2021年04月06日(火)

小説 パン職人の修造 第3部 パンの世界大会

 

パン職人の修造 第3部 パンの世界大会

ドイツから日本に帰って来た修造は、空港からアパートに直行したが律子達は留守だった。

その足でパンロンドに走って行った。

 

「親方!奥さん!今帰りました!律子と緑は?」

久しぶりに会った親方と奥さんはとても喜んだ「おー!修造ーー!さっき保育園にお迎えに行ったから早く行って」と駆け出した修造に大声で言った。

修造は保育園まで走って2人を探した。

律子と緑は手を繋いで流行りのCMの歌を歌いながら歩いて来た。

「あっ」

前から修造がやってきたのを見て、律子は驚いた。

「ごめん」

息を切らした修造は大きくなった緑を見て涙が溢れてきた。

「馬鹿じゃないの?」律子は道の真ん中で不器用な男に大声を出した。

「どんな顔をして修造に会ったらいいかわからないじゃない!」

 

修造

長い間自分の前から姿を消していた修造が目の前にいる。

「そんなに泣かないでよ」そう言いながら修造を見つめた。

相変わらず綺麗な白目が青く透き通った修造

嘘のない姿

律子は自分の気持ちを確かめる為におそるおそる修造の手を握った。

「律子ごめん」

修造は律子を抱きしめた。

 

「会いたかった。」

律子は修造の前よりもっと分厚くなった胸板におそるおそる顔を埋めた。

6歳になる緑は。走ってきた大男をみて「助けて~」と大声を出すか迷ったが、どうやら違うようだ、、

それどころか大男が緑に手をつないで来てもお母さんは何も言わない。

ーーーー

 

アパートに帰って緑はお土産の民族衣装を着たテディベアを渡された。

「あ!」この子の兄弟をくれたのはもしかして???

緑の玩具箱の上に、似たような民族衣装を着たテディベアが5つ並んでいる。それは毎年サンタさんがくれたものだったのだけど?

 

 

 

緑はニコニコして座っているヒゲモジャの大きな男の人を見て「おじさんは誰なの? サンタさん?」と聞いた。

修造は緑を膝に乗せて「お父さんだよ。」そう言って優しく微笑んだ。

 

お父さんとはなんだろう。

保育園にはお母さんがお迎えに来る子と、お父さんがお迎えに来る子と。

お父さんとお母さんがお迎えに来る子がいる。

緑はお母さんしか知らない。

ずっとお母さんと2人で暮らしていてこんなに大きな男の人が家にいた事はなかった。

生意気盛りの緑は修造に「邪魔なヒゲモジャオジサン」と言い、からかうように笑った。

修造は緑に好かれる様に髭を綺麗に剃った。

「ちょっと待ってて」

台所でリンゴをカットしてレモンを入れて甘く煮込んだ。クラプフェンの生地に、リンゴのコンフィチュールを包み、揚げて粉糖を振ってお皿にのせた。

「食べてごらん、美味しいよ。」

「ホントだー!」緑は食べたことのない味の柔らかなあつあつの揚げ菓子に驚いた。ほんのり甘いクラプフェンにりんごの素朴なあじわい。

「美味しい!」そ

してお父さんからお菓子の作り方を聞きたがった。

「お母さんにクッキーを作ってあげよう。」修造は赤ちゃんの時の緑しか知らず、慣れない手つきでクッキーの型抜きをしている姿を見て生きてるって凄いなと思う。

「律子ありがとう。本当にごめんね」土下座をして謝る修造の背中を抱きしめた時の匂いは以前のままだった。

「修造」

修造は多くを語らない。だからいつも修造の表情から全てを読み取っていたわ。

依然と変わらない修造。愛してる気持ちを思い出すかも。

 

ーーーー

 

修造は親方のところで働き、ドイツのパンの中で店の購買層にあったパンを提案して売り出すと同時に、パン学校の生徒を面接して入社させて生地作りを教え始めた。

お店の奥さんは律子にお店を持った時にやる事や、焼き菓子の包装、会計の仕方も教えだした。皆が次の動きに向かって動いてる感じがした。

 

やがて修造にとって新しく運命の出会いが訪れる。

ーーーー

 

修造と律子は以前より結びつきを強く感じていた。

ドイツに行ってた間のブランクを埋める為に事更に優しくした。

 

修造は神社であった空手の田中師範に会いに行き、緑に道着を着せて一緒に走ったり、蹴りと突きを一緒に練習してなるべく触れ合いを持つ様にした。

お世話になった鳥山シェフに会いに行き、親方に恩返しした後、国へ帰ってパン屋を開業すると告げると、シェフは「そうなんだ!」と言ってパン業界の色々な事を教えた。

そして修造を業界最大のパンやお菓子の展示会に連れていった。

大きな会場に様々なパン屋やケーキ屋にまつわる資材、機械がブース毎に並べられていて、会場の奥ではパンのコンテストが行われていた。

鳥山シェフが大木シェフというコンテストの重鎮を紹介してくれた。「今は25歳以上のシェフと21歳以下の若手が組んで世界大会に出る為の選考会が行われているんだよ。」

修造は選手の技術の高さに衝撃を受け、釘付けになった。

 

