パン職人の修造 江川と修造シリーズ
催事だよ!全員集合!江川Small progress
このお話は進め!パン王座決定戦!の続きです。催事を通じて少しずつ成長する若手の職人達のお話です。
NNテレビのパン王座決定戦で優勝したパンロンドは新商品の牛すじカレーパン「カレーパンロンド」が爆売れして連日大忙しの日々を送っていた。
店の奥の工場では田所修造がカレーをどんどん仕込み続けていた。
「杉本、玉ねぎ追加ね。」
「はい。」
杉本龍樹(たつき)は慣れない手つきで玉ねぎをカットしてフードプロセッサーに入れ続けていた。涙が滲み出る。
玉ねぎの後は分割丸め、その後はカレーを包む。
液を絡めてパン粉をつけてホイロヘ。
「これっていつまで続くんですかね〜。」
「弱音吐くなよ。」
「修造さん辛くないですか?俺は疲れてきました。」
経験の浅い杉本は段々仕事が身について来ていたが、まだ辛い時がある様だ。
「俺、修造さんについて行こうって決めてますけど、パン屋って大変で全然仕事が楽しくないです。」
修造はカレーを包みながら言った。「言われるがままにやってるとつまらないものだよ。お前はまだ仕事を自分のものにしてないんだろう。
今はまだ出来ないことが多くて、できない事をさせられてると錯覚してるだけだよ。」
「はい、させられてるって感じです。ここの先輩達とは違うんです。」
「先輩ができてる事をできないのは経験が足りないからってだけで、マックスの自分を知ればそれがそんなに大変じゃないってわかるんだよ。
ずっとマックスでいろって話じゃないんだ。一度自分の限界に挑戦してみたら、今やってる事がそれに比べてどのぐらいだってわかるだろ?
まだまだ頑張れるのか、もう限界ギリギリなのか。それを知る為にもう少し頑張ってみたらどうだ。」
修造は「無口な修造」と小さい頃から言われていて、普段あまり話さないが、こんな時は長い話をしたりする。
「生地の面倒をいい感じに見てやって、最高の状態の時に焼く、それが俺たちの仕事なんだ。」
修造はカレーパンの生地をポンポンと手のひらで弾ませて言った。
「でも〜」
「お前は今まで何かの限界に挑戦したことがあるか?」
「う〜ん。」
修造の問いかけには答えられなかった。
限界なんて言葉なかなか自分の生活の中になかったし。そんな一生懸命熱く生きるなんてカッコ悪いと思ってたし〜
俺、初めはパン屋で働くなんて簡単だと思ってて、漫画に出てくるパン屋さんみたいに手を動かしてたら生地が勝手にできると勘違いしてたもんな、と杉本は思った。
江川さんなんて修造さんに食らい付いて行ってるって感じだな。修造さんの成形の速さに追いつこうとしてるもん。
とそこへ丸太イベント会社の食品催事部門の蒲浦(かばうら)がやって来た。蒲浦は地味な紺色のスーツを着た、抜け目なさそうな目つきの男だ。親方にすり寄って来た。
「柚木社長!お久しぶりです。いや〜テレビ拝見しましたよ!美味しそうなパンで優勝してらっしゃいましたね。」
親方の柚木は成形の手を休めずに答えた。「どうも〜蒲浦さん。優勝したのは俺じゃなくて修造だよ。今日はどうしたの?」
「はい、実は今度うち企画の催事でパンフェスティバルを開催するんですが、ぜひパンロンドさんにも出店して頂きたいと思いまして。」
「うち今忙しいからね〜そんな余裕あるかなあ。」と言って他のメンバーを見た。
「うーん、もう少し従業員増やすか、仕込みのパートさんを探さないとちょっと大変そうかなぁ〜」
「1ヶ月後港の近くの公園で催事があるんですが。現場でカレーパンを揚げて販売して頂きたいんですが。」蒲浦は畳み掛けて来た。
