなかった」って

その時お母さんはお父さんの背中をさすって泣いてた。

 

 

お母さんは怒ってなかった。

お母さんはお父さんを大好きなんだわ。

それに

お父さんにとってパンを作るのはとても大切な事だったんだわ。

私はそんなお父さんとお母さんが大好き。

緑は難しいところは律子に見てもらいながら作文を一生懸命書き出した。

 

 

「修造、今度の火曜日は休みなんでしょう?」

律子が聞いてきた。

「うん」

年末でホルツもパンロンドも忙しくなるから今年はもう練習は無い。

「じゃあ緑の授業参観に行きましょうよ」

「うん」

楽しみだけど、なんとかママが沢山いるので修造はちょっと怖かった。

もう誤解は解けたのかなあ。

 


 

火曜日、緑は学校に行く時

「お父さん」

「なに?」

「綺麗にしてきてね」緑は顎のあたりをトントンと触った。

緑に厳しく言われてすぐにカットハウスに行き「とりあえずすっきりさせて下さい」と言って髪を短くして髭を剃って貰った。

 


 

学校に着いて律子と一緒に緑の教室一年二組の後ろの戸から入る。

平日だからかお母さんが多い。

〇〇ちゃんママ達は修造をチラチラ見ていた。紗南ちゃんママと洋子ちゃんママもこっちを見ている。

うっ、ただ見てるだけかもしれないのに緊張するな。

修造は誰とも目が合わないように真っ直ぐ前を向いていた。

 

 

始業のチャイムがなって先生が入ってきた。

先生が挨拶して「今日は生徒の皆さんに順番に作文を読んでもらいます」と言って順番に生徒たちに作文を読ませた。

「次は田所さーん」緑が立ち上がって作文を読み出した、

それはこんなタイトルだった。

【お父さんはマイスター】

「私のお父さんはパンロンドというパン屋さんで働いています。お父さんはパンを作るのが大好きです。大好きすぎて外国に行って勉強していました。毎年クリスマスになると民族衣装を着たテディベアを送ってきてくれました。そのあとテストがあってお父さんはマイスターになりました。そして私が保育園に行ってる時に帰ってきました。外国にいて、きっとお父さんが1番寂しかったと思います。だって日本に帰ってきて走って私達に会いにきた時、とても泣いていたからです。その時に作ってくれたクラプフェンというジャムの入った揚げパンがとてもおいしかったです。お父さんの作るパンはとても美味しいです。私も大人になったらパン職人になりたいです」

読み終わったあと、緑は修造の方を見た。

「お父さん泣いてる」

修造の眼から大粒の涙が溢れていた。

 

 

緑ありがとう。

なんて良い子なんだ。

律子良い子に育ててくれてありがとう。

パン職人になりたいのか、そうか。

そう思うと

修造は感動してまた泣けてきた。

律子はハンカチを渡してそっと修造の手を握った。

それを見ていた〇〇ちゃんママ達は緑と修造に拍手を送ってくれた。

修造はしばらくみんなから泣き虫パパと呼ばれていた。

 

おわり


2021年11月13日(土)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ 六本の紐 braided practice 江川

 

パン職人の修造 江川と修造シリーズ

六本の紐  braided practice 江川

 

こんにちは、いつも読んで頂いてありがとうございます。「パン職人の修造 江川と修造シリーズ」これまでのあらすじを親方が説明します。

 

 

よう!

俺は関東にあるパン屋のパンロンドのオーナー柚木阿具利(ゆずきあぐり)だ。俺は二十五の時に夫婦でパンロンドを開店した、その五年後、全国の高校に求人を出して色んな場所から来た学生を面接したんだ。

その中の一人に九州出身の田所修造(たどころしゅうぞう)がいた。

あいつは一言でいうと「熱い男」だ。

口数は少ないがいつも真剣にパンと向き合ってる。奴は結婚して子供が生まれた後、ドイツに修業に行きたいって言いだした。よく考えた末らしいので奥さんと子供は俺達夫婦が面倒見る事にして、奴は旅だったんだ。

5年って長いようであっと言う間だったなあ。

修造は帰ってからすぐ奥さんに許してもらって家族で上手くやってるよ。

その後若者の職人何人かを育てていて、その中でも熱心な19歳の江川卓也(えがわたくや)と世界大会を目指すと決めてきて、今度パン界の重鎮ベッカライホルツのオーナー大木シェフの所で修業をするそうだ。

さあ、今回はどうなるかな?

 

 

六本の紐

 

江川と修造は二人で世界大会に出ると約束をした。

修造はベッカライボーゲルネストの鳥井に世界大会に出ると約束した次の日、江川と二人でもう一度業界最大のパンやお菓子の展示会に行った。

そこで行われているコンテスト『パン職人選抜選考会』に出場している高い技術の職人が作ったパンを感心して眺めていると、大会の重鎮ベッカライホルツのオーナーシェフ大木が声をかけに来てくれたので、挨拶して江川を紹介した。

シェフお世話になります。彼がうちの若い子で江川っていいます。入ってまだ7ヶ月なんです」

「そう、よろしくな江川」

「こんにちは、よろしくお願いします」

「俺達いつシェフの所に行ったら良いですか?」

「そうだな、お前達次の休みはいつなんだよ」

「火曜日が休みです」

「そうか、じゃあ次の火曜日に来いよ」

「はい、お世話になります」と二人で大木に頭を下げた。

 


次の日の昼頃

パンロンドで作業中、修造が江川に声をかけた。

「江川、明日早番だろ?あれとあれ忘れないでやっといて。」

はい、あれとあれですね」毎日一緒に仕事している2人はもうちょっとした目線でも相手の考えてる事がわかる。

追加のあんぱんを成形しながら、それを聞いていた杉本が藤岡に「あれとあれってなんですかね?」と聞いた。

 

 

藤岡は、パイローラーという機械でクロワッサン用の生地を薄く伸ばして、運びやすい様に巻き、それを成形台の上に広げながら言った「俺達少しポジションが違うからわからないこともあるだろ?」

俺ずっと修造さんと組んでたらあんな風になるのかなあ」

どうかな。勘の問題かもね。じゃあ俺の言ってるあれって何か分かる?」

あれって、、、」

「そう!あれ取ってくれよ」藤岡はクロワッサンを成形しようとしている。ナイフは持っているので杉本の手元にある定規が欲しい。

えーと。。」全然分からない様だったが藤岡はわざと定規を見ない様にしていると杉本は自分の持っていた餡ベラを渡して「これですね!」と言った。

「やっぱ勘の問題だけじゃないかもね」

 


 

火曜日

今日は大木シェフの店に初めて練習に行く日だった。

修造と江川は東南駅の改札前で待ち合わせしていた。

「修造さん、おはようございます。今日はよろしくお願いします」

江川は元気いっぱいに挨拶した。

「お前その服どこで売ってるの?」

修造は江川の服装を見て驚いた

色合いもデザインもちょっと他にはない。

「僕古着屋さんとか巡るの好きなんです。ちょっと変わったのがあったら買っちゃいます」

「へぇ〜」

失礼とは思ったが江川の服をしげしげ見ながら修造は思った。

こいつかなり個性的だな。

そう言えば通勤のときの格好も結構派手な服装が多かったな。

「俺なんて白いTシャツしか持ってないもんな」

「色んな服が似合うと思いますよ。今度僕が買ってきてあげましょうか?」

「えっっ!いや~遠慮しとくよ」

そんなやりとりをしながら善田駅の階段を降り、中央口から歩いて10分。大木シェフの店ベッカライホルツにたどり着いた。

ホルツの店の前には沢山の客が並んでいて、その横を通り過ぎて従業員用の裏口を探して戸を開けた。

「ようこそマイスター!」ホルツで働く者達が威勢よく声をかけてきた。

工場で働く従業員からは歓迎ムードが漂い、修行に来た修造から逆に色々学びたい者が多かった。

10人ほどの職人が二人を取り囲み皆修造の経歴や体験を聞きたがり、その話を食い入るように聞いていた。

ここにはやる気のある人しかいないんだ。

みんなが一流を目指す意識の高い人が集まってるんだな。僕のイメージしてたパン屋さんとは雰囲気が違うな。

江川は修造を取り囲む人達を見ながらそう思った。

そして少し気後れした。

ここからしたらパンロンドってアットホームだな。僕練習についていけるかしら。

そのうちに大木シェフが奥の事務所らしい所から現れ、皆素早く元の持ち場に戻って行った。

「2人ともよく来たな」

「さあ、じゃあ早速練習場と言うかパンの学び小屋と言うか、別室があるから行こうか」大木はその別室を指さした。

「更衣室を案内するから着替えたら来てくれよ」

「はい」

その別室は工場の奥の廊下から繋がっていてガラス戸や窓からから中の様子が見える。

白い壁の小さな建物の下半分がアルミ、上半分がガラスの扉を横にスライドさせて中に入ると、中には製パンに必要な一式が揃っている。

ここは向こうの工場で作りきれない別注のパンを焼いたりするところなんだよ」

パンロンドしか知らない江川は何もかもが珍しくてキョロキョロした。

パンロンドでは親方が開店当時大枚をはたいてフランスから取り寄せた5段窯とミキサーを使っているが、ここでは国産の最新鋭の機械が揃っている。

「カッコいい」

憧れ半分、緊張がその半分、残りは修造がいる安心感。

今日は生地の仕込みを見せて貰い二人とも別々に仕込みをして、バゲットを焼くところまで練習する。

規定の同じ重さ同じ長さに成形できるか、カットした断面は美しく気泡ができているかなど。

職人達はかわるがわる修造の成形を見ていた。

焼きあがりはどんなものかも見てみたい。

 

 

みな工場に戻っては、修造の作業について理想的だとか他のやり方とは違うとか口々に言い合ったが最終的にはあの人は凄いと言うことに落ち着いた。

一方の江川は初めて通しでやってみたので中々上手くは行かない。

一つ一つの工程を大木にアドバイスを受けながらやってみたが、まず長さがバラバラで内層も気泡が大きなところと目が詰まったところがあり、外観は少しいびつだった。

それを見た職人の何人かはまだまだこれから上手くなるんだねとか、お前より下手だとか上手いとか揶揄する者もいた。

大木は江川に「まだ9ヶ月あるからこれからだな」と言ってくれた。

「今日はありがとうございました」と言って次回の約束を取り付けて工場の人達に帰りますと挨拶した時、何人かは修造にしか挨拶しない事に江川は気がついていた。

帰りの電車の中で「みんな僕が下手くそだから見切ったのかな」

と思っていた時、修造に「今日は通しでやってみてどうだった?」と聞かれた「はい、凄い勉強になりました。家に帰って大木シェフの言葉を思い出してノートに書いて復習します」

「おっ!やる気あるじゃないか」

「えへへ」

江川は東南駅の階段を降りながら「修造さんってすごい人なんですね。みんなの尊敬の眼差しがすごかったです」と言った。

「そんなことないよ、みんな物珍しがってるだけだよ」

「僕も修造さん目指して頑張ります」

「そうだな、一緒に頑張ろう」

「はい」

「じゃあまた明日」と言って東南駅の前で別れた。

帰ってからノートを書いて江川はちょっと不安になった。

今日全然ダメだったな、シェフの言うことは理解出来たけど選考会もレベルが高そうだし、勢いで出ますとか言っちゃったけど大丈夫かな?