パンの世界は奥が深い、追っても追ってもキリがないんだ。目をキラキラさせて見ている修造を見ていた大木シェフが大きな手で修造の肩を掴んで言った。

「1年後の選考会にお前も出ろよ! 俺が練習見てやるよ!」

1次審査、選考会に勝ち抜くと世界大会へのチケットが手に入る。

修造は店に戻り18歳になったばかりの新人江川拓也に

「世界大会に出よう!」と声をかけた。

 

江川は修造が日本に戻ってから色々な技術を教えていた若者だ。

「せ、世界大会ですか?」

「2年後に。」

「俺とお前は別々に選考会に出るんだ。それでどちらかが落ちたら2人では出られない。選ばれたらの話だけどな。」

修造は江川を若手のコンクールに勝たせて、世界大会に助手(コミ)として一緒に出ないかと持ち掛けた。2人で今から練習を重ねれば行けるかもしれないと思ったからだ。勿論修造が世界大会の代表選手に選ばれなければ無い話だ。

 

次の日もう一度2人で展示会に行き、高い技術の職人が作ったパンを感心して眺めていると大木シェフが声をかけに来てくれたので、江川を紹介して、いつシェフのところに特訓に行くか決めた。

それから2人は過去の世界大会の出展作品や動画を調べたり、参加店を廻ったりした。

修造と江川は1次審査の課題を大木シェフの店の研修室で作り、冷凍で送った。

程なくして審査通過の知らせが届いた。

選考会の課題は自慢のパン部門、サンドイッチ部門、ヴィエノワズリー部門、芸術作品部門(パンデコレ)があり、江川と特訓を重ねた。

芸術作品の飾りパンに関しては選考会と世界大会の時の2種類が必要だが、世界大会の時のテーマは1年前に知らされる。

エーベルトに習った飾りパンを懐かしく思い出しながら色々選考会用の日本画風のデザインを描いてみた。

どうやったら伝わりやすいのかイメージを固めるのに時間がかかった。街に出ても何をしてもどんなものが良いのか考え続けた。

修造は律子とソファに横になりながら何か良いイメージはないか聞いてみた。「修造が育った山の花々はどう?紫の可愛い花が咲いてたわ。」「紫の花か、、」修造は緑の周りの飾りを色々考えてみた。地元の山々は高山で、夏になると道端には無数に紫の葱坊主の様な形の「ヒゴタイ」や淡い紫色の「ヒゴシオン」が咲いている。

「無数に夕顔も咲いてたな。。それをパンで表現できないだろうか。」

修造は試行錯誤を重ねてみた。「花のたおやかな感じをだすぞ。」

他のテーマと技術面に関してもシェフに相談して、対策を教えてもらい、2人で時間内の成形と焼成、重さ、大きさの正確さなどできるように何度も練習した。

緑は小学生になって、空手は頑張って8級になった。

道場で習って来た形を修造にやって見せ、ヌンチャクも練習しているところなので、一緒になって家で練習して律子に危ないと叱られたりした。

 

 

緑はもうすぐお姉ちゃんになる。

病院に一緒に行って先生に「どうやら男の子の様ですよ。」と言われて3人で大喜びした。

 

ーーーー

 

世界大会へのチケットが貰える、日本代表選考会そして江川の出る若手コンクールの選考会が近づいてきた。

修造と江川は2人で前日に荷物を運び、近くのホテルに泊まっていた。

「とうとう当日になったね。悔いのないように今までの練習の成果を、全力を尽くして出そう。」試合の度、師範に言われていた言葉だった。

世界大会の出場権を手にする為に様々なパン屋の職人が練習に練習を重ねてここに集まっている。

持ち時間は8時間、粛々と細かい計画をこなしていかなくては時間が足らない。

修造が素早くパーツを組み、花を施した。江川はサポートし続け、様々なパンを成形していき2人で仕上げ並べていった。

速さと丁寧さは上手くいっていたが、それは他の選手も同じ事だ。出来上がりを審査するシェフが各選手の作品をチェックし続けた。片付けも審査対象になる。2人はやり残しがないかチェックしながら終了時間を迎えた。

 

 

疲れた江川の肩に手をやり「頑張ったな」と声をかけ合った。「精一杯やりました。」今頃江川は手が震えて来た。

選考会3日目、今度は江川の若手コンクールの日だ。江川は正確で丁寧に仕上げていった。プレゼンも修造と違いはきはきと爽やかにこなした。

全ての選考会が終了し、後は世界大会に出る選手と助手が誰なのか知るだけになった。

修造と江川は並べられたパンの前に立ち、審査結果を待った。2人の点数は思ったより高く世界大会の出場権を手にする。

沢山の拍手を貰い急にスター選手のように写真を撮ってくれと言う人に囲まれた。

大木シェフにお礼を言い、今度はもっと練習が待ってるぞ!と喝を入れられ2人は緊張感が込み上げできた。

ーーーー

 

