パン職人の修造 江川と修造シリーズ ジャストクリスマス
11月の終わり頃、 シュトレンはドイツが発祥で、 「うちは折り畳んで直焼きにするけど、 「はい、以前僕たちが漬け込んだフルーツに洋酒が染み込んで、 「そうそう」
お店では、親方の奥さんがアドベントカレンダーを出してきて、 「これね、アドベントカレンダーって言うのよ。 「わあ〜可愛い!丁度開け終わったらクリスマスなんですね。 お店から聞こえて来る風花達の声に耳をそばだてながら「 と杉本が修造に聞いた。 「 「はー」 「例えば12月24日が金曜日の場合、12月1日からだと3回し
「へー」
「ドイツにいた時は11月になると夜から昼までヘフリンガーで大 「小突かれるなんて切ない思い出ですね」 「家族に仕送りを捻出したんだよ」 「大変だったんだ」心優しい江川が泣き出した。 「江川、大丈夫だよ。いい経験になったし、
そうだ。 毎日お菓子を袋や扉から開けて出すなんて楽しいだろうな。
その横で「クリスマスかあ。あ〜俺、プレゼント何にしようかなあ」 「風花にだろ?」藤岡が返事した。 「そうです」 「趣味が違うの貰ったら嫌だろうから本人に聞いたら?」 「それもそうだけど直接聞くのもムードないなあ。。そうだ! 「ああ、例の鋭い勘でね」 「ははは」杉本は笑って誤魔化した。
12月の始め 田所家では 「ねぇおかあさ〜ん」 「何よ緑ったら猫撫で声を出して」 「あのね、サンタさんにね、 プリムラローズとは今大人気のアニメで、 主人公の赤とピンクの服を着てる子は赤色の口紅を塗ると変身して
お化粧セットとは口紅、ミラー、 「じゃあお母さんからサンタさんにお願いしておくわね」 「ほんと?やったぁ」 緑にはどういうシステムかわからないがお母さんに頼めばなんとか 本当は律子の実家の両親に電話をして前もって送ってきて貰うシス 緑はテディベアはサンタさんからのもう一つの贈り物と思っていた その民族衣装を着たテディベアは本当は修造がドイツからクリスマ
クリスマスは大好きな人と過ごしたい。
風花が大量のシュトレンを包む時にエージレスを入れるのを、 エージレスとは、 なので二人で力を合わせてやると早くできる。 「あのさあ風花」機械で袋を留めながら杉本がそれとなく言った。 「なに」 「、、、俺達クリスマスも仕事だね」 「定休日じゃないって事だけでしょう?当たり前じゃない」 こんなにサバサバと言われてどうプレゼントの話に持っていったら 「ほら早く閉じてよ、エージレスの効果がなくなるでしょう!」 「はいはい」 2人はしばらく黙って作業していたが、急に風花が 「最近ぐんと寒くなったじゃない?」と切り出した。 「うん、朝もここに来る時寒いな」 「、、あったかいものが欲しいなあ」 「缶コーヒー買ってきてやろうか?」 「、、、」 風花は下を向いて黙々と仕事をし始めた。 それを聞いていた藤岡が呟いた。 「勘が鈍いのも見ていて辛いな」
12月のはじめ 夕方職人達が帰った後、修造はヘクセンハウスを作り出した。 パーツは作ってあったので、Puder-Zucker(粉砂糖) 「修造、まだ帰らないのか?」配達から帰った親方が聞いた。 「親方、これ作ったら帰ります」 「すまんな、これ。パンロンドの売上あげる為だろ?」 「俺、勝手させて貰ってるのでこのぐらいさせて下さい」 「俺もやるよ」 「はい」 「どうだい?ホルツの修行は」 「はい、大会を見越して練習しています。 「江川はどう?」 「頑張ってますよ。着実に進歩しています」 「俺、修造が大会に出たところ想像したらゾクゾクするなあ。 「そうなる様に頑張ります」 修造は砂糖菓子のサンタをハウスの前につけながら言った。 「これからみんなにドイツパンを教えて、 「美味いもんな、お前のブレッツェル」 「それしか恩返しの方法がわからないんです。 こっちこそ感謝してるぜ修造、