「ちょっと製造と相談してみますね。」
「はい、是非お願いします!引き受けてくれないと僕会社に帰れません!」
蒲浦のやつ大袈裟だなあと思いつつ親方は今の蒲浦との話を修造に説明した。
「ひと月後に催事ですか?現場に行かなくても良いんなら俺は頑張れます。」
あまり目立ちたくないタイプの修造は言った。
「それと今は工場で6人体制でやってるのでこれ以上人を増やすと入りきれないですね。ローテーションでやりますか?」
「そうだなあ。俺、そのうち2号店を出そうと思ってるんだ。今のうちに人を育てとこうよ。」と親方が言った。
「わかりました。催事の時はカレーパンを向こうで揚げるんですか?誰が行くんです?」と修造が言った。
「そりゃあ。。」
親方は杉本と江川を見た。
「えっ?」
江川卓也は驚いて言った「親方僕を見ないで下さい!修造さんが行くなら僕も行きます!」
修造は絶対行きたくないので言った。
「江川、こないだNNテレビで一緒にカレーパン揚げたろ?あんな感じだよ。」
それを聞いていた杉本が「江川さん、まだ日にちもあるし今から練習しましょうよ。」と言った。
「生地の面倒をいい感じに見てやって、最高の状態の時に揚げる。それが俺たちの仕事なんですよ。」
修造は驚いた!杉本は自分がさっき言われた言葉をそのまま使ったのだ。
さっき弱音吐いてたくせにとちょっと呆れたが「まあ、2人で頑張れるだろ。これも経験だよ。」と締めくくった。
何日かして、親方が面接した青年が採用になりパンロンドにやって来た。
「藤岡恭介(ふじおかきょうすけ)です。よろしくお願いします。僕レストランで働いていました。」
藤岡はシュッとしたイケメンで、手先が器用ですぐに仕込みの手順を覚えた。なんならもう杉本より早い。
親方はうちには個性的な面々が多いが藤岡って色々とスマートな奴だな〜と思っていた。
修造は藤岡に色々教えながら
「藤岡君って仕事覚えるの早いよね。」と言った。
「ありがとうございます。」藤岡はキリッとした表情で答えた。
「そろそろ慣れて来たので明日は一人で朝の早番をお願いします。こないだ教えた手順でやったら良いからね。わからなければここに書いてあるから。」と修造はメモを指さして言った。
「はい、了解です。」藤岡は爽やかに答えたが、密かに顔が引きつっていた。「一人で、、、」
次の朝4時、早番の藤岡から修造に電話がかかって来た。
「はい、もしもし?藤岡君どうしたの?え?怖い?何が?」修造には何の事かわからなかったがとりあえずパンロンドに急いで行った。
「修造さ〜ん!」と言って藤岡が腕に抱きついてきた。「なんだよ?」「怖かったんですよ〜!僕が一人で作業してたらそこのタッパがガラガラって崩れたんです!誰もいないのに!僕一人で作業なんて嫌です!」
なんなら半泣きの藤岡はビビりきって修造から離れない。修造はそのタッパが崩れたところに見に行って「きっと積み方が悪かったんだね。」と明るそうに言った。困ったなあ。確かに一人で作業してる時に物音がすると驚くけどここまでかなあ。怖がるから藤岡君だけ早番は無しでなんてみんなに言いにくいし。。
藤岡は次の朝のローテーションの日が迫って来たら段々表情が暗くなってきた。
杉本が積んでた計量用の缶に当たって崩してしまった。ガラガラガラカンカン、、と音がした。「キャア〜!」藤岡が怖がって叫んだ。「藤岡大丈夫だって!今のはただ缶が崩れただけだから。」となだめたものの、仕事のことならアドバイスできるが怖がりってどうしたらいいんだろう?