パン職人の修造はパンを作り始めて10年経った。自分が誰かと結婚したり、父親になったりするなんて、何年か前は想像もできなかったのに、また新しい家族が誕生する。修造はワクワクが止まらなかった。

出産が近づいてきた。

「律子、ありがとう。今の自分があるのは全部律子のおかげだよ」

律子は修造の目を見て、笑った。「昔も今も修造は変わらないわ。いつも私を愛してくれるもの」

修造がドイツに行った時、私は素直じゃなくなって心を閉ざしたわ。でも今になってみたら修造は私達の為に日本に帰ってくる費用も節約して仕送りしてくれてた。私達がドイツに追いかけて行くべきだったのよ。。

律子はずっと後悔していた。

2人目の男の子は無事生まれ、名前は大地(だいち)と名付た。緑と大地。まさに故郷の山々を連想させる広大な名前だ。「みっちゃん、大地だよ。」産院のガラス窓から生まれたての大地をみっちゃんに見せた。「大ちゃん〜! 可愛い〜!」

 

 

世界大会の芸術作品部門の課題は「文化」だった。

和装の女性はどうだろう、後ろ向きにして帯から美しく模様を表現できないだろうか。修造は江川に色々デザイン画を描いてみせた。

「和装の柄を色々調べてみましょう。」2人で考えて試作を重ねた。

修造は着物の柄を熱心に研究し出して、彫り師のようにステンシル作りに没頭した。

「いつも何かに熱く燃えてる修造、あなたは私の道標だわ。次に修造がどこかに行ってしまうなら、私は地の果てまでもついていく。」

 

フランスでの世界大会が近づいて来た。

フランスに行く前に修造と江川は飾りパンの用具を慎重に、忘れ物が無いように梱包して送った。心配だったが、無事に届けと祈るしかなかった。2人でギリギリまで帯の模様を手品のように手早く作る練習をしながら、修造は必死について来てくれる江川に心から感謝していた。

行こうか江川

はい

大会には大木シェフ、修造と江川、応援の人達で行く事になった、材料を調達したり送った荷物を確認したりして準備は整い、大会が始まった。応援の声を聞きながら全力を尽くした。

各国のブースが並ぶ中、開始の音がなると会場の選手が一斉に製造をはじめた。細かく決めたタイムテーブルの順にミスなく進めて行かないと時間が足らなくなる。

ヴェノワズリーも色を変化させ和装の帯の紋様を順に変えて飾り、カンパーニュに半分ラズベリーを混ぜて陰陽のマークにしたあと着物の柄のステンシルを施した。

手際良く仕上げる修造を江川は絶えずサポートし続けた。

修造と江川は立ち姿の女性の着物の帯に美しく色を変化させながら柄を貼り付けていき、帯の中央にはアゲハ蝶の羽を取り付けていった。そして着物姿の上に光輪の飾りを2本つけた。

 

 

「修造さんカッコイイ。」江川はその背中に見惚れた。

「僕、修造さんに出会えて良かったです」

 

制限時間までに片付けを済ませ、やり残しが無いか確認してから他の国もそれぞれタイムアップになった。

沢山の審査員が修造の作品に高く点数を入れ優勝を果たした。

修造を助け続けた江川は最優秀助手として評価を頂いた。

 

修造は世界大会で優勝した。

「頑張ってきて良かったですね!」

「そうだな」

江川はさっきまで燃えてたのにこの人明らかにテンション下がったなと思い驚いた。修造さんってコンテスト、ドイツ、世界大会と、ひとつ山を超えると次に行きたくなる男なのかも。

 

ーーーー

 

日本に帰った後は、2人ともマスコミの取材を受けたり、修造の苦手なテレビに出たりと忙しく過ごした。お店はお客さんで大行列で、親方と江川、中堅の職人や新しい新人達と製造を続け、クリスマス時期にはドイツ時代エーベルトに教わったシュトレンを販売すると、本場の味が話題になり、お客さんが絶えない日が続いた。

親方が修造に話しかけた。

「修造が来た頃は、体力があって物覚えが早くて良い職人になると思ってたけど、突然ドイツに行くって言い出した時は内心どうなるかと思ったよ。」

「本当に長い間2人を面倒見て頂いてありがとうございました。親方には感謝しきれません」

「修造、お前はここにずっといてる器じゃないんだよ。自分の店を作ってもっと沢山の人にお前のパンを食べてもらうんだぞ」

修造は親方の為にしっかりと人を育ててから独立した。

 

ーーーー

 