「親方、泣いてるんですか?」 「いいやあくびしたんだよ、 親方の小さな瞳にキラッと光る水分が滲んでいた。
次の日 藤岡と杉本は一緒にクロワッサンの成形をしていた。 藤岡が杉本に話しかけた。 「あのな」 「なんすか?」 「あったかいものにも色々あるんだよ」 藤岡は整った顔立ちをちょっと近づけて言った。 「はあ」 「例えば?缶コーヒー以外に」藤岡は答えを促した。
「え?俺の心的な?」杉本は自分のハートを指差して言った。 「まあ勿論それもあるけどね。。 「勘が鋭どいんですね」 「俺はね」 え? あったかいものをとりあえずプレゼントすりゃいいんだな? あったかいものそれは、、おれ、
12月中頃 杉本は早番だった。 実家暮らしの杉本の2階の六畳の部屋 ベッド脇の小さなテーブルの上で朝3時半に目覚ましが鳴った。 杉本は手探りで目覚ましを止めてまた手を素早く布団の中にひっこめた。 部屋は冷え切って布団は暖かい。 「うーん起きたくねぇ」 布団の中でしばらく微睡んでいてなかなか出てこない。 「このまま寝ていても、ま、いいか」 すると突然頭の中に風花の怒鳴る姿がうつる。 「何してんのよ!早く起きなさい!」 「うわっ!」
杉本は飛び起きた。 「やべ!あと10分しかない!」 早く行かないとドゥコンディショナーというパンの機械のタイマー 杉本は手早く着替えて家を飛び出し自転車に乗ると全力で漕ぎ出し 「早く〜」 ピューピュー風が顔に吹き付ける。 「寒い」 と、その時「ちょちょ、君待って」 急に声をかけられて追いかけてきた姿を振り向いて見るとお巡りさ 「職質だ!」 職質とは職務質問の事だ。 その若いお巡りさんは、自転車を降りて杉本の自転車の前輪の先を少し足で挟んだ。 まじかに見た制服がカッコいい。 逃げられないようにしてるのかと杉本が思っていると優しく話しかけて来た。 「君、何してるの?」 「今から仕事なんです」 「名前は?」 「杉本龍樹」 「住所は?」 「そこの青い屋根の家です」 杉本は元来た道のずーっと遠くに見える自分の家のシルエットを指さした。 「職場はどこなの?」 「ここからすぐのパン屋です。パンロンドって言います」 「ああ!あの髭のお兄さんのいる所?」 どうやら修造もよく声をかけられるのかお巡りさんも知ってる様だ 「そうですそうです!あと1分で遅刻ですよ」 「そりゃ大変だ!気をつけてね」 お巡りさんは杉本の自転車から足をどけて横に移動した。 「はーい、お疲れ様でーす」笑顔を作ってお巡りさんに爽やかにそう言った後、自転車に乗って猛ダッシュで自転車を漕いだ。 「もう遅刻だよ」独り言を言い、 「おー!寒ーっ」 「確かに!あったかいものが欲しい!」 杉本は1人で声を強めた。
夕方、 「曲がってるわ!丁寧に付けないとお客様に選んで貰えないじゃない! 「はいよ!風花。聞いてくれよ!俺、今朝職質されたんだよ」 「顔が怖かったからじゃない?」風花は笑いながらからかった。 「まあ、そうかもな。遅刻しそうで凄い顔で自転車乗ってたし」 「何時ごろなの?」 「4時ギリギリだったよ」 「えっ」 「10秒前だった」 「そんなに早く?」 「遅く、だよ。寒かったな」 「そうなのね」 風花は何か考えてる様だった。 また黙って包み始めた。 「何?急に」 「なんでもないよ。ねえ、疲れてるんじゃない? 「平気だよ俺若いし」 「私よりって事?」杉本より2歳年上の風花はちょっと口を尖らせ 「そんな訳じゃないよ!」 勘の鈍い杉本もさすがにいくつでも歳の話はデリケートだなと思った。