いや、修造さんがいるから大丈夫だよね。

ホルツの職人の何人かが自分に向けた厳しい目をしてたのを思い出す。

「今度行った時も修造さんから離れないようにしよう」


次の練習の日、駅前で待ち合わせしていると修造が自転車で来た。

「おはようございます修造さん」

「あのさ、江川。親方から連絡があって佐久山さんが具合悪いから代わってくれって連絡あったんだよ。悪いけどこのまま一人で行ってくれる?」

「え!僕一人で行くんですか?」

「そうなんだよ。頑張れよ」と言って修造はそのままパンロンドに行ってしまった。

江川はとりあえず電車に乗った。

「どうしよう、不安しかないや。僕無事に帰れるかな」

今日は大木シェフから離れないでおこう。

電車に揺られながら江川は自分の無事を祈った。

 


 

ベッカライホルツには工場に従業員が8人いた。

行列のできる人気店で絶え間なくお客さんがやってきて次々と飛ぶようにパンが売れて行く。

8人が必死になってパンを作ってもまだ足りないぐらいだ。

「江川さんこんにちは」何人かの気の良さそうな職人が挨拶してくれた。

「こんにちは」

名札に北山と書いてある江川と同じ歳ぐらいの職人が「あの、実は今日大木シェフは急な会議が入っていらっしゃないんです」と教えてくれた。

 

 

「えっそうなんですか?じゃあ僕帰ります」と言って帰ろうと半分踵(きびす)を返そうとした江川の肩を、名札に鷲羽(わしゅう)と書いてある一人の職人が掴んで「まあせっかく来たんだし、僕達と一緒にパンを作りましょうよ」と言って更衣室に江川をほり込んだ。

着替えたら出てきてくださいね」と言ってドアの前で待っている。

「逃げられないようにしてるのかな」江川は怖くなった。

そして工場の真ん中に立たされて一緒に成形をしだした。

忙しいから助かりますよ」丸めたパンと綿棒を渡されて何時間か延々と生地を伸ばし続けた。

パンロンドの何倍もの仕事量を皆てきぱきとこなしている。

 

みんな凄いな、動きが正確で素早いな。

「江川さん遅いですよ」

「早くして」

それがそのうち「早くしろよ」に変わってきた。

北山が「きつく言わないでよ可哀想でしょ。イライラしないで」と言った。

「ハン!」と鷲羽は言い放ち「こんな奴が世界大会!笑わせるなあ!舐めすぎでしょ」

「まだ9ヶ月あるんでしょう。分からないじゃない」

「分かるだろ!無理だよな?」と江川の顔を覗き込んで言った。

俺と勝負して負けたらここに2度と来ないでくれる?」

江川は顔を引きつらせながら「そんな、僕1人で決められません」

「そんな事も自分で決められないって事か?」

園部と名札に書いてある職人が江川と鷲羽に生地を渡した。

それは丸められた生地が何個もバットに並べられた菓子パン用の生地で、江川に1枚、鷲羽の前に1枚置かれた。

これを使って編み込みのパンをやって貰おう!」

「僕、何回かしかやった事ありません」

「仕方ないなあ。じゃあ俺が見本を見せてやるよ」

鷲羽が4つの生地を細長く伸ばしてそれを3つ編みならぬ4つ編みパンに成形した。つ3編みパンは細長いが、真ん中は太く、端は細い方が見栄えが良いが、全て同じ太さで成形する場合も多い。

4つ編みパンも色々な編み方があるが、鷲羽がやったのはこうだ。

 

 

まず、4本の生地を細長く同じ長さ、同じ太さに伸ばし、1番上で4本を留める。

4本のうち左の生地をその隣の生地の上に持って行く、右の生地を隣の生地の下にする、真ん中の生地は右のを左にする。するとまた新たに4本の生地が並んだので同じように動きを繰り返し、最後の端まで編んだら両方の先っちょを下に入れ込んで体裁を整える。

基本は必ず次の動きの為にクロスしたところの体裁を整えてから次の編み込みの動作をする。編み込みの最中常に中心軸を意識して編んでいくと美しさが保てる。

「こんな感じだよ」

鷲羽はいくつか成形して天板に並べてラックに挿した。

「よし!じゃあ成形を始めよう、まずは3つ編みから」

鷲羽は自身満々で成形を始めた。

江川も3本の細長い生地を並べて成形しだした。

出来上がった3つ編みのパンを二人で並べて見比べた。鷲羽は問題なかったが、江川のはどうにか体裁を保っていた。

「次は4つ編みパンだな」鷲羽は張り切って成形し出した。

江川も生地をなるべく同じ長さに伸ばした。途中毎回どっちの生地が次どこに編み込まれるのか分からなくなるが、なんとかどうにか成形を終えた。各自四個ずつ成形して皆見比べに来た。

「あー、、」と江川の成形を見て残念そうな声が上がるが鷲羽の手前、別に皆「こうしたらいいよ」と言ったアドバイス的な事は何も言わない。

江川の編み込みパンは網目が詰まってるところと伸びたところの差が目立ち、その為いびつな形だった。

「よし!決まった!江川さんは今日でさよならで次からは俺が修造さんと練習させて貰います」

「そんな事勝手に決められないわよ」北山とそばで見ていた篠山も一緒になって言ってくれたが、周りの先輩達は両者の成形を見比べてやむなしと言う顔をした。

それは前回の成形と今日の仕事ぶりを見ての総合的な評価だった。

鷲羽は江川に「お疲れ様でした」と言って、また肩に手をやり、更衣室に連れて行った。

 

そのあと江川はどうやって店を出て電車に乗ったのか分からない程ショックだった。

ぐうの音も出ない、と言うか無理矢理で自分勝手で一方的な勝利でも、本人が勝ったと言えば周りもそんな感じになる。

住んでいるワンルームマンション『東南マンション』の3階の部屋に帰り、小綺麗にしてある部屋の窓際のベッドにうつ伏せになった。

今日一日の事が何度か頭を巡る。

僕ってそんなに遅くて下手なのかな。

パンロンドで修造さんに面接して貰って採用して貰ってから、ずっとパン作りを習ってきたのに同い年ぐらいの鷲羽君にボロ負けした。

僕もうやめた方が良いのかな。

その方が修造さんの為なのかな。鷲羽君、仕事も早いし成形も綺麗だったな。

江川は枕に顔を埋めて「嫌だ」と言った。

 


 

次の日、誰が見てもしょんぼりしてる江川を見てパンロンドのみんなは驚いた。

「江川、昨日何があったの?」修造が聞いても「何もありません」と頑なに教えない。

倉庫に物を取りに来た時、藤岡も材料を取りに来て「どうしたんですか?」と聞いた。

僕コンテストに出られないんだ」と小声で言った。

「何故ですか?」

「僕、4つ編みパン対決で鷲羽君に負けちゃったんだ。それで鷲羽君が修造さんの助手をするって勝手に言い出して、僕にはもう来るなって。修造さんがいない時にそんなことになちゃってなんだか言いにくいんだ」

江川のやるせない言い方を聞いてよっぽどな事があったんだなと悟った。

「そんな事で負けた気持ちになってるんですか?そいつが言ってるからなんだって言うんですか」

藤岡は続けた「俺は江川さんに頑張って下さいねって言いましたよね、そしたら江川さんは頑張るって言いました」

「でもそれは、、」確かにその時はそう言ったが、何故だろう、軽い気持ちで言った自分がバカに見える。初めの気持ちが掻き消えそうだった。

「本当にそんな事で諦めて良いんですか?修造さんは江川さんとぴったり息を合わせようとしてるんじゃないですか?他のものが修造さんと一緒に選考会に出て、勝ったらその人が大会に出ても?その時江川さんはここにいて、今頃修造さん頑張ってるかなあとか言うつもりですか?」

江川はうわーっと叫びそうだった。

「嫌だ」

「じゃあ答えは簡単です。そいつをぶち負かして下さいよ。でないと俺も立候補しますよ」

「藤岡君」

藤岡君も出たかったんだ。

「ごめんね、僕やっぱりもう一度やるよ」

「はい」

 

 

「鷲羽君に勝つよ」

江川は帰りに粘土をいっぱい買って編み込みのパンの練習を始めた

誰よりも早くそして綺麗に

誰よりも早くそして綺麗に

と、呪文のように繰り返した。

次の日、藤岡から事情を聞いた親方が「おい、ちょっと困ってるんだって?」と言って江川に気の済むまで編み込みの練習をさせた。

「段々うまくなってきたじゃないか」

親方に優しくして貰って江川は初めて泣けてきた。

「はい」

「よし!俺がぶちまかしスペシャルを教えてやる」

親方がフッフッフッと笑った。

 