郊外に土地を探し、律子や江川と一緒に理想のベッカライLeben und Brot(生活とパン)を作った。

駐車場と庭は広く花が咲き、子供達が遊び、カフェが併設されていて綺麗な広い工場でパンを作り続けた。

ある時、律子が花の手入れをしていて、修造が子供達を芝生で遊ばせていると、パン好きのカリスマ小井沼という男が取材に来た。

「初めましてシェフ、僕は今パン好きの聖地って言う雑誌の編集をしてまして、是非Leben und Brotも取材させて頂きたいんですが。」

修造は江川を呼んで「イケメンだろ? 表紙にしてくれよ」と笑っていった。

修造は小井沼の質問に丁寧に答え、ドイツに行った経緯を伝えた。「じゃあ奥様は5年間日本で修造シェフがお帰りになるのを待ってらしたんですね。凄いことです。」

「全部僕の我儘なんですよ。妻には迷惑をかけました」

小井沼はこの事を気をつけて書かないと修造が悪い印象を受ける恐れがあると思った。江川と修造が写真撮りをしている間に律子に話しかけた。

「先程のお話なんですが、奥様はどんなお気持ちだったんですか?」

「確かに私ははじめ驚いてドイツ行きを受け入れませんでした。でも修造はずっと誠意を見せてくれていました。置いていったんじゃないんです。私はドイツに追いかけて行く事もできたのに行かなかった。修造は何も悪くないんです」

「愛してらっしゃるんですね、修造シェフを」

 

 

小井沼は修造と律子と子供達の家族写真を撮った。

しばらくして出た雑誌には江川が表紙に。中程のLeben und Brotの特集には家族4人の写真と、「時を超えた夫婦の絆」というタイトルの記事が丁寧に書かれていた。

「小井沼さんありがとう」

律子は感謝した。

 

 

Leben und Brotは世界大会の覇者がいる店として沢山の雑誌に載り、遠方からも沢山の人が訪れた。

2年ほど経っても土日になると行列が絶えることなく、経験を積んだ江川は立派なパン職人として成長していた。

「江川」

「はいなんですか」

「このままいけば順調に行くよ、この店はお前にやる」

「えっ!」

「俺は律子と子供達と田舎に帰ってパン屋をやるよ。」

「えー!」

修造は以前から考えていた、律子と子供達の為に生き。自分なりのパン屋を作ると。

何も考えずに仕事を決め、高速バスに乗ってやってきた時は何一つ知らなかったけれど、今の自分はパン職人として色々な経験と知識を得つつある。その全てを自然に溶け込ませて、素直なパン作りがしたいんだ。

「江川、元気でな」

おわり

やっと律子と再会した修造。

修造はドイツから帰ってなんと世界大会に挑戦しました。マイスターになったらドイツに残ってそのまま職人に仕事を教えるか、その後帰って店を持つかです。修造の様に世界大会を目指すのは珍しいですが、そこはパンの楽しいお話なので、、

パンの世界にも色々あります。若いうちにフランスに渡って修行して、フランスパンのコンテストに出る人もいます。世界各国のパンを勉強したがる人もいます。そんなシェフのお店のパンはきっと美味しいでしょうね。

そして本文では割愛しましたが、世界大会にも色々あります。モンデュアル・デュ・パン、クープデュモンド・デュ・ラ・ブーランジュリー、iba カップなどそれはそれはレベルの高い勝ち抜き戦で、何度も審査を通過したシェフだけが世界大会に出る事ができます。そしてそれに優勝するのは並大抵の事ではありません。どうやったらこんなに美しいパンができるのかしらと見惚れてしまいます。

世界大会に出る為に何年も前から準備をしていく方が殆どです。

パンの世界は奥が深いですね。

小説 パン職人の修造 第2部 製パンマイスター

小説 パン職人の修造 第4部 山の上のパン屋編


2021年03月27日(土)

小説 パン職人の修造 第2部 製パンマイスター

 

パン職人修造 第2部 製パンマイスター

 

修造はナッツのコンテストで優勝してから、セミナーや講習会で他店のシェフと交流する事が多くなった。

修造の顔写真が優勝者の欄に貼られて業界に広く配られたので向こうから気が付いてくれる事も多い。

色々話を聞く内に、何か資格を取ったらどうかと言われ、そこで初めてマイスターの事を聞いた。

「マイスター?」

「そんな制度のある国もあるんだよ。もっと詳しいシェフもいるから紹介しようか?」

取得にはとても年月がかかるそうで、語学学校に行きながら2年半修行して、ゲセレの資格を取り、その後頑張ったらマイスターの試験に合格するとかで。

マイスター制度のことに興味を持った修造は、紹介して貰ったベッカライボーゲルネストという店の鳥山シェフを訪ね、そこで生まれて初めてドイツパンと出会う。

 

 

店には沢山のドイツパンが並び、厨房で鳥山にワリサーブロートやロッゲンブロートを試食させて貰い、その美味さに衝撃を受けた。

メアコーンブロートにレバーケーゼを、プンパニッケルにクリームチーズを塗って試食した。

「美味い」

「ライ麦の香りと酸味がいいだろ?」

「はい、今まで食べたことが無かったんです。勉強不足でした」

「これからもっと色んなパンに出会うよ」

修造は鳥山シェフにドイツの事を詳しく聞いた。

ドイツはパンの国であり、1,800種類以上もパンがある事、英語ならまだ耳に慣れているが、ドイツ語は難しい事など。

しかし若い時に身につけた技術は一生の宝になるとも言われた。

修造はまだ見ないドイツに思いを馳せ、ついにはドイツ行きを決心した。

まだまだパンの世界には知らない事がいっぱいある。

それを確かめてみたい。そんな強い気持ちに駆られた。

だけど律子に何て言う? 緑は生まれたばかりだ。

そんな事はできない。

 