クリスマス前は心がウキウキする。。 職場と学校から別々に家に帰って来た修造と緑は、一緒に手作りのア 「今日はチョコレートクッキー!」 緑は中に入っていたキャンディ包みになったカフェーシュタンゲを2つ出 修造の作ったアドベントカレンダーは小さな紙袋に1から24迄 順番に毎日ひとつずつ外してお菓子を食べる楽しいものだ。 「はい、お父さんに一つあげる」 「優しいね、緑」 「お父さんにだけよ」 「ありがとう」 修造はチョコクッキーを緑と分けて、 いいもんだなあ、こういうの。 チョコ以外にも甘い時間だった。 「緑はいい子だからサンタさん来るよね」 「ウフフ」 二人で見つめあってニッコリした。 「くすぐったいよ緑」 「アハハ」 うわ!可愛い。 心から愛情が染み出す、緑の笑顔を見て温かな幸せを噛み締めた。
アドベント第4日曜日の次の日、あと何日かでクリスマスだ。 夕方、杉本と風花は2人で帰る所だった。 風花の家はパンロンドから近くて送っていくのもあっという間だ。 風花は以前カッター男に襲われたので、杉本は怪しい奴がいないか通りをチェックしていた。 商店街を歩きながら「年末って感じね」 2人は慌ただしく歩く街の人たちを見ていた。 「あれ?龍樹じゃん」 急に呼ばれて声のする方を見ると制服を着崩した派手な女子高生が 「あ、結愛(ゆあ)」 「久しぶり!龍樹が高校急に辞めちゃって寂しかったんだからね」 結愛は杉本の腕を掴んで自分の方に引き寄せた。
「行こう!」 「いや、行こうって、、」 杉本は風花の方を見た。 「どうぞ、ウチはすぐそこだからもう帰るね」 きっぱりとした口調で風花が言った。 ちょ、ちょっとぐらいあるでしょ? 誰よこの女とか、私の事どう思ってるの?とかないの? さっさと行ってしまう風花の背中を見送った。 「結愛、今彼女と歩いてただろ?行こうってなんだよ」 「だってぇ、久しぶりだったしぃ」 結愛は腕を組んだまま右の足首をクネクネさせて口をとんがらせて杉本を 「高校はどうなんだよ、もう高3だから進学か就職だろ?」 「ヘアメイクの専門学校に行くつもり」 「へぇ」 「ねぇ、さっきのと付き合ってんの?なんかおばさんっぽくない? 杉本は風花がこれを聞いてなくて心からほっとした。 「おばさんってなんだよ、 「龍樹は私といる方がお似合いだよ」 結愛はショーウィンドウに映った自分達を指差して「ほら」 確かに金色に髪を染めた杉本は、派手な出立ちの女子高生と釣り 杉本はガラスに映った自分の姿をマジマジと見ながら言った。 「結愛、俺がしっかりしてないだけなんだよ、俺は今。 「パン屋で働いてんの?」 「そこでは俺をちゃんと導こうとしてる人しかいないんだ、
次の日、江川と修造はパンロンドでバゲットを成形していた。 杉本と風花が一言も口を聞かないのを見て、「 「ケンカかな。ほら真っ直ぐに生地を置いて、 「あ、はい」 コンテストに出るなら一人で全てできなくてはならない。 まだまだ道のりは長い。 「明日からロールインをしてみよう」 「はい」 ロールインとはクロワッサンの生地を薄く伸ばしてシート状にした その時 「うん?」 「あれ?」 修造と江川は同時に顔を見合わせた。 「杉本!焦げ臭くない?」 「えっ?」杉本は慌ててパンを焼く窯の真ん中の扉を開けた。 「あーっ!」 みんなも「あっ!」と言った。 窯の中のラスクが鉄板4枚とも真っ黒になっていた。 「やっちまったものはしょうがないよ」 親方が窯から真っ黒になったラスクを出した。 「親方すみません、上火150度のところ250度にしちゃいまし 「あるあるだな」 みなそれぞれうっかりパンを焦がした事があるので寛容だ。 今日は特に機嫌の悪い風花以外は、、 「あ、ごめんね。焦がしちゃった」 冷たい目で見てくる風花に言った。 「昨日遊びすぎたから頭がぼーっとしてるんじゃない?」 「あの後すぐ一人で帰ったよ」 「本当かしら!つまんないことばかり考えてるから失敗するのよ」 ちょっと自分でも驚くほど冷たく言い放ってしまった。 杉本はそれ以上声をかけなかった。