修造は親方にそっと事情を話して「とりあえず明日の朝は俺が出ますから。」と言った。
「そうなの?ごめんね修造。」
「大丈夫です。」
さて、杉本は江川に偉そうに言った手前、本当に練習して催事までにそこそこ上手くカレーパンを包んだり揚げたりが出来る様になってきた。
そしてとうとう催事当日。
パンロンドの奥さんは張り切ってカレーパンののぼりを作っていた。
「これ持って行ってね!いってらっしゃい〜!催事がんばってね〜。」
「パン王座決定戦で優勝!カレーパンロンドだって、奥さん商魂たくましいな~」江川は修造がいない催事が不安だったが杉本が張り切ってるのでちょっとだけ安心した。
「じゃあ行って来まーす。
車に催事に必要なものを詰め込んで江川と杉本は出かけた。
「いってらっしゃい!気をつけてね。」
お店の奥さんが見送った。
工場では朝から催事の準備をしていたので、今度は店の分のパンを急いで準備しないといけない。
修造は藤岡と組んで仕事をしていった。
江川はまだ免許を取った所で初心者マークを車に貼り、慎重に運転していたが、カーナビの「もうすぐ左です」と言うのを一筋間違えて民家と民家の間の細い道に曲がってしまった。
「江川さん!今通り過ぎた道を曲がるんでしたね。」
「え!どうしょう!戻らなきゃ!」江川はパニクってどこかで方向転換して元の道に戻ることにしたが、慌てて右手の民家の柵にぶつかりそうになり、反対に行き過ぎて路肩の溝に左の前輪を突っ込んでしまった。
ガクン!
「うわー!どうしよう!修造さーん!」江川はそこにいない修造の名前を叫んだ。
外に出て2人で動かそうとしたが荷物を沢山積んだ配達用のバンは重くなかなか手強い「江川さん、俺が催事場に遅れるって連絡の電話するんで江川さんは店に電話して貰えますか?」
杉本が冷静で良かったと思いながら震える手で修造に電話した。
「もう着いたのか?準備できた?」
「それが僕、溝に車を突っ込んじゃって動かないんです。どうしましょう修造さん!」
「え!まだ着いてないのか?冷やしてある生地がじわじわ発酵してくるだろう?早く行かなくちゃ!」
「助けて下さい!すぐ来て下さいよう。」
修造は電話を切って親方に説明した「あいつまだ免許取り立てなのに一緒に行かなかった俺にも責任があります。今からもう一台の車で現場に行って荷物を催事場に運びます。もう始まってしまうので。」
「わかったよ。ここは任せて気をつけて行っておいで。藤岡君も一緒に行ってきて。」
「わかりました。」
2人は教えられた現場に到着した。江川と杉本は並んで修造を待っている所だった。「2人とも怪我はないか?」「はい。でも催事に間に合いません。」
「杉本、牽引ロープを持ってきたから、こっちの車で引っ張るんで江川と3人で溝から車を浮かせてくれよ。」
「はい。」杉本は車にロープを縛り合図した。
修造はバックして前の車をゆっくりと引いていった。3人がかりで車を傷つけないように何度か動かして溝から浮かせた。
「やったー!」
「車は?」
「大丈夫そうです!」
「よし!急いで全員で行って準備するぞ!」
「はい!」
2台の車は催事場に着いた。
蒲浦が慌てて来て修造に「いや〜無事で良かったですね!準備お願いします。」と言った。
「蒲浦さん、すみません遅れて。」
荷物を運びながら他の店を見ると結構沢山の人が並んでパンを買っている。
「出遅れたな。とりあえず持ってきた生地をなんとかしないと。失敗するとカレーが破裂するからな。」
公園には合計30軒ほどのパン屋がいて、各ブースに設置されたテーブルに店の自慢のパンを並べて販売を始めていた。サンドイッチ専門店、焼きそばパン専門店、ベーグルやメロンパンの専門店など目移りする。