ーーーー

 

修造は帰ってから親方に相談した。

親方と奥さんは「そんなに勉強したいのなら、私たちが2人の面倒を見るから行っておいで」と言ってくれたが、、

とにかく期間が長い。。

悩みに悩んだ。

 

 

俺には律子と緑がいるんだ

行くなら早い方が良い

 

この2つが頭に交互に浮かぶ。

どんどん時間が経っていく。

 

修造は再び鳥山シェフのところを訪れ悩みを打ち明けた。

「決めるのはお前だろ? もし行くなら全力で後押ししてやるよ。職場と学校を紹介するから渡航の準備をしておけよ」

修造が賞を取り、店は有名になって益々忙しくなっている。

自分が抜けたら大変だろう。

 

でも

 

人生はこの後も長く続くだろう。

自分ははっきりとした証が欲しい。

そしてその後の人生も律子と緑と一緒に生きたい。

 

ーーーー

 

「あの、、」

緑を抱いている律子に修造は話しかけた。律子は修造の表情を見た。

「何か言いたいことがあるんでしょう?」と言って、緑を寝かしつけてソファに座った。

修造のドイツに行きたいという話を聞いて律子はみるみる涙目になる

「そんなの納得できるわけないでしょう! 私たちが離れ離れになるなんて、そんな事出来るわけないじゃない!」

「ダメな事はよくわかってるんだ。だけど。。」

その後は2人とも何日か葛藤の日々が続いた。

 

ドイツ行きの資金は今まで開業のためにしてきた貯金で何とかなるでしょう。

でも私達はどうなるの? 修造がいないなんてそんな事考えられない。

どこにも行っちゃダメ。

律子は泣きすぎて胸が苦しくなった。

 

「俺は行ってくるよ。絶対最短で帰ってくるから待ってて欲しい」

無口な修造が心から絞り出して言った。

 

嫌だそんな辛い事。

 

でもそれでは修造の為にならないの? ここで修行したら良いじゃない。

 

ーーーー

 

ドイツ行きの日は迫ってきた。

どうしてこんな辛い事が起こるの。

律子の妹の園子は慰めた。

「行かせてあげるの? ひょっとして5.6年なんてあっという間かもよ。5年前を振り返ったら今日まであっという間だったじゃない? みんなで緑を育てようよ」

律子は泣くのをやめた。

絶対私と緑のところに帰ってきてね。

 

ーーーー

 

修造は鳥山シェフに頼んでドイツでの職業訓練校や職場を斡旋して貰った。

週に3日学校、4日はパン屋さんで働き、何年かしたらゲセレ(パン職人の資格)の試験を受けて合格したらゲセレになれる。修造が目指しているマイスターの資格試験はまだまだその先の事だ。

緑を抱きしめてると心が揺らいだ。

こんなに小さな子を置いていくなんて自分は鬼の様な心を持っている。

パン屋で働き始めた頃はなんの目標もなかったのに、今は夢中になってもっと上を目指したい。

その気持ちに勝てないんだ。

緑ごめんね。

 

ドイツで資格を取るまでは会えないかもしれない。

働きながら学校へ行き資格を取るのは中々生活が苦しそうだ。

貯めたお金をいかにケチケチ使うかと言うことも考えなければならない。

律子ごめんね。絶対二人が困らないように仕送りするから。

 

修造は行ってしまった。

 

ーーーー

 

しばらく律子は毎日泣いて暮らしていた。

そのうちこんなに苦しいならいっそ憎んだ方が楽になれるかもしれない。

私は緑を守っていかなきゃいけないんだもの。

そう思うようになっていった。

 

律子の心に冷たい何かが生まれ、修造の事を忘れなければ辛すぎると考える様になっていく。

私は緑だけを守らなきゃ。

パン屋の奥さんの勧めもあって、律子はパン屋の工場で働き始めた。

以前はここで修造が働き、修造が使っていたものを使っている。

寂しい、、会いたい気持ちが強くなってきたら辛いだけだわ。

一方、修造はドイツの職業訓練校に通いながら、パン工場での実習が始まった。全く言葉が分からない。帰ってからはドイツ語の勉強。そしてまたパン工場と目まぐるしく毎日が過ぎていく。

 

 

修造がやって来たドイツの町は以外にも四角い白い建物に四角い窓が多い町で、人口が多く日本人には住みやすい所だった。学校も近いし川が近く公園も多い。

寮の食器棚の上に律子と緑の写真と、持ってきた黒帯を飾った。

疲れて横になると毎晩思い出すのは律子と緑のことばかりだった。

自分は何をしてるんだ、このまま毎日を過ごしていれば目標に辿り着けるのか。

毎日焦りが大きくなっていく。

 