「風花」 「なんですか修造さん」 普段話しかけてくることのない修造が店にパンを盛ったカゴを持っ 「あいつ、 「わかってるんですけど、、、」 風花はパン棚の方を向いて持っていたトレーのパンを並べ出した。 修造は背中に向かって言った。 「素直になってやれよ」 帰り道、風花は暗い気持ちになっていた。 いつもギスギスしちゃうのは私のせいなんだわ。 冷たい口調で厳しい事ばかり言ってしまう。 私達合わないのかも、気持ちも見た目も。 商店街はクリスマスソングが鳴り、買い物客でいっぱいだった。 下を向いて歩いていると「おばさん」 「おばさんってなによ!」 風花はイライラした。 「二つしか違わないのに!」
「私さぁ、昨日龍樹を見てびっくりしちゃったんだよね。 「ふーん」 「今は龍樹を導こうとする人しかいないとか言っちゃってさぁ」 「あんたもそうなの?おばさん」 「おばさんじゃないってば!」 「龍樹に言っといてよね、また遊ぼうって。ほら、 「あんたとはさぁ」風花をジロジロ見て「違うよねなんか」 風花は言い返した。 「龍樹はだんだん変わってきたわ。 それなのにいつもきつく言ってしまう。 これじゃあダメよね。 風花は心の中で反省した。 「朝だって超早く起きてるんだからね! 最後にキツい口調で言った。 「私が一番知ってるの!二度と邪魔しないでね」 風花は4人の包囲を突き破り、歩幅を大きくして 「結愛!、あんなおばさんほっといて行こう!」 「うん、、、」 龍樹は私達より先に大人になっちゃったんだ。 そう思いながら結愛はポケットに手を突っ込んでブラブラと元来た
杉本はため息をつきながら東南駅の近くにできた巨大なショッピン 「今日失敗したし、風花は冷たいし、ついてねぇ」 俺、勘も鈍いそうだし。 今日の風花は一際キレ味が良かったな。 自分で言う事じゃないなあ。 「色々寒い」 杉本はそう言いながら店の中に入った。 「いらっしゃいませ、今日はどうなさいますか?」 「普通っぽくできますか?俺、心を入れ替えるんで」 「はい!心を入れ替える為に普通っぽく入りまーす」 まだ新しい建物の匂いのする店内で店員さんが言った。
杉本は用を済ませたあと、色々な店を回った。 「それにしても色んな店があるもんだ」 モールから外に出て歩いていると、 「あ、風花」 「あ」 「髪の色が茶色になってる」 「俺、変わろうかと思って」 杉本も横に座った。 「風花」 「龍樹、今日はごめんね。言い過ぎだよね、あれ」 「いや、気にしてないよ」 風花はホッとしてうっすらと涙目になった。 「 「あのさ、俺パンロンドに入って来た時すぐトンズラしようと思ってたんだ」 「トンズラ、、、」 「だけど修造さんがいて、親方がいて、藤岡さんがいて江川さんがいて、そして風花がいて。みんなが俺の面倒を見て、仕事も面白くなってきたし辞めれる訳ねえだろって今は思いだして」 風花は黙って聞いていた。 「俺には風花みたいなしっかりした人が必要なんだ。俺は風花がどんなにきつく叱ってきても全然悪い気がしない。 風化は顔が赤くなった。 「私、いつもそばにいてくれる人がいいの。振り向くといつも見ていてくれて、 「それって俺のことだね」 風花は下を向いて頷いた。 「でも、1人でどこかに行くんなら私多分3日で嫌になっちゃうか 「3日!短すぎるだろそれ」 「冗談よ。じゃあ一週間ね」 「わかったよ一週間以上何処かに行かない」 「フフフ」風花はこのやりとりが面白くてはじける様に笑った。 そしてグリーンの包装紙に赤いリボンの包みを渡した。 「私ねクリスマスプレゼントを買ったのよ」 「えっ」 「はいこれ」 俺にプレゼント! 「やった!」 「先こされちゃったけどこれ」 そして似たような大きさのプレゼントを風花に渡した。 「あ!」包みを丁寧に開けた風花が言った。 「同じマフラー!ウフフ」 「店員さんが言ってただろ。これが一番あったかいって」 ほんとあったかいわね うん、あったけえ 俺たちお似合いだな