「どれも旨そう。」杉本があちこち見ながら言った。
レンタルしたプロパンが先に到着していたのでフライヤーのセットを藤岡が、江川が店構えのセットを、修造と杉本はカレーパンを包み出した。成形した生地にシートを被せて発酵させ良い感じの時に揚げていく。
「藤岡、江川と一緒に呼び込みしてどんどん売って行ってくれよ。」
「はい。」
藤岡はニコニコと、江川はキュルンと笑顔を振り撒き人を集めた。
「杉本、両面を同じ色に揚げろよ。火力に注意して。」
「はい。」
杉本は揚げ色を揃えるのに集中した。
170℃の油にカレーパンを入れるとブクブクと泡が出てきて、パンの裏面がまず膨らんでいく。すぐに裏返して表面も膨らませる。白いパン生地はだんだん狐色になり裏返してまた狐色に揚げる。
包むのが下手だと生地の中でカレーが偏り勝手にクルンと裏返ったり傾いて、同じ所だけ色がつき過ぎちゃったりするが、今日は修造が包んでるので揚げやすい。
「よし!全部綺麗に揚げるぞ!」
江川はほっとしていた。
車も無事動いたし、修造さんもいてくれて良かった〜。
それに藤本さんって結構完璧だよな。そつがないというか。杉本君も凄い真剣、と言うか怖い顔して揚げてる。一生懸命なんだな。
僕もお釣りの計算を間違えないようにしなきゃ。
4人は力を合わせてどんどんカレーパンの販売を進めて行った。
そこへ修造に親方から電話がかかってきた。「はい、ええ、最初焦りましたが順調です。生地ばもう全部成形しちゃいました。あとは揚げるだけです。」「そう?手が空いたから追加の生地と材料を持っていくよ。」「わかりました。」
しばらくして親方がやってきた。「親方、これ全部成形してどんどん揚げていきますね。」
「はーい、よろしく〜。」
親方は生地を修造に渡して、後ろから一歩下がってテキパキ指示してカレーパンを販売していく修造を見ながらちょっと感動していた。みんな上手くまとまって仕事してるな。頼もしいぜ修造。俺は今日のこの、みんなが和気あいあいとしてる所を忘れないぞ!
修造はそのうち独立するだろう。残念だけどお前はうちでずっといてる器じゃないんだ。感謝の印に俺はどんなわがままでも聞いてやるからな。
「修造、俺戻るからね。あとよろしくね〜。」「はい。」
親方が帰ったあと、「みんな、交代で休憩に行って来て。」と修造が声をかけた。
江川は色んな店を見て回った。
隣はあんぱん屋さんかあ。あんぱんしか売ってないのかな?
その次はサンドイッチ屋さんか〜可愛い花みたいなフルーツサンドイッチもあるし、惣菜をサンドしたガッツリしたものもあるな〜
次はバターにこだわったクロワッサンのお店か。フランス産のバターを使ってるのかあ。
そして次はメロンパンのお店、メロンパン各種、そしてベーグル屋さん。20種類あるのかあ。こんなに沢山焼いて挟んで袋に入れて持ってくるの大変だったろうな。
僕こんなに沢山のパンの種類を見たの初めてだ。
江川は色んな店から沢山買って袋いっぱい持って帰ってきた。
勿論隣のあんぱんも買った。
「江川、どうすんの?そんなに沢山。」
「テヘ、ついつい買っちゃっいました。みんな一緒に食べてよ。」
色んな店のこだわりのパンを分けて味見して、「色んな店があるんですね〜。」とみんな口々に言った。
「そうなんだ、このベーグルの店は国産小麦とオーガニックに拘(こだわ)っていて女性の心を鷲掴みにしてる。そしてこのフルーツサンドも流行りの先駆けとなった店のものなんだ。ここのクロワッサンはエッジの効いたシャープなラインが素晴らしい!」修造が熱く語り出した!