修造の修業先の店は大きな街の外れにあるHeflinger(ヘフリンガー)という店で、見たことのない様な大型のミキサーが3台、6段の窯が2台、出来上がった生地が延々と流れてきて成形を続けた。

マイスターがいてみんなにシェフと呼ばれている。職人は色んな国籍の人が居てみんなここに来て働いている事情はまちまちだ。パン部門とお菓子部門は仕切られていてそこに各々職人や見習いがいる。

とにかく早く言葉を覚えなきゃ、、そう思ったが元々自分は人と話すのが苦手で標準語もままならなかった。

 

ーーーー

 

先輩のノアがドイツ語の分からない修造にイライラして時々キレた態度でいたが、近くで仕事してるので避けられない。

こんな時は本当に分からないふりをしてぎこちない笑顔を向けた。

 

何千個とモルダーに生地を入れ続け、成形して並べて運ぶ。

そのあと機械の清掃。

日本でのパン作りとは比べ物にならない量のパンを朝から多くのお客さんが買って行く。

店員さんはクールだが、愛想よく話しかけると親切に接してくれる。

 

ある日工場の奥でブレッチェンを成形していた、最近では上手く出来る様になってきた。

なにか店から騒ぎが聞こえる。

どうやら店に強盗が入ってきた様だ。

みんな急いで見にいくと、店員さん2人をナイフで脅しているところが見えた。

修造はパンロンドで見たナイフ男を思い出した。

今度は怪我しないようにパンをオーブンに入れる木のスコップ(ピール)を持ってきて、男の前に立った。

女性従業員の首に鋭いナイフを突き立てている最中のナイフ男にこっちだと言うように「ドン!」とピールを床に突いて音を立てた。

男はナイフの切っ先を修造の方に変え、ドイツ語で何か叫びながらナイフをまっすぐ突き刺してきた、後から考えるとあれはお前から始末する!と言っていたんだろう。

修造は左から棒で腕を掬い上げてからそのままもう片方の腕に叩きつけた。

 

 

ナイフが落ち、そのまま男を倒して正拳突きを胸に放った。

男を裏返してピールをを背中側の右袖から左袖まで服にカカシの様に通して、「紐ある?」と聞いて、ビニールテープで両腕とも棒に縛り付け、足も縛った。

その一部始終を見ていたノアは、修造を忍者と呼ぶ様になった。

「なあ忍者、俺にその棒を振り回すのを教えてくれよ」と作業中の修造の横に立ってしつこく言ってきた。

それ以降毎日ノアに棒の「一の形」を稽古させた、引き換えに種起こしのやり方や生地作り、ドイツ語の製パンに纏わる言葉を残らず書き出して貰い、ノアが何度も一の形をやっている横で自分も書いて覚えた。

ノアは仕事終わりに修造の部屋を訪ねてきた。その時はビールを飲みながら、ドイツの職業訓練の仕組みや、発酵の事などを教えてくれた。

なかなか自分のことを話さない修造に「なあ忍者、お前は何をそんなにガツガツしてるんだ。なぜそんなに早く日本に帰りたい? ドイツじゃゆとりある仕事しかしないぜ。せっかく来たんだ、ゆっくりやろうぜ」と聞いてきた。

修造は日本に妻子がいて、1人でドイツに来た。出来るだけ製法について沢山勉強し、一刻も早く戻りたいとたどたどしく伝えた。

 

ーーーー

 

一方その頃日本では、律子は緑を保育園に通わせ、自分はパン屋で働いた。

9時から16時まで働き、なかなかパン作りは難しいと新ためて思った。

この時になって初めて修造の実力について改めて知る。

 

自分には修造の穴埋めはとてもできないんだわ。

毎日疲れてソファに横になる修造を思い出し、「あれだけの仕事量をこなしてたんだから無理もない」と初めて納得した。

お店から見ていた修造の素早い動き。もっと見ておけば良かった。

だが会いたい気持ちを抑えるにはそのことさえ封印した。

そうしなければ愛で自分は壊れてしまう。

 

毎日緑を保育園にお迎えに行き、手を繋いで歌を歌って帰り、パン屋さんで貰ったパンとおかずを一緒に食べ、夜は抱きしめて子守唄を歌った。

「緑は私が育てる」

 

 

一方ドイツでは

ノアの協力もあって、修造は片言ながらまあまあ話せる様になってきた。

自分の与えられた仕事を凄い速さで済ませ、ノアの仕事を随分手伝わせて貰った。お礼に空手の「一の形」と「二の形」を教えて毎日みてやった。

ノアは形の時の気合の入れ方が随分上手くなってきた。

修造の部屋に置いてあった黒いボロボロのロープを見て、

「なあ忍者、これはなんだ?」と不思議そうにノアが聞いた。

「それは空手の黒帯だよ。黒帯は頂いた瞬間から大切にずっと使い続け、そのうち帯の端が擦れていくんだ。責任を持って黒帯を締め、鍛錬をするんだ」

 