おわり — ——————————
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パン職人の修造 江川と修造シリーズ お父さんはパン職人
パン職人の修造 江川と修造シリーズ お父さんはパン職人
今日は修造の二27歳の誕生日
家族3人で仲良く夕飯の準備中。
修造はじゃがいもとソーセージにカレー粉を準備して「今日はカリーヴルストだ」と自分の好物を作ろうとしていた。
右のコンロでフライドポテトを揚げて、左のコンロでソーセージを茹でていた。
ドイツでは夕食はカルテスエッセン(冷たい食事)が定番だが、我が家ではあったかい料理も欲しい。
修造が立っているキッチンの後ろには4人掛けの椅子とテーブルがあり、そこでパンとサラダとハムとチーズを皿に盛りつけながら七歳にな
「ねえ、お母さん」
「なあに?緑」
「よりってなあに?」
「より?なになにより大きいとかのより?」
「ううん」緑は首をふりながら言いにくそうに言った。
「あのね」
「うん」
「昨日紗南ちゃんのうちに洋子ちゃんと遊びに行ったらね、紗南ちゃんママがね、緑ちゃんパパは家出してたけど最近帰ってきて奥さんとよりが戻ったのねって一緒に来てた洋子ちゃんママに言ってたの」
一瞬、緑ちゃんパパって誰の事かわからなかった。
緑ちゃん
パパ
俺?
「ええっ!」
丁度フライドポテトを揚げていた修造は、驚いて網付きバットを持った自分の指に熱々のポテトを置いた。「うわっち!」
あわてて冷水で指を冷やしながら律子を見た。
律子は修造にすまなさそうに「ずっとそんな噂があるのよ。保育園のお友達のお母さんは今ではみんなわかってるんだけど、近所でもお父さんは出て行ったのねって言われてたし、小学生になってからまたその噂が再燃したみたい」
なんだか立つ瀬がなくて立ってる床が抜けそうな錯覚に陥った。
「律子ごめん」と謝るしかない。
「紗南ちゃんと洋子ちゃんも最近お友達になったから、何も知らなくて噂を信じてるのよ。私から言っておくわね」と言って早速電話の受話器を手に取った。
律子は腹を立てている様に見えた、その腹立ちは[なんとかママ]にではなく簡単に噂を信じてそれをまた尾ひれはひれを付けて広める不特定多数の人達に対する漠然としたものの様に思えた。
緑のお友達のお母さんに1人ずつ電話して丁寧に説明をした「ええ、そうなんですよ。うちの主人はマイスターになる為にドイツに修行に行ってたんですよ。オホホホ。まあ、別居といえば別居ですけれども。ええ、それではまた」
オホホホという言い方にわかったか?という裏側の言葉が見えてちょっと怖い。
そして緑に「よりを戻すってね、一度離れたけど元通りになったって意味よ」と律子は説明を続けた。
「お父さんはね、ドイツにパンの勉強をしに行っていたのよ。だからほら!」と言って壁にかけてあるマイスターブリーフを見せた。
「これはね、お父さんがドイツに行ってパンの勉強をして合格したっていう証明書なのよ」
明らかに他のポスターとは違う、価値のあるそれは緑にもとても大切なものだとわかっていた。
「それにね、お父さんとお母さんはとっても仲良しだからね」
「知ってる」