 

修造はそれを工場の奥で生地を作りながら見ていて「3つ編みパンで何かあったのか?」と言った。

「ホルツにも修造さんと組みたい奴がいるんですよ」とそばにいた藤岡に言われ「ええ?ホルツの職人が?一人で行った江川に何か仕掛けてきたのか?」「その様ですよ」

 

「江川」

「はい」

「次の火曜日ホルツに行くことになってるけど」

「その日僕も一緒に行きます」

「そりゃそうだろ、と言いたいところだが、お前何かあったんだろ?」

「はい、僕その日に鷲羽君と一緒に成形しようと思っていて、大木シェフに少し生地玉を頂きたいと連絡しようと思ってます」

「鷲羽?」

「はい」

「行って大丈夫なのか?」

「はい、僕行きます、行かないわけにはいきません」

ホルツに再び行くのは3日後、江川はそれまでの間家に帰っても出来るだけ沢山練習を続けた。3つ編みは楽にできるようになり、4つ編みを練習し出した。そして。。

 

とうとうホルツに行く日が来た。

江川は修造と東南駅前で待ち合わせて、珍しく黙ったままでホルツに着いた。

「おはようございます」修造と一緒に入ってきた江川を見て皆ざわざわしていた。

何人かは大木シェフの決めたことなんだからそりゃ来るよねと思っている様だったが、他の者は江川が意外とメンタルが強い事に驚いていた。特に鷲羽は。

2人は着替えて練習場に行き、今日もまたバゲットの練習をした。

通しで仕込みから焼成までを、前々回大木シェフの行った通りやってみた。

「こないだよりマシになったな」大木は江川を見て言った。

「ありがとうございます。大木シェフ、僕行ってきます」

「おう、頑張れよ」

「はい」大木は北山達から鷲羽の話を聞いていた。なので江川の為に生地を北山に用意させていた。

江川はドアを開けて工場の中の鷲羽を見た。そして後ろ手にドアを閉めて短い廊下を歩き鷲羽の前に立った。

「なんだよ」

「僕ともう一度勝負して下さい」

北山は江川と鷲羽の前にそれぞれ生地の入ったバットを置いた。

「また3つ編みパンですかぁ?」鷲羽はやや嫌味っぽい言い方をした。

「3つ編みとは限りませんよ」

そう言ってまずは3つ編みパンを成形して鷲羽の前に置いた。

前よりは落ち着いていて綺麗に成形できている。

「おっ!ちょっとマシになってるじゃないか」

そう言って鷲羽も成形をして江川の生地の横に置いた。

どちらも甲乙は付け難い。

次に江川が4つ編みパンを成形した。

前回とは全く違う綺麗なフォルムの4つ編みパンを見て驚いた。

鷲羽も負けずに美しい4つ編みパンを成形した。

園部は正直どちらか勝ってるか答えが出せないなと思っていた。

その時江川が「まだありますよ」と言って今度は5本で編み出した。

5つ編みはじっと見ていてもなかなかどうなってるのかわかりづらい。

 

 

「うっ」鷲羽がうめいた。しかし思い出し思い出しなんとか5つ編みを完成させて横に置いた。園部も流石に鷲羽の部が悪いと思いだした。

「僕まだやれます」江川は6本を使って素早く編み出した。

そして鷲羽の目の前に置いた。

「くっ!」鷲羽は悔しそうにしながら見よう見まねでやり出したが途中わからなくなって動きが止まった。

「僕の勝ちですね?」

仕方ない「ああ」と鷲羽は言わざるを得ない「俺の負けだ」

「ほんとですか?7本目は流石に分かりません」

江川はホッとした「じゃあ僕が修造さんと一緒に大会に出ますからね」

まだ一次予選も通過してないのに江川は大きな事を言ってると自分でも思っていた。

それを横開きのドアの向こうから大木と修造が「へぇ〜っ」と感心しながら見ていた。

 

 

「やるなあ江川Sechsstrangzopfじゃないか」ドアの向こうの修造に気付き、さっきまでの表情と違い江川は晴々とした笑顔を浮かべていた。

 

おわり

 

六編みパン=Sechsstrangzopf(セックシュトラングツオップフ)

 


2021年10月23日(土)

パンの小説の一覧を作りました

 

パンの小説の一覧を作りました。

ブログの表示が5つのお話までしか掲示されないので一覧をこちらに作りました。

よろしければ下にある一覧から好きな話を探して見てくださいね。

パンと愛の小説シリーズは様々なパンの世界について筆者が見たり聞いたりした事を元に、書いたり描いたりした挿し絵付き小説で、主にパン職人の修造という人物を通して見ていっています。

目力の強いパン職人の修造の話は今のところ6部まで出ています。結婚してパンマイスターになって世界大会に挑戦したり、もっともっといろんな事を体験して貰います。

江川と修造シリーズは修造が修行先のドイツから帰ってきて江川をパンロンドで面接したところから始まります。引きこもりで不登校だった江川は修造の弟子っこになり、やがて色々な経験を経てナイスなパン職人になっていきます。

イラスト付きでわかりやすく、電車の中ですぐ読める感じになっていますのでぜひお楽しみ下さい。どんどん更新していくのでたまに覗いて見てくださいね。

 

新作↓

江川と修造シリーズ フォーチュンクッキーラブ 杉本Heart thief

gloire.biz/all/4415

やっと職場に慣れてきた杉本。一緒に仕事している店員の風花に危険が迫る!その時杉本は、、、

 

江川と修造シリーズ 背の高い挑戦者 江川 Flapping to the futureはこちら

gloire.biz/all/4365

修造と江川の務めるパン屋パンロンドにNNテレビがやって来た!

みんな頑張って!その時修造は、、、

 

ハートフル短編小説 アルバイトの咲希ちゃんはこちら

gloire.biz/all/3705

東南駅と学校の間にあるパン屋のパンロンドでアルバイトをはじめた高校2年の咲希ちゃんでしたが、、、

 

江川と修造シリーズ 催事だよ!全員集合!江川Small progressはこちら

gloire.biz/all/4249

このお話は進め!パン王座決定戦!の続きです。催事を通じて少しずつ成長する若手の職人達のお話です。パンロンドにイケメンの仲間がやってきましたが実は、、、

 

江川と修造シリーズ 進め!パン王座決定戦!後編はこちら

gloire.biz/all/4129

パン王座決定戦!前編の続きです。 修造はNNテレビのパン王座決定戦で強敵のシェフと戦う事になりましたが。。

 

江川と修造シリーズ 進め!パン王座決定戦!前編はこちら

gloire.biz/all/4009

新人の杉本君の続きのお話です。親方が修造をパン王座決定戦に出てくれと言ってきました。その時修造は、、

 

 

江川と修造シリーズ 新人の杉本君Baker’s fightはこちら

gloire.biz/all/4056

江川To be smartの続きのお話です。パンロンドに新人の杉本君が入ってきましたが、、、

 

江川と修造シリーズ 江川To be smart はこちら

gloire.biz/all/3940

江川が15年前パンロンドの面接で修造と出会った時のお話です。

修造は一風変わった面接をします。。

 

製パンアンドロイドのリューべm3はこちら

gloire.biz/all/3877

30年後の未来、アンドロイドはとうとうパンも作ってくれる様になりました。利佳はアンドロイドと仕事をする決心をします、その理由とは。

 

パン職人の修造第1部 青春編はこちら

http://www.gloire.biz/all/3032

パンロンドに就職した空手少年の修造は運命の人に出逢います。そして、、

 

パン職人の修造第2部 ドイツ編はこちら

http://www.gloire.biz/all/3063

修造はパンの技術を得るためにドイツに向かいますが、、、

 

パン職人の修造第3部 世界大会編はこちら

http://www.gloire.biz/all/3065

江川と出会った修造は2人で世界大会を目指します。

 

パン職人の修造第4部 山の上のパン屋編はこちら

http://www.gloire.biz/all/3073

律子と2人で念願のパン屋を開きますが、、

 

パン職人の修造第5部 コーチ編はこちら

http://www.gloire.biz/all/3088

江川の為に世界大会のコーチを引き受けますが、、

 

パン職人の修造第6部 再び世界大会編前半はこちら

http://www.gloire.biz/all/3100

世界大会の為にコーチとして江川や緑と色々と作戦を練りますが、、

 

サイドストーリー江川と修造シリーズ ペンショングロゼイユはこちら

http://www.gloire.biz/all/3748

世界大会前編の始めに東北のお祭りに行った後のサイドストーリーです。

世界大会のアイデアを練る為に江川と東北に行った帰り道、泊まったペンションで修造が会った夫婦は、、、

 

パン職人の修造第6部 再び世界大会編後編はこちら

http://www.gloire.biz/all/3596

世界大会が終わった後修造は、、

この後もまだまだお話は続きます。

 

このお話を書いたきっかけ。

昔々グロワールの近所にパンマイスターのお店があって、うちの先代が「マイスターのお店があるから行ってみ。」と言いました。私はその時はマイスターって聞いたことあるけど何なのか知りませんでした。

お店に入るとご夫婦がお二人で経営されていて、ショーケースがありました。当時(今も)無知だった私はどれがドイツパンかもわかりませんでしたが、記憶では日本の菓子パンもあった様に思います。

入り口の横に燦然と輝くマイスターの証が飾ってありました。今はもうぼやけた思い出ですが、今にして思えばなんて勿体無い事をしたのでしょう。もっと行っとけば良かった!お店はいつのまにか無くなっていました。

推測ですが戦時中にドイツに渡り紆余曲折あってマイスターの資格を取り日本に戻ってこられたのではないかと。そして日本にドイツのパンを広めるはずだったのに、当時はやはり菓子パンや食パンが主流で、しかも「白くてフワフワ」というワードがもっとも信頼されていた頃です。

推測ですが、色々悩まれたのではないかと思っています。あぁ〜今やったらパン好きの人達に紹介して記事を書いて貰うのに。そしてそれを読ませて貰うのに!

