パンと愛のお話 短編小説
製パンアンドロイドのリューべm3
60になったばかりの立米利佳(たちごめりか)は35年連れ添った5歳年上の主人の立米竜平(たちごめりゅうへい)を亡くしたばかりだ。突然心不全で倒れ、急な葬儀となった。
30年前にパン屋「リットルパン」を開業して、2人で仲睦まじく営業を続け、今では街になくてはならない存在のパン屋になっていた。
赤ちゃんの頃にお母さんとパンを買いに来ていた子供がもう社会人になり、また朝のパンを買って会社に行ったりしている。
「長いこと続けていると子供も大きくなるわね。」利佳はいつも竜平にそう言っていた。
すると必ず竜平は「そうだね利佳」と返して来た。
竜平は静かな男で、声を荒げたりせず黙々と仕事を続けるタイプだった。
晩酌の時に酔って口数が増えたりするぐらいで、休みの日は公園まで散歩して花を見に行ったり、買い物をする程度で取り立てて金遣いが荒いわけでなく、比較的平和に人生を過ごしてきた方だった。
「ねぇ利佳、明日は昼から雨になるそうだよ。」
「ねぇ利佳、明日は昼から暑くなるそうだよ。」
客足と天気がとても関係するので、いつも竜平は天気を調べては教えてくれたり、作るパンの量を増やしたり減らしたりしていた。
葬儀は慌しく、後であの人を呼んでいなかったとか、あの人に連絡してなかったなど色々手落ちもあったが、バタバタしていて悲しみも少し紛れた。
立米夫婦には子供がいなかったので、跡取りもなく、パン屋は閉店するのかと道行く人達はシャッターの閉まったままのリットルパンを見て思った。
葬儀の後日、竜平の死亡保険金の手続きにアール保険の営業木村が来た。
「この度は本当に残念です。お気を落とされません様に。」
いつもこう言ってるんだろうなと利佳は木村の言葉をぼんやり聞きながら考えていた。
すると「パン屋さんはどうなさるんですか?」と聞かれた。
「流石に私1人ではちょっと。」と濁して答えた。
「ではこちらは老後の資金として大切にお使い下さい。」入金の手続きをして、木村を帰らせてから利佳は1人で考える時間ができた。
これから
これからどうしよう。
先週迄はリットルパンは普通に営業していたのに。竜平も元気だったのに。
これから1人で生きていかなくちゃならないの。
急過ぎるわ。
そこへ
電話がかかって来た。
「はい立米です。」
「立米さん、ミーテンリースの平方です。この度は本当に急な事で、ご葬儀にも行けず申し訳ございません。お仏壇にお線香だけでもよろしいですか?」
ミーテンリースの平方米夫(へいほうよねお)は近くから電話して来たらしくすぐにやってきた。
平方は良い人が浮き出た様な顔立ちの性格の優しい男で、ミーテンリースに入社して以降リットルパンにも長いこと営業に来ていた。
ミーテンリースはパン屋など食品業へのラベルプリンターのリースやレジのリースを行なっている会社だ。
平方はお仏壇に手を合わせて丁寧に亡き竜平への冥福を祈った。
「奥さん、本当に残念です。」
「お気遣いありがとうございます。」
「これからどうなさるんですか?」
「急だったのでまだ何も、、それに流石に私1人では。。パンを作っていたのは主人ですし。」
「ご近所の人達も残念でしょうね。」
「はい。」
「立米さん、今こんな事を言うのは不謹慎ですが、、こんな時に営業か?とか思わないで下さいね。あくまでも悪気ない世間話と思って聞いて下さい。」
「はい?」
「僕は昨日研修を受けて来たばかりなので、まだ興奮冷めやらないんですが、製パンアンドロイドっていうのが今僕のいる業界では出始めたんです。」
「聞いたことあります。でも粉が詰まって故障したり、結局動作が鈍いとか、同じ場所でないと動けないとか。あまり良い噂は聞いてません。」
こっちは主人の葬儀が終わったばかりなのにもう営業に来たのかしらと少し腹を立てて利佳は厳し目に言った。
「今まではね、でも昨日僕が見たのは全然違う最新型のアンドロイド『アンコンベンチナルm3』なんです。」
「写真見てみますか?」
「完全に人型なんですね。」