緑は修造が帰ってからというもの毎日ベタベタ仲良しな両親を見ていて他のお家もこうなのかしらと思っていたが、どうやらそうではない様だと最近はわかってきた。
「洋子ちゃんのおうちはお父さんとお母さんが、もう1年ぐらい話してないんだって、一緒のおうちの中にいるのに」
「へぇ〜」
そして緑は修造に「今度の休みの日に学校から帰ったら一緒に空手に行って。田中師範がたまにはおいでって」と言ってきた。
「勿論だよ緑!夕方行こう!」
修造はやっとこの話が終わったのでホッとした。
田中師範とは修造が住んでるアパートの近くの公園で知り合った空手の師範で、小学校や神社でも子供達に空手を教えている。半年ほど緑と通っていたが、修造は最近休みがちだった。
「次の休みといえばホルツに行く予定なので帰ったらすぐ行こう」
「さあ、2人とも座って!お父さんのお誕生日のお祝いをしましょう」
「はーい」
修造は〇〇ちゃんママ達の事をベッカライホルツに行く電車の中で江川に話した。
江川は嬉しそうに「緑ちゃんパパって呼ばれてるんですか?」と言った。
自分の想像もしない所で修造が違った呼び方をされているのが不思議で新鮮だったからだ。
「そう」
修造もそれが不思議だったが、考えてみれば誰がどの親かわかりやすい呼び名だ。苗字も名前も知らなくても子供の名前さえ判っていれば使える。
「さあ、今日もホルツで練習だ!」
修造はホルツに着く手前で張り切って言った。
「はい。僕この間、鷲羽君と勝負した時に6本まで編み込みパンを作ったんです。だけど思ってたより早く鷲羽君が俺の負けだって言ったので親方に習った[ぶちかましスペシャル]は使わなかったんです」
ぶちかましスペシャルってすごい名前だなあ。修造はフフフと笑った。
「一体どんな編み込みパンなんだろう」
「いつか見てもらいますね、緑ちゃんパパ」
「江川まで!やめろよ、、」修造は顔が赤らんだ。
「冗談ですよ、修造さん」
江川が楽しそうに笑いながらホルツに着くとみんなが挨拶してくれた。
鷲羽には自分から「鷲羽君おはよう」と挨拶した。
鷲羽は江川の方を見て照れ臭そうに頭をペコっと下げた。
江川に対して勝手に勝負を挑み、しかも負けた事で大木に注意を受けて、今日は大人しくしておく様に言われていた。
さて、別室で今日も第一審査に送るパンの練習が始まった。
今日は提出するパンの練習を通しでやってみる。
大木は『修造はちょっとしたアドバイスで大丈夫そうだが、江川は細かく見ておかないといけないな』と思っていた。その為捏ね上げから細かく教えていた。
大木がついていて、指導している時は良いが、1人で成形させてみると焼いた時に生地の裏がはじけて割れる。
「少し下火が弱かったな」
「僕まだそこがちょっとわからなくて」
「上手くやろうとして逆に締めすぎてるんだよ」大木もそう言っていた。
「はい」
「発酵も少し若めに焼いてしまったな」
「はい」
江川はまだタイミングがわからなくて悩んでいた。
こんなとこ鷲羽君に見られたらいやだなと思ってドアの外を見たが、職人たちは大木に仕事に集中するように言われていたので誰もいなかった。
ほっとしている江川に大木が釘を刺した。
「江川」
「はい」
「分かってると思うが一次審査は誰でも応募できる」
「はい」
「勿論、鷲羽や園部もだ」
「え」
「つまり沢山の職人が応募するってことだ。一回一回の練習を大切にな」
「はい!」
帰りの電車で不安そうな江川に声をかけた「パンロンドでも生地の発酵と焼く時のタイミングを学ぶ為に色んな人の仕事を見ていくといいよ。明日仕込みはやるから成形に参加させて貰って」
「はい、僕今日初めて沢山応募者がいるんだって気が付きました。もっともっと練習します」
「ライバルは多そうだね」