ーーーー

 

仕事帰り、街を歩いていると向かいから背が高いヒゲモジャのおじさんが歩いて来た。

腕が太くお腹が出ていて、リュックを肩にかけていたおじさん。

なんだかあのおじさん上腕二頭筋と胸筋が発達していてパン屋のおじさんみたいだなと思いながら歩いていると、突然後ろから黒い服の男が走ってきておじさんのリュックをひったくってこちらに走ってきた。

おじさんはドイツ語で待て〜と言いながら追いかけて来た。

修造はすれ違い様に黒い服の男の内股を足で引っ掛け、掬い上げてから街路灯のポールにぶつけ、男が跳ね返ってきた所をリュックを奪い取って胸を突いた。男はもう一度街路灯に打ち付けられ背中を強打した。

 

 

修造はその手でおじさんにリュックを返して、黒い服の男にもう片方の拳を見せた。言葉にすると長いが一瞬の事で、おじさんも男も「今一体何が起こったんだ」と思った。

男が逃げ去るのを見届けてから、修造はおじさんに何も言わずに立ち去ろうとした。

慌てておじさんが太い腕で修造の腕を掴んだ。

「まてまて、お前は一体何者なんだ⁉︎」

 

おじさんに連れられて、近くのカフェで二人で話した。

自分はパン職人で、早くマイスターになって日本に帰りたい事、その為に学校へ行く資金をプールし、帰国準備をしなければならない事をおじさんに言うと、急におじさんは大声で笑い出して言った。

「ボウズ! パンのことなら色々教えてやるからお前は俺のところに来い!」

よくわからないドイツ語でゆっくり話して貰うと、おじさんはエーベルトベッカーと言うマイスターで、パン屋のオーナーだった。

エーベルトにすっかり気に入られた修造は休みの日に直接パン作りを教えて貰える事になった。

 

 

大きな公園の見える山小屋風のエーベルトベッカーは、代々続くパン屋で、手作りのものばかりで、都会の機械に囲まれた工場よりも素朴だった。

店の棚には大型の田舎パンが並び、修造は珍しくてひとつひとつをゆっくり見て行った。

その後は石臼でその日の分の小麦やライ麦を挽いたり、1日おきの種を見て説明して貰ったり、種を作らせて貰ったり、生地を手ごねしたり薪でパンを焼かせて貰ったりとめちゃくちゃ楽しい時間を過ごせた。

エーベルトは修造に薪窯の温度管理を細かく教えた。

灰を掻き出し水のついたモップで拭いて水蒸気を発生させ、パンをピールにのせて滑らせ窯へ入れる。

窯で焼けたばかりのパンにチーズをのせたらこの世のものとは思えないほど旨かった。

修造は休みの日にエーベルトの店に入り浸った。

いつか自分もエーベルトの様なパン屋ができたら。

修造は自分の目指すものが見つかった気がした。

「修造よ。マイスターとは若手に製パン技術を教え、知識を教える立場なんだよ。伝統的な技術や決められた製法を守るんだ。いつかお前もマイスターになったらお前が教わった様に下のものに継承して行くんだ。」

修造はこれまでの人生で常に年上に可愛がられてきた。これは自分に与えられた徳なんだと薄々感じてもいた。田舎で空手を教えてくれた師範、パンを教えてくれた親方。鳥山シェフ、神社の師範。

みんな元気だろうか。

そして律子と緑は。

何度となく律子にメールや手紙を出したが、律子からは段々そっけなく返事も間隔が開いてきたと感じていた。

それでも緑の写真を送って欲しいとメールを送ったが、律子からの返事は無かった。自分のした事を考えるとそれも仕方のないことかもしれない。

 

 

 

そんな頃

ヘフリンガーに2年違いでに入ってきて、お菓子の勉強をしている日本人の女の子の麻弥が色々話しかけてくる様になった。

麻弥はナイフ男をカカシの様に縛った時その場にいて、色々興味を持ったらしくて、修造に話しかけたり何かと行動を共にしてきた。

「修造、次の休みにみんなでクリスマスマーケットに行ってみない? 珍しいレープクーヘンが沢山売ってるから勉強に行きましょうよ」他の人達も一緒に行くと誘われて同僚何人かとクリスマスマーケットに出かけた。

生まれて初めてこんなに煌びやかで飾りの凝ったマーケットを見た。

広い会場に屋台というよりも、しっかりとした作りの小屋が並んでいて、それぞれの店に所狭しとクリスマスのものが並んでいる。

「凄いなあ」

甘くて酸っぱいシナモン味のグリューワイン(ホットワイン)を飲んだ。

寒かったので何杯か飲んでほろ酔いになり、会場の店を見て廻った。

麻弥は何度も寄り添ってきたが修造はずっと気がつないふりをしていた。

麻弥から離れて観覧車を見ていた時すぐに見つかって麻弥が駆け寄って来た。

麻弥は華やかなタイプで正直ちょっと苦手だ。

腕を掴まれ綺麗な観覧車を二人で見ながら「修造、私修造のことが好きなの。私と付き合って」と詰め寄って来た。

この時初めて麻弥の顔を見た「自分は結婚していて、奥さんと子供がいるんだ。もし麻弥と付き合ったら、自分の性格では麻弥のことも自分の奥さんのこともどちらも裏切れないと思う。自分は日本に戻って律子とパン屋をする為にここにいるんだ。だからごめん。」と言った。