「そしてこれを食べてごらん。」
修造はあんぱんを江川に味見させた。
「あ、これ!想像と全然違います。自分の思ってたあんぱんのはるかに想像を超えた美味しさです。」
「だろ?これはどんな拘りがあるのか試しに隣で聞いてきてごらん。」
え?あのおじさん怖そう。だけど美味しかったなこのあんぱん。
江川は恐る恐る隣に近寄って行った。
「あの〜、おじさんはここのオーナーの人ですか?」
「あー隣の子だね?そうだよ。」
「このあんぱん、すごく美味しかったです。どんな所に拘ってるんですか?」
「これはね十勝産の小豆から作ってる極上餡(あん)なんだよ。うちのあんパンはね、豆本来の甘味を存分に堪能できる餡が包んであるんだ。豆の選別は重要だし、渋きりで渋をよく取ったり、味がさっぱりとしてキレがいい様にザラメを使ったり。生地は国産小麦に米粉を少し配合して柔らかさを出してあるんだ。全部の工程に拘ってこのあんぱんができているんだよ。」
「それにこれ、そんなに大きくないのにずっしりしてるだろ?」
「はい。」
「薄皮に包んで餡子を堪能できるようにしてるけど、大きかったら食べるの辛いだろ?」
「はい。」
「ところが俺はそう思って作ってるけど、みんながみんなそうじゃない。世の中にはあんぱんひとつ取ってみてもそれはそれは沢山種類や作り方があるんだ。その店のシェフの拘りがあるのさ。」
「ここに来てるお店はみんなそうやって拘りがあるんですね。」
「そうなんだよ。催事は初めてかい?」「はい。」
「そのうちこの業界の色んなことを見たり体験したりするようになるよ。」
「ありがとうございました。」
すごく良い人だったな、それにあんなに真面目にあんぱんだけを作ってるんだ。
僕もこれから色んなパンに挑戦して最後には自分のパン作りを見つけるのかな。
何かわかった感じになって江川が戻ってきたので修造が「どうだった?」と聞いた。
「僕多分ずっとパンを作ると思います。最後の自分のパン作りを自分で見てみたいので。」
「いいね、俺も見てみたいよ。」
すると杉本が「最後の自分の自分でってどういう意味ですかあ?」と聞いてきた。
「自分が行き着くパン作りって何かって事だよ杉本。」
「気の長い話だなあ。」
そう言いながら杉本はずっとカレーパンを揚げ続けた。
意地になって両面を同じ綺麗な揚げ色にするのに集中した。
港に近い公園は時々涼やかな風が吹き、絶えずイベントにお客さんが訪れ続けた。
パンロンドのカレーパンを買った人達は揚げたてのカレーパンをハフハフと言いながらスパイシーな味わいを楽しんでいる。
「衣がカリカリだわ。」
「カレーが美味しい。」などお客さんが喜んで食べてくれている。
それを見て修造がちょっと嬉しそうに『したり顔』をしている。
催事も終盤に差し掛かり、他の店も売り切れたり品数が減る店が多くなってきた。
「あと少しで売り切れです。」と江川が報告してきた。
「頑張ったね。」修造がみんなに言った。
杉本が「俺、全部自分一人でちゃんと揚げる事ができました。途中意地になっちゃったけど、楽しかったです。」
「そうか、良かった。達成感あったな!」「はい!」
「俺達は片付けて車に運んで行こう。」「はい。」
修造と杉本は台車に荷物を乗せて運んでいった。
その時、販売中の藤岡に「おい。」と声をかけてきた男達3人が現れた。
横にいた江川は3人を観察した。3人とも同じような170cmぐらいの背丈で黒髪を短くしていてそんなに派手な出立ちではない。どちらかと言えば地味でまあまあダサい。
真ん中の黒いブルゾンの男が話しかけてきた。「藤岡!久しぶりだな。お前が店を辞めてから働いてるパン屋が出てるって言うから見にきたんだよ。」
藤岡は黙っていた。
「へぇー!パンロンドって言うんだ!」3人はにやにやしながらのぼりを見て「後で話があるから公園に来いよ!」そう言って去って行った。