俺ももっと勉強しないと。自分も同じ立場なんだ。
一次審査は全国から技術の高いパン職人が大勢応募してくるだろう、それに選ばれるようにならないと。
修造と江川はそれぞれ決意を新たにしていた。
「おかえりなさーい、お父さん空手に行こう」アパートに帰ると緑が待ち構えていた。
「うん」
夕方、東南小学校の講堂でやってる田中師範の空手道場に行き道着に袖を通した。
「道着はいいな。気持ちがしゃっきりする」
修造は故郷の空手道場で黒帯だったが、今の所では白帯からやり直し、古武術も習っていて今は五級になり帯の色は紺色だ。
「師範ご無沙汰しています」
「よくきたね。緑ちゃんとヌンチャクを練習して」
修造はヌンチャク「一之型」を練習中だがそれも久しぶりだ。
習いはじめは後ろ手で掴むのも先がブレて上手く掴めない。
右で後ろ手に回したあとまた左手で掴んで後ろ手にまわすのも早くできるようになってきた所だ。
脇にヌンチャクの先を挟み素早く見えない相手を攻撃して元に戻す。回す方が掴む手より早くて指先に当たった。
「イテッ」指をさすりながらその動作を何度も繰り返し練習した。
形の動きも何度もやってるうちにスムーズになってくる。
「おっ!段々できてきた?緑」
「お父さん上手くなったね、次はこうよ」
緑は右手で掴んだヌンチャクの先を後ろに回し、左手で掴んでまた後ろに回して右手で掴んだ。
「これを繰り返して」
「はい」
修造は丁寧に小さなヌンチャクの先生に返事して何度かやってみた。ピュンピュンと回してるうちに段々とコツを掴んでくる。
「緑先生どうですか?」
すると緑は結構上手くシュッシュッと回して見せた。
「敵わないなあ」
鏡を見ながらやるといいな。
何度もやってると突然手がヌンチャクになじんでくる。
おっ!俺、何かコツを掴んだな。
感覚だな。あとは練習だ。
自転車を漕ぐのもヌンチャクの練習もパン作りも一度自分のものにしたらずっとできるんだ。
コツを掴む。行き過ぎは良くない、加減を知る。そして何度も練習だ。
そうだこの話を江川にしてやろう。今日は来て良かったな~
仕事中、修造が江川に昨日の力加減の話をしてバゲットの成形を見ていた。
「生地が荒れたり絞め過ぎないように力加減を調節するんだよ」
「はい」
その時配達の郵便局員が来てパンロンドの奥さんが受け取った。
「田所修造様って書いてあるよ。はい」と言って修造に茶色い封筒に入った分厚いものを渡した。
「なんだろう」
開けるとフランスパンの製法が書かれている洋書の翻訳本が入っていた。
送り主の名前も住所も書いていない。
「親方、本を送ってもらいましたか?」と聞いた。
「え?本?なんの事?」
「親方じゃなかったんですね、本が送られて来たんですが名前も何も書いてなかったんです」
「へぇ〜それは気になるなあ。他の人かもね」
「そうですね」
大木に電話した「あの、本を送って頂いてありがとうございます」
「本?どんな?送ってないけどなあ」
「え?そうなんですか?失礼しました」
修造は鳥井に電話した「あの〜本を送って頂きましたか?」
「いいや、私ではないよ」
「わかりましたすみません」
それから会う人会う人に聞いてみたが皆知らないという。
「誰なのかなあ。江川?」と聞いた。
「僕じゃありません」
「うーんわからないなあ」
俺宛なんだから読めって事なんだ。
ひとまず誰からかとか忘れて読もう。
本の内容はフランスの高名なシェフがパンの歴史や製法、作り手の心構えについて細かく書いてあるものだった。
発酵のところにメモが挟んであった。
『必ず一番良いポイントがやってくる。 その時をじっと待つ事だ』
この字、誰の字だろう。このメモの文字、、、
これって丁度江川の悩んでいるところだけど関係あるんだろうか?