「はい、ちゃんと人間の様に歩いて動いて、流石に表情はありませんが声は以前は機械音って感じでしたが、少し滑らかに人っぽく聞こえます。」
利佳はカタログを見て驚いて言った。「男の人と女の人の2タイプが?」
「そうなんです。機械としてではなく仲間として迎え入れるのがコンセプトです。より人間らしくできていますよ。」
「それで?」
「はい。」
「一体何ができるんですか?丸めだけ?」
利佳はアンドロイドと言っても機械なんだしせいぜい分割と丸めとか、荷物運びぐらいだろうと思っていた。
「それがね、僕が昨日驚いたのはそのアンドロイドの性能なんです。パン作りのあらかたをやってのけていましたよ。」
そしてタブレットを取り出して利佳に見せた。
タブレットに映し出されていたのは、人型のアンドロイドが動いているところだった。
「これ、昨日僕が撮ったんです。今までは外国製が多かったんですが、日本の大学の教授がアンドロイドの開発に力を入れてましてね。ついに色んな職業のアンドロイドを作り出したんです。」平方は興奮気味に言った。
「パン職人の動きを徹底的に研究して、ついにパン作りができる様になったんです。」
「本当にそんな事ができるんですか?上手く映してるだけでは?」
「まあ見ていて下さい。」
そのアンドロイドは材料の計量、ミキサーへの移動と混捏、ミキサーからの生地の取り出し、台の上に生地をあげての分割と丸め。そしてホイロへ入れてからの取り出し。窯へ入れてからの取り出し。
この作業を全てやってのけた。
「えー!凄い。」計量ぐらいかと思っていたので、利佳は本当に驚いた。
「一連の動きが決まってるので、細かい入力は必要ですが、何種類かのパンはできますよ。」
「でもお高いんでしょう?」と利佳は通販番組みたいな事を言ってしまった。
「そこなんですが、手付け金が結構高額なんです。それと毎月のリース料がかなり。とはいえ人件費より安いと考えれば。」
利佳は一瞬頭に保険金の事が浮かんだ。
「本当に凄いので一度見学に来ますか?」とアンドロイドの性能に興奮してつい言ってしまったが、こんな時に不謹慎なと思って営業っぽい言葉は謹んだ。
利佳も先のことはまだ決まってないので「またそのうちに。。」とお決まりの断り文句を言ったその時、タブレットの画像にアップになった男型のアンドロイドが映った。
「これは?」
「こちらがさっき言ってた男型のアンドロイドです。男型、女型、声の質、声の高さ、話す速度とかも選べますよ。あとは入力次第では結構動けると思いますがそれはとても細かいので入力は僕が面倒みます。」
平方の説明そっちのけで利佳はタブレットを食い入る様に見ていた。
その理由は
男型のアンドロイドが知り合った頃の竜平にそっくりだったからだ。
丸みを帯びた鼻と温和な顔立ち。「決めたわ。」
「えっ?」
「私このアンドロイドとパン屋を再開します。」
平方は驚いた。
そんな急な。。
いや、でも営業としては嬉しいかも。
しかし急な、、
平方は「奥さん、入力内容を話し合う為にまた来ます。」と言って会社に報告しに帰った。
新しいアンドロイドを迎えるのに色々準備が必要だった。
まず
充電の場所
アンドロイドが動きやすいところを作る
初期費用とリース料を用意する
アンドロイドが作れる生地で利佳がバリエーションを考えたトッピングを決める
入力内容を決める
この入力内容を決めるのが1番大変だった。
どの生地を作らせるのか決めたり、季節ごとの水温など配合を変える入力、リットルパンの店内での普段の動きの行動パターンなど、平方は専門家とやってきて何日間かつきっきりで設定をした。
そして最後に利佳に「声はどのぐらいのトーンにしますか?」と聞いた。
利佳は「もう少し低く、、今度はもう少し高く。」と竜平の声に限りなく近づけた。
「あとは、このm3の名前を決めましょう。勿論m3でも良いですが、奥さんが呼ぶと反応するニックネームが決められますよ。』
「こういうのはどうですか?立米って体積の単位でリューべって言うじゃないですか?リューべはどうですか?」
利佳は
それが良い!