「ねえ、何?今の。」江川が聞いてきた。
藤岡は一気に表情が暗くなった。
「さっきのは前の職場の同僚だったんですが、俺がみんなより先に色々と仕事を任されるようになって給料も上がった頃からギクシャクし出して、ある時ひと晩真っ暗な倉庫に閉じ込められたんです。」
「え〜!ひどい!」
「それから暗いのとか物音とかすごく怖くなってしまって。」
「それで前のとこ辞めたんだ。」いつの間にか戻ってきた修造がそれを聞いて言った。
「修造さん!元の職場の人達が藤岡君に後で公園に来いって言ってました!」
「へぇ。じゃあさっさと片付けて会いに行こうよ。」修造と杉本が2人でやる気を出してきた。
「藤岡君、俺達車に荷物を全部仕舞いに行ってくるから蒲浦さんが来たらもう帰るって言っといて。」
「はい。」
藤岡は3人が行ってしまった後、急いで蒲浦を探して「パンロンドです。もう片付けたので帰ります。ありがとうございました。」と言って公園へ走って行った。
「みんなの気持ちは嬉しいけどこれは俺の問題なんだ。」
藤岡は真っ暗な道を公園に向かって走って行った。
公園の真ん中にはそこだけ明るい照明のついた時計のついている柱があり、3人はその下に立っていた。
藤岡は息を切らして「話ってなんだよ。」と言った。
「お前なんで急に辞めたんだよ。俺達に挨拶もしないで。」
「俺を1晩閉じ込めといてよく言うな。俺が倉庫にいるってわかってて鍵をしたんだろ?電気も消して!」
「さあな、なんの事だか。」
「閉じ込められたんなら中から呼べば良かったろ?」
「よく言うよ!そのまま帰っただろ!仕事でも毎日の様に嫌がらせしてただろ?忘れたとは言わせないぞ。」
「俺達はお前のものわかりの良い1を聞けば10を知るみたいなところがイラついて腹立つんだよ。出来杉君!」
そう言って2人が藤岡を羽交締めにしてもう一人が前に立った。
「うわ!」殴られる!
そう思った時、藤岡の前に立った男の頭に丸めたエプロンが当たってバサッと落ちた。
驚いて見るとパンロンドの3人が走ってくる。
「こらー!やめろ!」
「なんだお前ら!」
藤岡が2人の手を振り払い3対3.5で向かい合って立った。0.5は修造の後ろに隠れている江川だ。
「お前ら、嫌がらせなんて陰険で小さい奴らだ!悔しかったら藤岡を仕事で抜けば良かったんだろ。人の事をうらやんでる暇があったら自分がもっといい仕事してみろ!」
修造の話を聞いて藤岡も続けた。「あのままお前達と同じ所で働いて。同じようになるのが嫌だったんだ。」
「なに!」
さっきのやつがまた藤岡の胸ぐらを掴んで首に力を入れてきたので、その手首を掴んで「おい!藤岡を離せよ!そいつはパンロンドの藤岡だ。もうお前達とは関係ない!2度と俺達に関わるなよ!」と修造が怒鳴りつけた。
そして調子に乗って杉本がファイテイングポーズをとって近寄り一人と揉み合いになった。
その時、ズザーンと音がした。
一瞬修造達に気を取られた真ん中の奴に藤岡が一本背負いを決めた。
倒れた男から藤岡が一歩下がった。
突然のことで地面に倒れた男を囲んでみんなポカーンとしている。
江川が気を利かせて「あの〜パンロンドって偶然すごい腕っ節の人達が集まってるんですよ。怪我人が出ないうちにもうお帰り下さい。騒ぎになったらあなた達も損ですよ。」
と言って倒れた男を起こして「さあさあ。」と3人を促して帰した。
それを見てみんな「江川が1番度胸あるかも。」と思っていた。
3人を見送りながら「おれ、学生の時柔道やってました。今度怖いことがあったらそれが霊でも一本背負い決めてやります。それに。」
藤岡は真っ暗い道を見て「おれ、さっきあの道を必死で走ってたら怖さを忘れてました。俺には仲間もできたし。孤独でもない。もう怖いものはありません。」
「俺、パンロンドの藤岡なんで。」
「そうだな。」
2人は顔を見合わせてフフと笑った。
おわり