当時はSNSも無かったし、私も価値が分からずにいたと思うと口惜しいです????

そんな気持ちがくすぶっていてマイスターについて色々調べ、今では価値のある存在って十分わかっております。

修行は長く、様々なお辛い事、そして楽しいこともあったと思います。

パン職人の修造第2部ドイツ編にはそんな思いが込められています

世界大会については、審査、選考会、世界大会の順に勝ち進んでいくのですが、調べていくにつれ、色んな選手の方が色々な事を調べて作ってらっしゃるのがよくわかります。時間内にタルティーヌやクロワッサン、バゲット、スペシャリテ、芸術作品などをを作らなければいけません。とても技術を要し、過酷なものと推測します。

大会で修造が作ったパンは調べあげた末、誰とも被らないようなものを作ったつもりですがもしもモチーフが被った場合はご容赦下さい。その他の一般でも販売可能なパンに関してはこんなに沢山の種類やパンがあるんだとわかって貰えるようになるべく色んなパンを紹介することもあるかもしれません。

世界大会には選手と助手(コミ)の2人が出ます。そして会場ではブースの外からコーチが色々指導したりします。素晴らしいコーチと助手と選手の熱い思いが燦然と輝くのです。

今後も修造の話は続きます。

応援お願いします。

 

ここに出てくるお話はフィクションです。

実在する人物、団体とは一切関係ありません。

パンと愛の小説

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2021年10月22日(金)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ フォーチュンクッキーラブ 杉本Heart thief

パン職人の修造 江川と修造シリーズ

フォーチュンクッキーラブ 杉本Heart thief

 

 

催事で頑張ってカレーパンを揚げた杉本は最近は親方に焼成を教わっていた。

成形後ホイロというパンを発酵させる機械の中から出てきたパンを焼く。

「タイマーが鳴ったら出すんじゃなくて、それは目安として焼成のパンの色をよく見てね」

「はい」

それを工場の奥から見ながら江川は「以前はあんなに反抗的だったのに杉本君すっかり変わりましたね。真面目になった感じでしょうか」

と先輩の修造に言った。

 

「だな」

修造は普段あまり話さない。

幼い頃は無口な修造と呼ばれていた様だ。しかし頭の中はもうすぐ行われる選考会へのチケットをゲットできる一次審査のことで頭がいっぱいだった。いつも集中すると他のことが目に入らない。その間何も話さない事が多くなる。

ところで江川と修造は世界大会を目標にして大木シェフに面倒見てもらえることになった。パンロンドの定休日に大木の都合が合えば来ても良いと言われている。

今日はパンロンドの近所の神社でお祭りがあるのでちょっとした余興の為に江川と2人でフォーチュンクッキーを作っていた。そして出来上がったフォーチュンクッキー用の薄いクッキー生地がのった天板を杉本に回した。

「杉本フォーチュンクッキーって知ってる?」と修造が聞いた。

あ!聞いたことあります!見たこと無いけど」

 

フォーチュンクッキーは中におみくじが入っている薄い小さいクッキーで、中の言葉は様々だ。格言や予言、恋占いなど。

アメリカのフォーチュンクッキーは粋なジョークが書いてあるものが多い。

「これだよ。瓦焼きみたいな薄いクッキーに占いやおまじないが書いてある紙を挟んで折るんだ。来たお客さんに配るから焦がさない様に軽く焼いてね」

「はい」

薄い生地を軽く焼いたあと直ぐに占いの書いてある紙を真ん中に挟んで容器のヘリで曲げる。

杉本は出来上がったフォーチュンクッキーをひとつ割ってみた。

中に細長い小さな紙が入っていて「恋する予感」と書いてある。

おー!恋する予感だって!誰かなあ?風花ちゃん?」と店で焼き菓子を包んでいた二つ歳上のパートの横山風花に言った

風花はすぐに

「違うと思う」とキッパリ言った。

「早く焼けたパンをトレーに入れて出してよね。何回言われたらわかるのよ」拒絶された上に厳しく言われて杉本は苦笑いして「はーい」と言われた通りに急いで品出しした。

焼成はパンを焼くのが仕事だが昔から「焼きが八割」と言われていて、失敗すると仕込みと成形の工程が無駄になる非常に大切なポジションだ。その焼き加減によって見た目は勿論中の水分量などが変わり食感に影響する。なので親方は杉本に温度やタイマーの設定を丁寧に教えていた。

杉本は高校を途中で辞めてボクシングジムに入ったが挫折してパンロンドに入った。

挫折したとはいえ、体力作りをしていただけあって力も強く持久力がある。

難点があるといえばガサツで軽率、この二つだろうか。

親方は自然に振る舞いながらパンを手荒く扱わない様に、良いタイミングを待たずに早急に焼かない様にコントロールしていた。

「風花ちゃんこれ、お客さんにひとつずつ渡してね」奥さんは焼けたフォーチュンクッキーを可愛いカゴに入れて、レジでパンを買ったお客さんに渡す様に言った。

フォーチュンクッキーを選んで受け取ったお客さん達は皆中を開けて「あ!夜道に注意だって!」とか「こっちは片想いが実るだって!」などおみくじクッキーの様々な文言を楽しんでいた。

風花は「奥さん、私もひとつ貰って良いですか?」と聞いた。

ええ良いわよ、なんて書いてあるの?」

 

「はい、盗難注意でした。私って色気ないからおみくじも色気なかったです」と笑って言った。

「色気なくなんてないわよ。こんなに可愛いのに。着物でも着てお祭りに行ってごらんよ。みんながついてくるかもよ」

奥さんの励ましの様な言葉を聞いて部屋の箪笥の中の秋浴衣を思い出した。

今日友達と久しぶりにお祭りに行くからお母さんに着せて貰おうかな。

風花は家に帰って母親に藍色の秋浴衣を着せて貰った。

浴衣より少し厚めの紺色の生地に桔梗が描いてある大人っぽい柄の着物に、淡い紅色の帯と髪留めをあしらった。黄色いバッグに白い足袋と赤い鼻緒の黒い下駄を履いて出かけた。

友達と神社の前で待ち合わせて四人で歩き、色々な屋台を見てお祭りを楽しんでいるうちにふと子供の頃の心に帰り少し楽しい。

お祭りの屋台の黄色い灯りが揺れている横をみんなで歩き、ヨーヨー釣りをした。

みんなでユラユラポンポンとヨーヨーを持ち歩いている時、仕事帰りに自転車を押してお祭りを見始めた杉本と藤岡に会う。

「あ!風花!」

いつもの自分に向けられる厳しい表情と違い、ゆったりとした笑顔で浴衣姿の風花を見て杉本はキュンとした。

杉本達は人混みの中押していた自転車を道の端に停めた。

が、風花は杉本を無視して「藤岡さんお疲れ様です」と挨拶した。

風花の友達も藤岡を取り囲んで「同じ職場なんですか?」とか「こんなイケメンのパン職人っているのね!」とか藤岡を質問攻めに合わせた。

何を聞かれても爽やかにしか答えない藤岡のソツのない言い方がちょっと羨ましい。

あーあ、、同じ人間なのになんでこうも違うんだ。

俺もなかなかのイケメンなのに。

そう思っていると「はい、これあげるわよ」と言って風花がヨーヨーを渡してきた」

 

「ヨーヨー、、久しぶりに見たな。大人になるとお祭りも中々来ないなあ」

「大人って誰の事よ」

「え?俺ですよ俺!」

その時辺りから屋台の焼き鳥の香ばしくて良い香りがしてきた。

「腹減ったな〜、焼き鳥食べようよ」

「良いわよ」

「藤岡さん、俺達あっちに行ってますね」

「うん」

と言いながら藤岡は風花の友達三人と反対側に歩き出した。

どうやら何かを見に行った様だ。

杉本はいい匂いのする焼き鳥を四本買った。

「ほらこれ」

「ありがとう」

二人は屋台と屋台の間の二メートルぐらいの隙間に立ち、祭りで行き交う人達を見ながら食べていた。

風花は着物を汚さない様にしながら片方の耳に髪の毛をかけて少し前のめりに焼き鳥を口に運んだ、その様子に少し見とれていたら

ちょっと口が開きっぱなしよ!」と叱られた。

「え!」

「もう、だらしないわねぇ!口元をキュッと結んで!」

「えへへ」と誤魔化しながら話を変えた。

「風花はなんでパンロンドに入ったの?」

「パンロンドって私が中学ぐらいの時にできて、それからは毎日パンロンドのパンを食べていたの」

「パンロンドって確か出来て十年目ぐらいだもんね」

「毎日沢山の人が店に来て、その人達はみんなパンロンドのパンを食べながら家族で話をしたり、急いで食べて仕事に行ったり、帰ってきて晩御飯の後でちょっと食べたりして、生活に溶け込んでる。」

「うん」

「そういう存在ってとても大切なんだわと思って」

それで入ったの?」

「そう、自分もそれを提供する側に立ちたかったの」

「しっかりしてるなあ、俺なんかパンロンドに連れて来られたんだ。だから全然やる気なかったけど、修造さんに鍛えられてちょっとだけわかってきたかな〜」

「修造さんって怖くない?目つきが鋭いわ」

「始めはめっちゃ怖かったけど、あの人はパンに対して真剣なだけなんだよ。言ってる事当たってるし」

「江川さんと修造さんって世界大会に出るんでしょう?」

「なんか飛び抜け過ぎてて俺はついていけないなあ」

「そんな事言ってないで!明日も頑張るのよ!あんたがあの二人の穴埋めをしなきゃ」

「無理だろそれ」

杉本が笑って誤魔化していると藤岡達が楽しそうに戻ってきた。

「風花見てこれ、藤岡さんが全部とったのよ!凄ーい!」見ると袋にパンパンのスーパーボールが入っていた。

「凄い」

藤岡は「ほら、これあげるよ」と言って杉本に持たせた。

帰り際、ヨーヨーと袋いっぱいのスーパーボールを持ち自転車の前カゴに入れながら「俺が満喫したみたいだな」と呟いた。

次の日

杉本は親方にバゲットのカットを習っていた。

カミソリ刃ホルダーの先に両刃のカミソリをつけて、よく切れる刃先でフランスパンをカットする。それを窯に入れて蓋を閉め、スチームのボタンを押すと、ブシューっと音を立てて蒸気が出て、生地全体が蒸気に包まれる。パン生地はカットしたところから上に横に広がり膨らんでやがて色づいていく。