それが良いわ
竜平みたいな名前
リューべ
と平方の案に賛成した。
「それにして下さい、」
「了解です。」
いよいよ始動の時が来た。
ウイーンと音がして製パンアンドロイドリューべの首の後ろの辺りが赤く光った。
ピカピカピカピカピカピカと点滅を繰り返した後緑色に光った。
「リューべ、今日からここがお前の職場だよ。」
「これが利佳さんだ。絶対服従だよ。」
平方はまるで儀式の様にもうすでに入力済みの事を改めて言葉に出して言った。
「初めまして利佳さん。」
利佳は改めて驚いた。入力が上手くて竜平の声そのものだったからだ。
専門家が「何か話しかけてみて下さい。」と言った。
「リ、リューべ初めまして。」
アンドロイドに話しかけるなんて中々ない。それどころかこれから一緒に仕事するんだわ。
ところがこれで設定は終わりではなかった、リューべの動きを見ながら計量の動作からまた細かく設定をしていって最終的にはパンを焼き上げるまでの一連の動作をチェックしていった。
「株式会社ミーテンリースとしても初めてのアンコンベンチナルm3のリースなので感慨深いものがあります。」
「立米さん、記念にリューべと写真を撮ってパンの専門誌のミーテンの宣伝枠に使っても良いですか?」
「ええ、勿論です。」
平方は利佳とリューべを並ばせて写真を撮った。
その日から利佳とリューべの生活が始まった。
毎朝利佳は家からタブレットで、店で充電中のリューべにその日のお天気とパンの量を設定した。
リューべは決まった時間に動き出して仕事をしていて、利佳がパン屋に着くと[おはようございます利佳さん。今日は良い天気ですね。」と挨拶をした。
パンが焼けると辺りは以前の様に良い香りが立ち込めた。
久しぶりに店を開けたので、お客さんがパンを買いに来て利佳にお悔やみを言った。そして中を除いて「新しい職人さん?早く見つかって良かったわね。」と言って帰った。
動きはぎこちないが遠くから見ると人そのものだ。
とはいえ竜平の様に全てのパンが作れるわけではない。以前とは違った商品構成にして、リューべのできるパンに合わせて具を挟んだりクリームを詰めたりとやる事は多かった。
納品業者には、仕入れた材料は必ず同じ場所に置く様に納品の時何度も説明して置いて貰った。
利佳はこれでまた毎日静かにパン屋ができると思っていたが、ミーテンリースがパンの専門誌に利佳とリューべの写真を載せると、それを嗅ぎつけたNNテレビがやって来て、リューべを映して帰った。それは夕方のニュースに流れ、翌日からアンドロイドの作ったパンを買いに沢山の人が訪れた。
人々はレジから奥には入れないので、奥にいるリューべをスマートウオッチのカメラで写して帰った。
利佳はリューべに話しかけた。
「凄い沢山のお客さんがリューべを見に来たわね。」
「そうですね利佳さん。」
リューべが返事をしたので驚きと違和感があったが、話しかけたら返事するんだわと気がついて「利佳って呼んで良いわよ。」と言ってみた。
「はい。利佳。」
「竜平、、」亡き夫そっくりの声。
「何故突然いなくなったの?」
「私を置いて。」
「いなくなっていませんよ利佳。私はここにいます。」