本には詳しい製法が段階を踏んで細かく書いてあった。
新しい発見があり、読むたびにそうか。そうか。と納得していた。
そして何時間も本を読み耽った。
ソファに座って真剣な顔をしている修造。
緑はそれを台所のテーブルから見ながら作文を書いていた。
この作文は今度の授業参観でみんなが読む予定だった。
テーマは自分の家族について。
原稿用紙に2Bの鉛筆で書いていて、緑は思い出した事があった。
お父さんがドイツからおうちに帰ってきた時
ドゲザ
してるのを見たわ
大人のドゲザ
「律子、緑すまなかった」って
その時お母さんはお父さんの背中をさすって泣いてた。
お母さんは怒ってなかった。
お母さんはお父さんを大好きなんだわ。
それに
お父さんにとってパンを作るのはとても大切な事だったんだわ。
私はそんなお父さんとお母さんが大好き。
緑は難しいところは律子に見てもらいながら作文を一生懸命書き出した。
「修造、今度の火曜日は休みなんでしょう?」
律子が聞いてきた。
「うん」
年末でホルツもパンロンドも忙しくなるから今年はもう練習は無い。
「じゃあ緑の授業参観に行きましょうよ」
「うん」
楽しみだけど、なんとかママが沢山いるので修造はちょっと怖かった。
もう誤解は解けたのかなあ。
火曜日、緑は学校に行く時
「お父さん」
「なに?」
「綺麗にしてきてね」緑は顎のあたりをトントンと触った。
緑に厳しく言われてすぐにカットハウスに行き「とりあえずすっきりさせて下さい」と言って髪を短くして髭を剃って貰った。
学校に着いて律子と一緒に緑の教室一年二組の後ろの戸から入る。
平日だからかお母さんが多い。
〇〇ちゃんママ達は修造をチラチラ見ていた。紗南ちゃんママと洋子ちゃんママもこっちを見ている。
うっ、ただ見てるだけかもしれないのに緊張するな。
修造は誰とも目が合わないように真っ直ぐ前を向いていた。
始業のチャイムがなって先生が入ってきた。
先生が挨拶して「今日は生徒の皆さんに順番に作文を読んでもらいます」と言って順番に生徒たちに作文を読ませた。
「次は田所さーん」緑が立ち上がって作文を読み出した、
それはこんなタイトルだった。
【お父さんはマイスター】
「私のお父さんはパンロンドというパン屋さんで働いています。お父さんはパンを作るのが大好きです。大好きすぎて外国に行って勉強していました。毎年クリスマスになると民族衣装を着たテディベアを送ってきてくれました。そのあとテストがあってお父さんはマイスターになりました。そして私が保育園に行ってる時に帰ってきました。外国にいて、きっとお父さんが1番寂しかったと思います。だって日本に帰ってきて走って私達に会いにきた時、とても泣いていたからです。その時に作ってくれたクラプフェンというジャムの入った揚げパンがとてもおいしかったです。お父さんの作るパンはとても美味しいです。私も大人になったらパン職人になりたいです」
読み終わったあと、緑は修造の方を見た。
「お父さん泣いてる」
修造の眼から大粒の涙が溢れていた。
緑ありがとう。
なんて良い子なんだ。
律子良い子に育ててくれてありがとう。
パン職人になりたいのか、そうか。
そう思うと
修造は感動してまた泣けてきた。
律子はハンカチを渡してそっと修造の手を握った。
それを見ていた〇〇ちゃんママ達は緑と修造に拍手を送ってくれた。
修造はしばらくみんなから泣き虫パパと呼ばれていた。
おわり