窯から焼けたバゲットを取り出すとき外の空気が触れた外皮が縮んで割れてパリパリと音がする。

「この工程楽しいですね」

「このパリパリいう音は天使の拍手とか言うんだよ」

「へぇ〜」

「はい、バゲットあがりましたよ」

風花に叱られないうちに縦長のカゴにバゲットを入れて持っていった。

「はい、風花ちゃん」

一瞬目があったが、風花は黙って受け取り店の真ん中のテーブルに置いた。杉本はその背中を少し見つめてまた戻ってきた。

それを見ていた親方が思い出話を始めた。

「修造はね、今は奥さんの律子さんがパンロンドに入ってきた瞬間から夢中になっちゃってね。それを俺にバレてないと思ってたみたいだけどあいつずっと店の方見てんだよ。」

「ハハ、バレバレですね」

「付き合い出した頃なんて、修造が律子さんにベタベタで仕事が手につかなくてね、律子さんがとうとう仕事変わった程だったんだ」

「信じられない!あの修造さんが、、」

あいつ俺が律子ちゃんって呼んだら本気で腹立ててたから律子さんって呼んだりしてたな。」

「親方にヤキモチを?」

「ドイツに行ってる間律子を頼みますって頭下げられて、これでもし何かあったら俺は殺されると思ったね」

「無事でよかったですね!」

暴れる修造を想像するとゾッとする。

「ま、全ては出会い、出会いはチャンスって事だよ、な!」親方が出会い系アプリのキャッチコピーみたいな事を言った。


一方その頃、店の外から様子を伺ってる男がいた。その男は30代前半ぐらいで黒いスニーカー、青いジーンズ、白いTシャツに黒いブルゾン、紺色のキャップを真深に被っていた。

その男は目立たない様にパンロンドに入って来た。

いらっしゃいませ」

焼き立てのパンを店内に並べながら風花が言った。

そしてまたパンを並べ始めた。

丁度フランスパンの出来立てが並ぶ時間で、沢山の種類のパンをカゴに盛り、値札をつけていた。

その男はいつの間にか帰り、しばらく店でパンを並べるのに集中していた風花を見て奥さんが叫んだ「わ!風花ちゃん!背中どうしたの?!」と言った。

 

「え?!」風花は背中の事なので気が付かなかったが、ジュースのストッカーに写った自分の背中を見て「あっ!」と叫んだ。

制服の白いTシャツの右の肩甲骨あたりから左斜めに向かって十五センチほど切れている。

「いつのまに!引っ掛けたんでしょうか?」

「そうなのかしら?代わりの服を持ってくるわね」

奥さんが倉庫から新しいユニフォームを持ってきて「ほらこれ着替えてきて」と言った。

「はい、すみません。気をつけます」

風花がTシャツを着替えて「これ、どうましょう?」と聞いてきたので「私が縫って使うわよ」と言った時、奥から騒ぎを聞いていた修造と杉本が「見せて」と言ってその服を見た。

「さっき見た時は切れてなかったなあ」

「随分鋭利なものでスッと切れてますね」

「何かに引っかかったならこんな切れ方しませんよね?切り口がギザギザしますもん」

店にそんな切れ方するところがないもんな」

誰か変な人は入ってこなかった?」

「それが全然見てなくて」と風花が言うと、奥さんが「何人かお客様がいらっしゃったけどそんな怪しい人いたかしらね」と首を傾げた。

修造は風花に「お店っていうのは不特定多数の人が入ってくるんだ。こちらは何も知らなくても向こうは何かしら思って入ってくる時もある。ほとんどの人が普通にパンを買いに来ている、でも、中には敵意を持ってきたりする人もいる。それが露わになってる時はわかりやすいが、隠し持ってる時は中々わからない。笑顔でお迎えして挨拶する瞬間にどんな表情か見ておくと良いよ」と忠告した。

「わかりました」風花は目つきが鋭い修造が怖かったが、アドバイスはなる程なと思った。

たしかにお店にいるとどんな人が来店するかは顔を見るまでわからない。

とは言え敵意を隠し持ってる人なんて分からないかも。

修造は切り口を見ながら「これって誰かが切ったとすると、ナイフって切る時は刃の腹の部分で切るか突き刺すかになる。カッターなら先でこんな風にスッと力を入れずに切ることができる。多分カッターですよね」

「え!怖い」

「しばらく店に出ないで中で働かせて貰ったら?それで何もなければ良いし。気をつけるに越した事は無いよ」修造は杉本の方を向いた。

「念の為帰りは家まで送ってってやれよ」

風花が自分の事を怖がってると薄々気がついていた修造は杉本に言った。

「はい、無事に送り届けます!」杉本が張り切って言った。

そしてその帰り道

二人で歩きながら

杉本は風花に聞いた。

「何か身に覚えのある事は無いの?」

「カッターの事?いいえ全然無いわ。でもカッターで切られたとはまだ決まってないわよ。私全然わからなかったの」

「店でなんかおかしな事があったらすぐ呼んでよ」

「私今日は店に出なかったから明日もそうなると思う」

「その方が良いよ、風花が可愛いから狙われたのかも」

「そんなわけないわよ可愛くないもん。私何かしたかしら恨まれるような事」

杉本は可愛くないもんと言う風花の言葉に何言ってんだという表情を浮かべながら「やばいやつなのかな?まあ店と工場の間で俺を手伝ってくれたらいいよ」と言った。

「厚かましいわねホントに」

笑い合う二人を離れた所からつけてくる男に杉本は全然気が付かなかった。


風花はしばらくの間、店と工場の間で働いていたが店も平和だし、別段何も起こらなかったので奥さんに言った。「あの、多分あれは何かに引っ掛けただけかもしれません。もう大丈夫と思うので、前みたいにお店で品出しします」

「わかったわ、でも気をつけてね。何かあったらすぐ呼んでね」

はい」

風花は顔は怖いが心の優しい修造の言葉を思い出して、笑顔でお迎えしながらお客様の表情をよく見ていた。

たしかに色々な気分でパンを買いに来る人達がいるんだわ。

イライラしていて急いでる人もいるし、逆にゆったりと買い物して店員と話がしたい人もいる。そうだわ、そんなお客様には自分から話しかけよう。

お昼頃、風花は以前のようにフランスパンの焼き立てを並べていた。

色んな種類のパンをカゴに入れて値札をつけていく。

「いらっしゃいませ」

入ってきたお客さんの表情を見た時「あっ」と思った。紺色の帽子を目深に被って風花を一瞬見た。

年齢は三十ぐらいで身長は百七十センチぐらいの男だ。

風花はこの人かも知れない!と思ったがまだわからないのでわざと背中を向けて意識を背後に集中してみた。

するとそのお客さんはトレーとトングを持って店をゆっくりと一周してから段々風花の背後に近づいて来た。

なんだか背中がピリっとする。

後ろに立ったわ!

そう思った時

カチッ

とカッターの刃を出す時の音がした。

 

 

 

振り向くと風花に向かって刃の出たカッターを向けていた

キャー助けて!」

不思議なものでこんな時は練習しなくても高い声が出る。

声を聞いて杉本が飛び出してきた。

「なんだー!」男は杉本の声に驚いて逃げようとした。

奥から出てきた杉本に慌ててトングとトレーを投げつけてきた

「うわ」杉本がそれを避けた隙に男は店から飛び出して行った。

「待てーーっ!」

商店街を駅と反対の方向に走っていく男を追いかけて行くと、三十メートル程離れた所に停めてあった自転車に急いで乗って逃げ出した。

「準備してたのか?」

自転車はグレーともグリーンとも言えないくすんだ色合いで、荷台は黒い。

荷台はサドルの後ろに取り付けられた薄い板の様な形で、一番後ろに赤いライトが付いている。

杉本はその荷台の赤い丸を目掛けて商店街の中を倍の速さで走り出した。

 

 

男は買い物客を避けながらグングン進んでいく。

あっ右に曲がったぞ!

杉本も右への道に走って行った。

道は徐々に住宅街に入りどんどん幅が狭くなっていく。

その先には小川があってザラザラしたコンクリートの橋を越える時もう少しで荷台に手が届きそうになったが手がちょっと触れただけで杉本は失速した。

はあはあと肩で息をしながら橋の一番盛り上がった所に膝をつき、遠ざかる自転車が行く先を見ていた。

自転車はその先の古びたパーマ屋を左に曲がった。

杉本はしばらく息が上がりそのまま立てなかった。

「疲れた」と呟きながらトボトボと店に戻ると警察が来ていた。

お巡りさんにどんな感じだったとかどこで曲がったとか伝えた。

風花はお巡りさんと警察署との連絡の無線で「マルガイ」と呼ばれていて、これって事件なんだと思って怖くなった。

お巡りさんは二人で来ていて、事情をみんなに聞いた後「何かあったらすぐ110番か最寄りの警察署に電話してきて下さい」と言って帰った。

風花は杉本に「ごめんね、お巡りさんとの話を聞いてたわ。相当走って追いかけてくれたのね」

「もうちょっとだったんだよ」

杉本は悔しがった。


家に帰ってから風花は今日の事を母親に報告した。

「あんた狙われてるんじゃない?パンロンドにはもう行かない方が良いわよ」

母親は心配してそう言ったが風花は杉本の事が頭に浮かんだ。

「いいの私パンロンドが好きだし、守ってくれるわ。きっと」

それに自分を守るのは自分なんだし、明日からも気をつけて生きよう。

今日の事に限らずこれからも色んなことがあると思うし、気をつけた方が良いに決まってる。


次の日

パンロンドは定休日なので杉本は自転車に乗り、あの古びたパーマ屋を曲がってしばらく道なりに走ってみた。

右に左に道が広がっている。

うーんどっちだろう?とにかくあの自転車を探さなきゃ。

パーマ屋から西に伸びていく道の周辺を隈なく見ていく作戦で自転車を走らせた。

グレーの様なグリーンの様な車体で荷台が黒で先に赤いライトが目立つ物がないかじっくり見ていった。

ふぅ、疲れたな。初めの道から随分遠くへ来た。

コンビニで飲み物を買おうと駐輪スペースに自転車を停めた。

ふとコンビニの横の空きスペースを見た時「あっ」この自転車だ!