リューべの声は優しい声だった。
利佳はリューべとの生活に慣れてきた。入力と清掃を怠らず、リューべが仕事しやすい様にそこら辺を整えた。
私はリューべがいるから寂しくないんだわ。
リューべは毎日1度は利佳に優しい言葉をかけた。
「利佳、今日もありがとう。」
「利佳、いつも頑張ってるね。」
など声をかけられるので、これってサービスみたいなものなのかしら?アンドロイドってすごいわね。と思っていた。
平方は初めのうちはリューべが心配でしょっちゅう様子を見に来ていた。
「どうですか?立米さん。リューべは上手く動いていますか?」
「平方さん。はい、とても優秀よ。」
「それは良かった。」
「立米さん、僕定年を迎えるんです。」
「え?それは寂しいわ。」
「でも大丈夫なんです。再雇用って事になって。」
「そうなんですか。」
「ええ、だからまたリューべの様子を見に来ますよ。何か困ったことがあったらいつでも駆けつけますから。」
「はい、お願いします。」
「利佳、カンパーニュが焼けましたよ。」
焼成が完了した報告をリューべがして来た。
「呼び捨て、、?」
アンドロイドが利佳を呼び捨てにした事に、平方は違和感があって呟いた。
「あの、私がそう呼ばせてるんです。」
なんだか恥ずかしくなって利佳は顔が赤くなった。
「親しみやすくて良いでしょ?」
利佳は言い訳した。
「そうですね、古くからペット用アンドロイドなどもあるぐらいですから、アンドロイドは仕事だけでなく、人の心にある程度寄り添う事ができます。色々話しかけたら情報量が増えて良いですよね。」
平方はリューべの設定の所を見て
「朝の設定入力の時に、リューべが返信してくれますよ。」
と説明した。そして何か色々入力していた。
アンドロイドと仕事していると絶対にない事
「奥さん僕今月いっぱいで辞めさせて貰います。」
そんな心配も無くリューべとの毎日は過ぎていった。
利佳はリューべになるべく色々話しかける事にした。
「リューべってどのぐらい話せるの?」と聞いたら「元々は2万語ですが、会話するごとに覚える機能もあります。」と答えた。
それ以来、利佳はリューべになるべく話しかけるようにした。自分の生い立ち、初恋、初めての仕事や悩み、竜平との出会い。
などなど
朝はリューべにメールした。
「おはようリューべ。」すると「おはよう利佳、今日はいい天気ですよ。」と返事が来た。
恋人同士みたい。
利佳はちょっとだけ思った。
ちらっとだけ。
生地のアイテムは少ないが細々とリューべと二人三脚で利佳の毎日は続いた。
その日は利佳の誕生日だった。
「利佳、誕生日おめでとう。」
「リューべありがとう。」
そしてハッピーバースデートゥユーと歌い出した。
ちゃんと「ハッピーバースデーディアリカ〜」
と名前を入れて歌ってくれた。
利佳は驚いた。
「こんな事までやってくれるなんて本当によくできてるわね。」
そんなある日
利佳とリューべはいつもの様に仕事をしていた。
突然棚がキシキシと揺めき出した。
「地震だわ!」見るといつも安定感のあるリューべもグラグラとしている。
支えなきゃ倒れる!