杉本は探していた自転車を見つけた。

緊張が走る。

コンビニの中を見回した。が、それらしき人物はいない。店内の客はおばあさんが一人、四十くらいの太った男が一人、女の人が一人、店員もパートの女性が二人だ。

「いないな」

あ、ひょっとしてこないだみたいに逃げるために自転車をここに停めてるのかも。

杉本は水を買い、それを飲みながらコンビニから少し離れた所で見張る事にした。コンビニの前の道は坂になっていて、上には住宅街がある。

その坂に少し登り、そこから見張る事にした。

もしあいつが来たらダッシュで捕まえにいく!

そう思ってじっと見ていた。

すると

「何見てんだよ。俺にも見せろよ」と聞き覚えのある声がした。

「あ!修造さん」修造が顔を並べて杉本の見ている方を見た。

 

 

「なんで?」

「俺の住んでるアパートすぐこの裏にあるんだよ。今から近所のスーパーに夕ご飯の材料を見にいくところ」

「そうだったんだ。修造さん、あの黒い荷台の自転車が風花を切りつけたやつの自転車です。俺捕まえようと思って。でないとまた風花が狙われる」

「ええ?よく見つけたなあ。分かったよ協力するよ。ここじゃ走って行きにくいからもっと近寄って挟み討ちにするぞ」

修造はコンビニの駐輪場の横の電信柱の影で携帯電話の画面を見るフリをして立っていた。

杉本はコンビニの中から自転車のよく見える雑誌コーナーの前に立ち見張っていた。

しばらく待ったが来ない。

杉本は修造にメッセージを送った。

『中々来ませんね』

『うん』

『焼成の仕事はどうだ』

『親方がいい感じに導いてくれているので大きな失敗はありません』

『ちょっとは上手くなってきてるな』

『そうですか!ヘヘヘ』

外でガチャンと音がした。

『来ました』

と打って杉本は店から飛び出した。男は杉本を見て素早く自転車に飛び乗りこぎだした。

「待て!」とっさに杉本はお祭りの時に入れっぱなしだった自転車の前カゴのスーパーボールを袋から出して走りながら次々に投げつけた。

そのうちのいくつかが自転車の前輪に乗り上げバランスを失ってグラグラしたすきに修造が走って行って自転車のハンドルを押さえた。

「捕まえたぞ」

コンビニ前の駐車場には派手な色合いのスーパーボールが散乱した。

そして二人で男が逃げない様に自転車から引き離し「お前だな!カッターで切りつけた奴は!」と言って男の腕を掴んだ。

男は急に杉本の手を振り払いポケットの中で握っていたカッターで切りつけてきた。

「あぶねえ!」避けた杉本に返す刀でもう一度切りつけた時、修造が男の足を右足で払った。本来なら足払いの後胸に一発正拳突きをお見舞いする所だがよく見るととても細くか弱い感じで、あばらを折ってはいけないのでやめた。

倒れた男から落ちたカッターを足で二メートルほど蹴り飛ばして手を後ろにねじりあげて「コンビニで紐を借りて警察に連絡して」と言った。するとそこへお巡りさんと女性が走ってきた「この男です!私のスカートをカッターで切った奴!この捕まってる方!」

お巡りさんが「十六時二十八分、銃刀法違反及び傷害容疑で逮捕する」と言って男に手錠をかけた。

男は後でやってきたパトカーに乗せられて行った。

その後、連絡を受けて自転車で来ていたお巡りさんに女性と杉本が事情を話した。

どうやらこの女性はカフェのスタッフで、コーヒーを運んでる時にそのスカートを店の中で犯人に切られたらしい。それを見ていたお客さんが教えてくれて、それでお巡りさんを呼んで一緒に探してたらここで見つかったそうだ。

「捕まって良かったなあ」

修造と杉本は顔を見合わせうなずいた。

 

 

3日後、店に私服の警察っぽい人が来て、親方と何か話していた。

杉本達は仕事をしながら気になってそれをチラチラ見ていた。

「親方、さっきの警察ですか?なんて言ってました?」と修造が聞いた。

「あのね。修造と杉本が捕まえた奴は、こないだの祭りに出てた焼き鳥の屋台で働いてた男でね、可愛い子をチェックしては服をカッターで傷つけて楽しむ変態野郎だったんだってさ。どうせすぐムショから出てくるだろうから、うちと風花の家には接近禁止命令を出してもらうよ」

「え!あの焼き鳥の屋台の?知らなかった!」

「怖いわね〜」と風花と奥さんもゾッとしていた。

修造が風花に「杉本が休みの日にあちこち探して自転車を探し当てたんだよ。こいつすげえなあ」と言った。ちょっと大袈裟で芝居がかっていた。

「そうなのね」

この時風花が初めて杉本を真っ直ぐ見たかもしれない、杉本は照れ臭そうな、嬉しそうな風花の顔を初めて見たからだ。

「ありがとう」

その時周りの誰もが杉本からズキューンという音がしてくるのを聞いた。

江川と藤岡が「ハート撃ち抜かれたね、ハハハ」と乾いた笑いを起こした。


ある日のお昼

「風花」

「何?」

「これ」

「フォーチュンクッキーじゃない。お店で配るの?」

「これ俺が家で練習で作ったおみくじクッキーだよ。どれか一つ選んで出た占いが必ず当たるから」と杉本がフフフと笑いながら渡した。

「あんたが作ったの?胡散臭いわ」と風花は笑って手に取らなかった。

「いいから一つ開けてみろって」

「わかったわよ。仕方ないわね」

風花は小さなカゴに十個ほど入った占いクッキーを一つ選んで開けてみた。

「何よこれ!」

【杉本が好きになるでしょう】

と書いてある!

「そんなわけないじゃない」と言ってもう一つ開けたらそれにも

【杉本が好きになるでしょう】

と書いてある

「ちょっと!」

風花は全部割ってみた。

どうやら全部に同じ言葉が書いてあるようだ。

それを一部始終見ていて「へへへーっバレたか」と笑った杉本に風花は顔を真っ赤にして背中を向けた。

「もうなってるわよ」

小さな声で呟いた。「え?」

「なんでもない、あ!いらっしゃいませ。ただいまブールが焼き立てでーす」

「おひとつですね、はい!」

 

風花は一際明るく言った。

おわり

 


2021年10月08日(金)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ 背の高い挑戦者 江川Flapping to the future

パン職人の修造 江川と修造シリーズ

背の高い挑戦者 江川 Flapping to the future

はじめに

このお話はフイクションです。実在する人物、団体とはなんら関係ありません。


 

今日は修造の休みの日。

アパートの部屋のグリーンのソファに寝転んで修造は大あくびをした。

「ふぁーーーっ」

「律子と緑は友達の誕生日会に行ってるし、久しぶりにゴロゴロしてテレビでも見るか。」

修造はテレビをつけた。

バラエティ番組が流れている。

ボーッと見ていると子供が三皿の料理を順番に一口ずつ食べている

ママの作った料理はどれでしょう?おいおい、毎日食べてるんだからわかるだろ?えー!それは一流シェフの作ったヤツだ、それはコンビニの!やばいあの子コンビニのを選んだぞ!それがママの料理って、、あーほら。ママが泣き出した。

俺だったらどうかなあ。律子の料理だからわかるだろ。

そんな事を考えながらウトウトしていた。

ひまだな~

そうだ、これから鳥井シェフの所に寄ろうかな。

ドイツから帰って一回挨拶に行ったきりだし。

そうしよう。


一方パンロンドでは社長の柚木(通称親方)にまたしてもNNテレビの四角ディレクターから電話が掛かって来ていた。

「はい、あー四角さん。その節はうちの職人達がお世話になりました。え?撮影?うちでですか?何するんですか?パン職人の一日?何ですか?それ」

電話の向こうで四角が答えた。

「パン屋さんにお邪魔して、パン職人さんが普段何をしてるのか撮影して視聴者の皆さんに知ってもらうコーナーです。夕方のニュース番組の中程で三十分やります」

「撮影はいつですか?」

「次の水曜日です。放送はその次の日です」

とにかくでりゃあ良いんですね?はい了解〜」

「それで、どなたか職人さんの奥さんに持ってきて欲しいものがあるんですが」

「なにそれ?」親方は四角の説明を聞いてニヤッとした。

楽しみだなあ」


修造は電車に乗って鳥井シェフの店ベッカライVogelnest(鳥の巣)に来ていた。

鳥井シェフの所に来るといつも美味しいドイツパンを御馳走してくれる。それが楽しみの一つでもあった。今日はミッシュブロートにBlauschimmelkäse(青かびチーズ)にイチジクとナッツがのったパンとチーズプレッツエルを出してもらった。どちらも修造の好物で美味すぎてもうここに住みたいぐらいだ。