そう思ってまろびながら利佳はリューべに近づいていった時、最も建物がグラグラと揺れ出した。
リューべが倒れかけた時、利佳はリューべを支えようとしたが、上からリューべが倒れてくる感じになった。
リューべの左脛(すね)の部分が利佳の右の脛に当たり下敷きになった。
揺れが収まりあたりは静かになった。
建物はどうもないが電気が消えて、棚から落ちたものが散乱している。
痛い。
何とかリューべの下から抜けだして立とうとしたが打った所は激痛が走る。
「折れてるんだわ。」工場から外に出るのもなかなか大変な事だった。
そこへ平方から電話が掛かってきた。
「こんな時にすみません。そちらは大丈夫ですか?m3は大丈夫でしょうか?」
利佳は何とか周りのものをどかせて床に横になりながら「リューべが倒れてしまったんです。今は動いていません。すぐ来れませんか?」と無茶なお願いをした。
利佳の周りが散乱しているのだから平方もどんな状況かわからない。
「平方さんは無事ですか?」
「はい、咄嗟に机の下に隠れたから何も頭に当たらず無事ですよ。そちらはどうですか?」
「それが足が折れたみたいで痛くて。」
「ええ!それは大変!すぐに行きますね。」
平方は取るものもとりあえずという感じですぐに来てくれた。
「すみません。動けなくて。」
平方は利佳を病院に送り届けた。病院の廊下は地震で怪我した人が何人か来ていた。廊下で医師が臨時の診察を行い、利佳の足を診た。
「脛が骨折の疑いがありますね。レントゲンが今混んでるので先に手続きをして病室にいて下さい。応急処置をしておきますね。」
平方は利佳を車椅子に乗せて病室まで付き添った。入院の手続きをして「僕は今から店に行ってリューべを調べてきます。何かいるものが有れば持ってきますよ。」と言った。
「すみません、すっかり甘えてしまって。」
「良いんですよ。怪我してるのに。いるものと場所をここに書いて。」
利佳は紙にいるものを書きながらなんだか不思議だわ。と思った。彼氏みたい。
薄く笑いながら平方は営業マンだからと自分を納得させた。
とはいえこんな親切な営業マンがいるのかどうかも疑問だった。
リューべのために来て、私はついでに病院に運ばれたのよ。
平方に紙と家の鍵を渡した。
利佳は1人しかいない肉親の2つ上の姉、真由に電話した。
「もしもし姉さん、今骨折して病院にいるの。そう、さっきの地震よ。遠いのに悪いけど来てくれない?」
店も家も心配なので姉に見に行ってもらうことにした。
片付けなきゃいけないのにこんな事になってしまったわ。
リューべはどうなったのかしら。私の大切なパートナーリューべ。
「立米さーん、レントゲン室へすぐに移動します。」
順番待ちが来て利佳はレントゲンを撮り「骨折ですね、3ヶ月で退院の予定です。早いうちにリハビリを始めましょう。」と言われた。
手術を終え、仕方なくベッドに何日か横たわっていると平方が報告に来た。
「立米さん、リューべを細かく検査しました。一部ショートしたところがあって部品を変えなきゃいけない。その時に初期化しないといけなくなるんです。」
「えっ!初期化?」
利佳は「今までの事が消えてしまうの?」と込み上げる喪失感に泣いた。竜平を重ね合わせたリューべの記憶が消える。
平方は困った。
長い間一緒にいると情も移るよな、それが人間ってもんだよ。それに俺がパン屋で故障を確かめるために起動した時、一瞬m3は目を開けて首を右左に動かして「利佳」って言ったんだ。
人間みたいに。
驚いた。
平方は考えた。
そして会社に戻り、技術担当の岡野に掛け合ってリットルパンでの記録を一旦全て取り出してまた戻す事にして、それを利佳に報告した。
「何とか記録は残せそうです。」
「平方さん、こんなにして頂いてありがとうございます。」
「いやあ。」
あんな涙を見てほっとけるもんか。
でもこれ、えらい高くつくから会社に内緒でやって貰ったんだ。技術とは長い付き合いで弱点も知ってるからな。そこをついてやらせたんだ。会社にバレたら俺はクビだな。。
とは言えうちのm3をこんなに可愛がってくれてるんだ。このぐらい当然だよ。
「そうだ立米さん、m3は退院したぐらいに治ってきますよ。だからリハビリ頑張って下さいね。」
「はい!頑張ります。」
「それと、、」
「はい?」
「実は次にリューべが故障した時の事なんですが、初めは新型だったm3も今では随分旧式になってしまいまして、部品がもうないと言う事態になる事を覚悟しておいて下さい。折角治ったんですから大事に使いましょうね。」
平方はにっこりした。
「わかりました。大切にします。」
ベッドから平方の背中を見送りながら利佳は思った。
部品がもう無いなんてよく聞く話だわ。いつも本当に部品が無くて治せないのかしら?と思ってるけどどうなのかしら。
平方さんにはお世話になってるし、そんな事考えちゃいけないわね。。
リハビリを頑張り、やっと退院して店に戻った利佳はリューべと久しぶりに再会した。
「リューべ、ひどい目にあったわね私達。」
「利佳、久しぶりですね。私は長い事お休みしていました。」
「なんだかチグハグな会話だわね。」
それを聞いていた姉の真由が言った。
「あら、ちゃんと話せるわよ。」
利佳はリューべを庇って言った。
「ねぇリューべ。」
「はい、利佳。」
「呼び捨てだわ。」
「私がそうさせてるのよ。」
「ええ?」
「その方がフレンドリーじゃない。」
「まあいいわ。利佳がそれで良いなら。」
「ところでね、あなたいつまでパン屋を続けるの?今回みたいな事になったら困るでしょ?そろそろ引退したら?もう年金がもらえる様な年なんだし。」
「だんだん治ってきてるわよ。リューべもいるし。まだ頑張れるわ。」
姉が心配するので利佳は開店を遅くして閉店の時間を早くした。
アール保険の木村がやってきた。「こちらが入院と手術費用の請求の申し込み用紙です。こちらに医師の証明を記入してもらって下さい。それにしても大変でしたね。結構怪我された方も多いです。」
「地震、怖かったわ。」
「気をつけて下さいね。年齢とともにこけただけで骨折なんて事になる方も多いんですから。」
次は気をつけないとと、リューべと同じ様な事を言われて、利佳はリューべに「保険屋の木村さんがこんな事いうのよ。」とか「今日は雨だから足が痛いわ。」とか話した。
するとリューべは「そうなんですね、利佳、今日も頑張ってるね。」と返事をした。
時々トンチンカンな返事をするリューべ、でもあなたのおかげで毎日楽しいわ。
利佳とリューべの毎日は静かに進んでいった。
何年かして、リューべは時々動きが止まる様になって来た。生地を練ったり、分割の時はまあいいが、焼成の時に止まってしまうと、リューべが動くまで窯の扉が開けられない時があって利佳を困らせた。
今度故障したら部品がないとか本当かしら、、
そうなったらリューべはどうなるの?
恐る恐る利佳は平方に相談した。
平方は「うーん経年劣化ですね。」と言いながらリューべを調べた。
やはり、以前平方の言った通り見通しは厳しいらしい。リューべは今ではすっかり旧式になり、初めは新型ともてはやされていたのにもはや忘れられた存在になっていた。
「m3を使ってるのはリットルパンだけになってしまいました。」
そうなのね、私も覚悟を決めないと。
あの、、
聞くのが怖かった。
「いよいよ故障して動けなくなったらどうなってしまうのでしょう?」
「そうですね、機密漏洩の観点からも基本引き上げて処分になります。つまり回収と言うことで、、」言いにくいなと思いながら平方は説明した。
工場でリューべといる時に、利佳は「リューべ、故障しないでね。いつまでも私と一緒にいて。」と話しかけた。
「はい、利佳。今日も頑張りましょう。」
リューべがまだ動くうちは私もリットルパンを意地でも続けるわ。
利佳の決意も虚しく、リューべの動きの鈍さは日毎に回数が増していく。
一度電源を切ってまた入れ直したり、入力を変えてみたりだましだまし仕事を進めた。もういっそ生地の量を減らす方がいいかしら。利佳は悩んだ。
リットルパンは休みが多くなり、パンは少ししか棚に並ばなくなって来た。
そしてある日とうとう
リューべは動かなくなった。
ところが
「利佳、おはようございます。今日も頑張りましょう。」
身体の動かなくなったリューべはまだ話ができる様だった。
「おはようリューべ、私達とうとうパン屋さんを辞める日が来たわね。」