「ご無沙汰してすみません」

「久しぶりだね修造。あれからどうしてるの?」

「はい、これからパンロンドの親方に恩返しした後、国へ帰ってパン屋を開業しようと思ってます。それで今は自分が抜けた後困らない様に後輩を育てています」

開業!そうなんだ!それは楽しみだな!じゃあ俺がパンの機械や材料の展示会に連れてってやるよ。来週の水曜空けといてくれよ」

鳥井に大きなパン関連の展示会に連れて行ってもらう事になった。

「どんなのだろう!噂では聞いてたけど行ったこと無かったから楽しみだなあ!」

修造は帰り道、パンロンドの柚木に電話した。

「もしもし親方ですか?あの来週の水曜、、」

「おっ!修造丁度良かった!来週の水曜うちにテレビが来るんだよ」

「えっ⁉︎」

パン職人の1日とかいう放送をやるんだってさ」

「あの〜その水曜なんですが、俺用ができてどうしても行かなきゃならなくて。収録は何時なんですか?」

「十時からって言ってたよ。用が済んだら絶対来てよ」

「わかりました」

と言いながら、テレビが嫌な修造は収録が終わった頃を狙って店に帰る計画を立てていた。


そして水曜当日、修造は律子に「今日展示会に行ってくるよ」と言った。

パンロンドにテレビが来るんでしょう?それはどうするの?」

パンロンドに戻ったらもう終わってるかもね」

そう言って修造は律子と行ってきますのハグをした。

いつもの通り律子からフローラルなトリートメントの香りがする。


東南駅から展示会場迄は電車で二十分だ。

駅を降りると展示会場に行くっぽい人が何人か歩いているのでその人達について行った。

修造と鳥井は展示会の入り口で待ち合わせていた。

大きな会場ですね」

「ここは業界一の展示会なんだよ。なんでもあるだろ?まずオーブンから見ていこうか。」鳥井が会場見取り図を見ながら言った。

「はい」

その会場は1日では回り切れないほどのパンやお菓子関連の機械屋、袋屋、資材屋、大型店用、小売店用などの様々なものがそれぞれ会社ごとに展示してあって、どれもこれも珍しくてワクワクするものだった。

鳥井があの会社はこうでこの会社はこうでと色々説明してくれていた。

その時

会場の1番奥ではコンテストが行われている最中だった。

パン職人選抜選考会と看板に大きく書いてあり、かなり大きなコンテストの様だ。

「あれは?」

「今は二十五歳以上のシェフが世界大会に出る為の選考会が行われているんだよ。その横では若手コンテストと言って二十一歳以下の若い職人が競い合ってるんだ」

見ると、四メートル毎に四つに仕切られたブースの中にはパン作りに必要なミキサー、オーブン、ドウコン、パイローラーなどの機械がそれぞれ備えつけてあり、その中では選手と助手の二人が力を合わせて作品を作っている。更にその横では同じように四人の若い職人がブース毎に分かれてコンテストに挑戦していた。

鳥井は続けた。「そして二つの優勝者同士が一緒に世界大会に出るんだ。シェフと助手としてね」

修造が興味ありげにしているのを鳥井は見ていた。

「ここに並んでるのは優秀な選手達の作った作品だよ。芸術的で立体的だろ?」

そこには見たことも無いような勢いのある彫刻の様なパン生地でできた作品が並べられていた。

選手達の作った作品を見るために沢山の人達が十重二十重に取り囲んでいる。

「凄いな。パンで出来てるとは思えない」

そこへコックコートを着た大柄な男が近づいて来た。

鳥井がそれに気がつき「修造こっちへ来いよ」と呼んで、大木というコンテストの重鎮を紹介してくれた。

「ベッカライホルツのオーナーの大木シェフがこの大会を取り仕切ってるんだよ。俺と大木シェフは昔同じ職場で働いてたんだ」

パンロンドの田所修造と言います」

「よう!テレビで見てたよ」大木は気さくに挨拶してくれた。

そして選手が組み立てている途中の技術の高い飾りパンを見せてくれた。

選考会に選ばれる為に一流選手が自分の持つ技術の全てを注いだ作品を作っている。

修造は選手の技術の高さに衝撃を受け、釘付けになった。

凄い、こんな高い技術のパン職人が集まってるんだ!

どうやって作ってるんだこの飾りパンは?

パンの世界は奥が深い、追っても追ってもキリがないんだ。

目をキラキラさせて見ている修造の肩を大木が大きな手で掴んで言った。

「おい!1年後の選考会にお前も出ろよ! 俺が練習見てやるよ!

「はい」

俺もこの大会に!

修造は急に腹の底から何か熱いものが込み上げてきた。

「まずは1次審査に通ることだ!」

「あの〜うちの若いのも連れてきて良いですか?」

「勿論だよ」

修造は実演している選手の前に行って前のめりに見ていた。

それを後ろで見ていた鳥井と大木にそのまた後ろから声をかけてきたニ人の男がいた。

二人共コックコートを着ている。どうやら大会の関係者の様だ。

一人はパン王座決定戦に出ていた佐久間シェフで、もう一人は背が高く白毛混じりの短髪の男だ。

「頼んだぞ大木、鳥井もここまで連れてきて貰ってすまん」」

背の高い男は大木達に声をかけた。

四人は心安い関係らしい。

「なんだよ、自分がコーチをしてやったらいいじゃないか」

大木はその男に呆れながら笑っていった。

 

「俺は他の子のコーチだからね」

そして修造を遠くから見ながら「俺は手抜きはしない。」とボソリと言った。


修造は一通り選手の作品を見た後会場を出た。

駅まで歩きながら「大木シェフって親切な方ですね」と鳥井に言った。

出来るだけ優秀な選手を育てて世界に勝たないとね。修造も出ると決めた以上は頑張れよ」

「はい。俺頑張ります」

修造の頭の中はもう自分の作る作品のことでいっぱいになっていた


「はい!みんな~!これ着て!」

その頃パンロンドでは、店の奥さんがみんなにお揃いの帽子を渡して新しいコックコートに着替えさせていた。

いつもTシャツの親方は着るのは嫌だと抵抗したが奥さんには逆らえない。

テレビが来るからみんな張り切ってね」

そろそろ時間なのに遅いですね」

「そうだな」

さっき電話があって前のロケが押してて遅れるそうよ」

今のうちに仕事片付けとこうよ」

みんなお揃いの帽子を被って仕事を片付けて待ち構えた。

杉本がワクワクして「テレビってどんなのかなあ〜」ピョンと跳ねた。

江川は「僕緊張するなあ。修造さんまだ帰ってこないの?」とガチガチになってきていた。

「ウフフ、大丈夫ですよ江川さん、リラックスしていきましょう」と藤岡が2人を見てニコニコしている。

そのうちにアシスタントディレクターが一人でやってきた。

「こんにちは、今日お世話になります。こちら本日のロケの台本ですのでお渡ししておきます」親方に台本を渡して「では後ほどよろしくお願いします」と言って去っていった。

親方は台本を開いて「なになに、、パン職人の一日。おいみんな!順番に特技を披露するみたいだぞ」

「何するんですか?」

えーと、、と全員が台本に食いついていた。

そして「あ、すぐあの人に連絡してあれ持ってきてもらわなくちゃ!」と親方が言った。

「ウフフ、楽しみですねこれ!」と江川がはしゃいだ。

「修造さん早く帰ってこないかなあ」


修造はわざとノロノロ帰っていた。

「もうそろそろ撮影終わったかなあ。店に戻ったら残った仕事があったら片付けて帰ろう」

その頃。パンロンドにやっとテレビ局の四角ディレクターとさっきのAD、カメラマンと音声の人が四人でやって来た。

その後でマウンテン山田が登場した。

江川が「あ!マウンテン山田さん!」と叫んだ。

「その節はどうも~今日はよろしくお願いします」

マウンテンはNNテレビのパン王座決定戦の時に審査員席に座っていたお笑い芸人だ。

「いや〜柚木社長!遅くなってすみません」四角が親方に話しかけた。

「早速撮影を始めたいと思います。まずはざっと一日の流れを社長からご説明して頂きたいと思います。マウンテン山田の質問に答えて、自由にお話し下さい。」

そしてみんなが緊張の面持ちの中、アシスタントディレクターが小型のマイクを付けていった。小さなマイクの先をコックコートの襟につけていく、そこから線を後ろに回してその先の本体は後ろからベルトに取り付けられた。