平方がやって来て「会話の回路と身体の動きの回路が違うんですよ。だから話はできるんです。ですが、、言いにくいんですが、とうとうm3を連れて帰らないといけなくなりました。」
「分かっています。」
そう言いながら平方の前にも関わらず、利佳はリューべにすがりついた。
「リューべ、今までありがとう。大好きなリューべ。」
来た時はツルツルだったリューべの肌は今やカサカサで破れかけのビニールの様だった。
「丁寧に使っていただいたからこんなに長持ちしたんですよ。」
涙が溢れかえる利佳からリューべを引き離していいものかどうか平方は困ったが、パン屋を閉店したらリューべがいる理由は無くなる。
業者が来てリューべを車に乗せた。
その間も利佳はずっと泣いていた。
運転席で配送のものが言った。「あんなに泣くなんてよっぽど大事にしてたんですね。長いこと使ってると情も移りますよね。もらい泣きしそうになりました。」
帰りの車で平方は考えた。
俺がミーテンリースに入社して以降、リットルパンには随分通った。初めて挨拶に行った時、あの奥さんは弾ける様な笑顔でよろしくねって言ったんだ。俺はずっとあの笑顔の為に生きて来たのに、あんなに泣かせるなんて。なんて因果な仕事なんだ。
今まで俺はこの会社の為にどれだけ頑張って来たか。それが最後はあんな風に泣かせる形で終わりになるとは。
このままで良いのか
このままで。
m3がたどり着いたのは廃品になったアンドロイドを置いておく安藤部品工場の倉庫だった。
そこはミーテンリースの委託の会社で、安置されたアンドロイド達は順にバラされて使える部品を海外に販売される。
社長の安藤に挨拶して「あのさ、頼みがあるんだけど。」と言った。
「俺と社長の仲じゃんか。」
リットルパンは閉店になり、周辺に住んでいるお客さん達は残念がった。
お客さんによって好みが違い、あのパンが良かった、このパンが良かったと様々に食べられなくなったパンの事を懐かしんだりした。
利佳はもう年なので、業者に頼んで中のものを整理して改装し、またお店を誰かに貸すことにした。
がらんとなった店の内部は綺麗に壁紙を貼り変えられ、以前の雰囲気はもうない。
以前工場の奥でリューべがいた場所も、機械は全て取り払われた。
終わりってこんな感じなのね。
利佳の胸に寂しさだけが残った。
竜平もリューべもいなくなったわ。
家に帰って塞ぎがちの毎日が始まった。
もうこれからはこうして1人静かに暮らすのね。
お茶を入れて机の前に1人座っていた時。
ピンポーン
と玄関のベルが鳴った。
平方が何か大きな荷物を背負ってやって来た。
「いや〜こんにちは立米さん。」
「平方さん!こんにちは。それはなんですか?」
と言って布に包まれた荷物を指さした。
「これはね。」平方は荷物を縛っていた紐を解いた。
「あっ!」利佳は思わず叫んだ。
「リューべ!」
「そうなんです。廃品解体の社長に頼んで身体の中の部品以外をもらって来たんです。」
そう言って首の後ろのボタンを操作した。
「残念ながら身体は動かせなくなったけど、話せるんですよ。」
「ええ?」利佳は驚いてリューベと平方をかわるがわる見た。
赤いランプがしばらくして、緑に変わった。
平方はしばらく操作していたが、やがて
「これで大丈夫ですよ。」と告げた。
「利佳、こんにちは。今日はいい天気ですね。」
「リューべ、そうね、今日は本当にいい天気だわ。これでいっぱいお話ができるわね。」
「平方さん、なんと感謝していいか。本当にありがとうございます。私ずっと思ってました。あなたが私の誕生日や優しい言葉をリューべに入力してくれたんでしょう?」
「いやあ。あれはサービスですよ。」
そう言いながら照くさそうに笑った。
「奥さん、僕も会社を退職する事になったんです。それでなんですが、僕も暇ができるので、こうしてリューべの様子を見に来てもいいですか?というかお茶しに来ても構いませんか?」
「はい、勿論。」
ボディの部分が空になりすっかり軽くなったリューべに利佳は男物の服を着せて、食卓に座らせた。
もう休みの日とか日曜日とか関係なく、平方はしょっちゅう訪ねて来て、3人で仲良く会話をして楽しんだ。
おわり。