「タレントみたい」と杉本がワクワクして言った。

親方とマウンテンが二人でパン工房の入り口に立ち、カメラの方を向いた。ディレクターが無言で指を三、ニ、一と指示してカメラが回り出した。

「こんにちはー!マウンテン山田の1日何やってんの?のコーナーの時間がやってまいりました〜!柚木さん!初めまして!マウンテン山田でーす!」

「よろしくお願いします」

「早速ですが、パン屋さんって早起きのイメージがありますが、朝は何時から始まりますか?」

「そうですね、朝は交代制で四時から始めています。前はもっと早かったんですが、最近は遅くなりましたね」

「どんな事をするんですか?」

「奥では仕込み、そして真ん中の大きなテーブルで分割成形、そして店側の窯の所で焼成、そのあと店で販売の流れになります」

ところで社長はみんなから親方って呼ばれて親しまれてるらしいですね。何か由来はあるんですか?」

「ボクは昔から力持ちな事と、見た目もお相撲さんっぽいから親方ってあだ名だったんですよ」

「そうなんですね、では親方!どのぐらい力自慢か試して頂けますか?」

急にマウンテンがカメラに向かって「親方は力持ちでショー!」と言った。

後で編集して、お茶の間の視聴者にはわかりやすく画面に文字が出る事になっている。

「さあ!では親方にはこの粉袋を持ち上げて頂きましょう!」

藤岡と杉本が脚立に乗って粉袋を親方の右肩に乗せた。

「まずは右に二十五キロ、そしてもう片方の肩にも二十五キロ」

重っ!と親方は思ったが我慢して左肩にももう一つ乗っけた。

「すごーい親方!ひょっとしてもう一袋ずつ行けそうですね!」

う、ぐ、ぐぐ、、そうですね。。」

親方は内心持てる気がしなかったが仕方ない。

もう一袋を右に!明らかにバランスが悪い。

「では左も乗せましょう!」

「う、うおーっ」と雄叫びをあげて親方が満身の力で右肩に合計五十キロ、左肩に五十キロ乗せた。

「うわー!凄い!親方!まだいけますね!」

え?」

親方は声が出なくてあうあうと口を動かした後、歯を食いしばり、もう二十五キロずつ肩に乗せ、もし倒れて粉袋に穴が開くと勿体無いから耐えた。

「パン屋さんってこんなに力持ちなんですかあ?」とマウンテンが聞いたら周りのみんなが「んな訳ないない!」と言った。

やっと粉袋を下ろして貰って「はぁ〜っ」と床に手をついてぐったりした親方に、マウンテンが「大丈夫ですか?」と聞いた。

「気にしないで撮影を続けて下さい」と地面すれすれで四つん這いのまま言った。

「さあ!次は?」マウンテンはカンペを見た。

「ふんふん!はい!パン職人さんの日常!次はお二人で生地を分割して並べて頂きましょう!」

杉本がカッコつけてスケッパーで生地を分割している。

「普段と違いすぎるだろ」と言いながら藤岡が丸めて箱の中に並べていく。

なるほど~こうやって生地が丸まっていくんですね、もっと早く出来るんですか?」

「はいできますよ」

「凄い!お願いします」杉本は出来るだけ早く分割し始めた。

「さすが!凄い早いですね〜もっと早くできます?」

「はい!」

めちゃくちゃ早く分割し出した杉本に

「大きさがバラバラだよ」と藤岡が言った時、慌てすぎてスケッパーが親指の第一関節辺りににカン!と当たった。

「ウワオ!」杉本が叫んだ。

親指を押さえてる杉本にマウンテンが「大丈夫ですか?」と聞いた。

「大丈夫です。気にしないで撮影を続けて下さい」

藤岡は痛がる杉本の親指を調べた。

「良かった。骨折はしてないみたいだな、、ハハ」と苦笑いした。

マウンテンは「さあ次は?」とカンペを見た。

クイズ職人さんの知識〜!職人さんにパン屋さんならではの知識を披露して頂きましょう!では質問です」

マウンテンはADがスケッチブックに書いて見せたカンペを見ながら

「Roggenロッゲンとはなんの事でしょう?」と聞いた。

「ラ、ライ麦」

「さすが!正解です」江川はほっとした。

そしてゆるい問題が出る様に祈った。

「では次の問題は、小麦の粒の問題ですね!小麦の粒の表皮ってふすまって言うそうですね」

「はい」

それではその表皮の部分は小麦の粒の全体の何パーセントでしょう?」

え?えーとえーとふすまのパーセント、、たしかそんなに多くないんだ。。あー!わかった!十五パーセント!」

おー!さすがですね!それではこれが最後の問題です」

江川は緊張で頭がクラクラしてきた。修造に早く帰って来て欲しい。

「パン生地をこねる事をニーディングと言いますが、では生地の腰を出す為に台に叩きつける事をなんと言うでしょうか?」

「え?えーとえーと」ピーリングでもカーリングでもない、、ボーリングでもない、、

よく聞く言葉なので解っているのに、いざ答えるとなると江川は頭が真っ白になってしまった。

えーとえーと?江川は目を白黒させた。「アーリング、イーリング、ウーリング、、」アから順に思い出そうとしていた。

そこにやっと修造が帰ってきた。

店の奥のシューケースの陰で親方が寝転んでいる。「親方!何やってんですか?」

「おう、、修造おかえり、、」親方は力を使い果たして立てなくなっていた。

工場を覗くと「あ!まだやってるのか。でももう終盤かもしれないし。。」

そう思って撮影の真っ最中の江川を見た。

「もう一度聞きますよ〜あと一問ですよ~」と時間がかかったので撮り直すためにもう一度マウンテンが江川に問題を出した。

江川が顔面蒼白になり口をパクパクさせてあうあうとなってるので、修造がADのカンペを取り上げてマジックで答えを書いてみせた。

「あ!修造さん!」

江川は急に元気になり答えた。

「ビーディング!」

「さすが〜正解です!さあ、ここまでトントンときましたね。お次は最後の問題です。クイズ〜!私と仕事どっちが大事〜!」

「さあ、それではこちらの職人さんに目隠しをして頂きましょう」

「エッ?!」

修造はADに腕を掴まれて「こちらです」と言われて台の前に座らされ、アイマスクをさせられた。

何が始まるんだ?」

「さあ、それではこちらのクリームシチュー五皿の中から愛する奥様の手料理を当てて頂きます!」

修造の前に五皿のクリームシチューが置かれた。

マウンテンがクリームシチューの作り手を紹介した「一つは奥様の手料理です。そして名店【グリル篠沢】。コンビニのレトルト。スーパーの惣菜。そしてわざと奥様のお料理と味を似せた当番組のADが作ったものです」

「えっ!律子の料理が?もし外したら俺家に帰れないじゃないか」

修造はぞっとした。それに万が一間違えて律子を泣かせる訳にいかない。

何がなんでも当てなきゃ。

修造は集中してありとあらゆる感覚を解放した。

味覚に嗅覚、そして聴覚まで。アイマスクの中では目を爛々と輝かせていた。

 

律子のクリームシチューは可愛いハートの人参が入ってるんだ。

玉ねぎは大きめ、じゃがいもは普通かな?

そして仕上げに生クリームとバターを入れてる。当てるぞ絶対!

しかし決意に反してなかなか難しいものだった。

何せ味だけで決めるのは、、

「修造さん、アーンして下さい」江川は修造に一番手前のクリームシチューから順にスプーンですくって食べさせていった。

修造は心の中で真剣に味見した。それはこんな具合だった。

うーん、これが手作りな訳ないよな、レトルト特有の閉じ込められた味がする。これは違うな。

二番目は美味すぎる。プロの味だな。全ての具材が理想的な調和を生み出している。律子には悪いけどここまでの味は中々難しいだろう。

三番目はうーん、限りなく近い!これはキープだな。何となくハートの人参な気がする。

四番目はあれ?これもなんか正解っぽくないか?さっきのとどう違うんだろう?これもニンジンがどうやらハートっぽいぞ。3番目に食べたやつと似ているな。

残るは五番目、これは濃すぎないか?律子がわざと当てられないように濃くしたのでなければこれは違うな。。

「全部食べ終わりましたね!どうですか?田所シェフ!愛妻の料理はわかりましたか?」

「あの、、三番目と四番目をもう一度味見して良いですか?」

「おっ!パン王座決定戦で優勝した田所シェフが今度は三番と四番の二択に挑みます!僕その時審査員してたんですよ。」

「知ってますよ」修造はアイマスクをしたまま適当に答えた。マウンテンには悪いがそれどころではない。

律子はいつの間にかそっと修造の後ろに来ていた。両手を合わせて祈っていた。

修造なら絶対わかるよね。

修造、仕事と私どっちが大事なんて言わないわ。

だって両方大切にしなくちゃダメなんだもの。

それでこそ修造よ。

それにしてもADさんの作ったのってそんなに私のと味が似てるのね。。

いつも私が愛情込めて作ってるのにわからないものなのかしら?

外したらもうあなたの帰る家は無いからね。

律子はそんな風に思っていた。

修造はシチューを二種に絞り込んでもう一度味見した。

ハートの人参は両方に入っていてどちらも同じ大きさの人参だった。

ルーの感じもよく似てるんだな。うーん。

修造が悩んでいると辺りから律子の香りが修造に届いた。

律子そこにいるのか、近くに。」

俺が律子の事をわからないとでも思ってるのか?

修造は律子が作ってるところを思い出した。

そうなんだ!わかったよ。フライパンの味だ。

焼き目だよ!律子はいつも鉄のフライパンを使ってるんだ。

野菜の端が少し香ばしく焦げてる方!

「答えは3番だー!」修造は立ち上がってアイマスクを外した。

「正解です!田所シェフ!」マウンテンが叫んだ。

振り向くと律子がウルウルして抱きついて来た。

「修造ありがとう」

「律子俺やったよ」

 

抱き合う二人を見て「バ、、」

マウンテンはベタベタする夫婦を見て危うくバカップルと言いかけて口を閉じた。

馬鹿夫婦と言うとまた意味合いが違ってくる。

「いや~どうでしょうねベタベタして。これはほんまにごちそう様ですね、ウマウマウンテンですね~」と締めくくった。

これで全ての収録が終わった。

四角が「親方今日はご協力ありがとうございました。今から帰って編集します。明日の夕方のニュースを楽しみにしてて下さいね」

やっと復活した親方が言った。「はい、またね。ありがとう」

テレビ局の人達とと律子が帰って、明日の仕込みを始めた時、修造がユニフォームに着替えながら「あ!そうだった!」と走って来て作業中の江川に声をかけた。

「江川」

「はいなんですか?」

「世界大会に出よう。」

江川は世界大会と聞いて驚いた。

空手の世界大会?そして漫画に出てくる様な大きくていかつい空手家に自分がぺちゃんこにやられているところを想像した。

「せ、世界大会ですか?」足が震えた。

「な、何言ってるんですか?」ちょっと涙がでてきた。

「二年後に。」

「俺とお前は別々に選考会に出るんだ。それでどちらかが落ちたら二人では出られない。選ばれたらの話だけどな。」

「修造さんとぺ、、ペアで?」修造の後ろに隠れていたらひょっとしたら逃げ切れるかも知れないが捕まったら終わりだ。。。と想像して膝がガクガクする。

修造は江川を若手のコンクールに勝たせて、世界大会に助手として一緒に出ないかと持ち掛けた。二人で今から練習を重ねれば行けるかもしれないと思ったからだ。勿論修造が世界大会の代表選手に選ばれなければ無い話だ。

「僕、今から空手を習うんですか?ぼ、僕まだ死にたくないです。」世界大会に出る前にいかつい選手と戦って砕ける。そんな風に勘違いするぐらいパンの世界大会は江川にとって想像もできない遠い存在だった。

「何言ってるんだ、パンのだよ!」

「えっ!?パ、パンの?わかりました。修造さんが出るなら僕も出ます。」

藤岡はこのやりとりを聞きながら、もし俺や杉本を誘ってくれてたら江川さん許さないだろうなあと思っていた。

「江川さん、頑張って下さいね。」

「うん空手じゃなくて良かったよ。僕頑張るね。」江川から安堵の笑顔がこぼれた。

おわり


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