無口な修造にすれば頑張った方だった。

麻弥とはそれ以来疎遠になり、店であっても何も言わなくなった。ごめん麻弥。お互い遠くからやってきた者同士、頑張れよと思うことしかできない。

 

ーーーー

そのすぐ後

なんとか試験に出そうなドイツ語や教科の内容を勉強し、修造はゲセレの試験を受ける時期に来た。

 

実技では、テーブルいっぱいに自分の技術を凝らしたパンを並べる。

修造はエーベルトが丁寧に教えてくれた飾りパンを思い出しながら作った。

赤や緑色の生地で薔薇とRosengarten(薔薇の庭)の文字を綺麗に飾った。シンプルで大型のパンにステンシルを施して並べ、大型のカゴにプレッツェルやブロッチェンを盛りつけ。デニッシュは2色の葡萄を、マンデルクーヘンにチェリーを並べた。

修造の成績は中々のものだった。

やっとゲセレの資格を取得できた。

ほっとしたがまだ道の半ばだ。

次の目標に向かって学費を貯めつつ勉強しなければならない。

修造はなんとか捻出して仕送りをしていた。これは絶対断らせるわけにいかなかった。今のところ示せる唯一の誠意なんだ、何年たっても律子を愛している。なのに自分は何をやっている。

 

ーーーー

 

2年後、修造は親友となったノアにや世話になったヘフリンガーのみんなと別れを告げ、とうとうマイスターの試験の為に本格的にFachschulen(ファッハシュレ)と呼ばれる高等職業学校で勉強をしだした。

後は試験に合格しなくては。マイスターの試験はそう何度も受けられない。

日本に帰ったらドイツで学んだパンを作り、地元の人達に食べてもらいたい。そんな風に考えていた。

その前に律子と緑がお世話になっている親方のところで、自分の覚えた技術で下の子を育てよう。そのあと田舎に帰って自分の店を作ろう。

修造は色々なワクワクが止まらなかったが、試験のことともう一つ、律子がとても冷たい感じがしているのが気がかりだった。

メールは返事が無かったが、今はこんな感じだとまめにメールを送って自分の気持ちを伝え続けた。

修造は最近になってやっと『自分の気持ちを他人に伝える大切さ』を学んだ。

試験後、修造はやっとマイスターになる事ができた。エーベルトがお祝いをしてくれ、お別れを寂しがった。お世話になった皆んなに別れを告げ、今度は3人で来るからと約束した。

 

 

律子からメールが届いた。

「私、修造がくれたメールや仕送りに入ってた手紙をいつも読んでいたわ。早く帰ってきて欲しかった。会えないのが辛かった。どうして私達をこんなにほっておいたの。いいえ、何故かはわかってる。あなたはきっと以前とは比べ物にならないぐらいパンの技術を習得したんでしょう? 私達はただ離れ離れになってたわけじゃない。修造は早く私のところに帰ってきて、沢山の人のためにパンを作らなきゃいけないわ。そして私がそれを見届ける。でなければ長い間離れてた甲斐が無いわ。」

それは律子からの愛のメッセージで、パン職人の妻としての葛藤のメッセージでもあった。

律子、今すぐ走って会いにいきたい。

 

おわり

 

第2部も最後まで読んで頂きありがとうございます。このお話はフィクションで、実在する団体とは無関係です。

若いうちに修行して、腕を身につけて店を出すパン屋さんは多いです。しかし一生のうちに店を出すのは一度きりと決まっていませんので、何度勉強に出かけてもいいし、いつ勉強したりどこかの店で修行したりしても良いのです。

修造の中で1番胸を揺さぶられたのがドイツのマイスター制度だったのでしょう。

マイスターのブログなどを読んでいると、何年もかかったと書いてる方が多い様です。ここでは早く律子の元に戻さなくではいけないので、5.6年と言ったところです。

今はゲセレになる為に企業が面倒見てくれる所もありますので、どんな形で行きたいのかよく調べて決めるといいと思います。今はドイツでもマイスターを目指さなくてもお店を持てるそうです。外国から来た方もパン屋さんを営業してる人が多いそうですよ。

何をするのも覚えるまでは大変なものですが、一度身につけた技術は一生ものです。

自分の店を持つなら開店前にできるだけいろんな世界を見てみたいですね。

ドイツのクリスマスマーケットですが、各主要都市に毎年大きなマーケットが開かれます。ちゃんとした木の家みたいなお店が並び、服や置物、お土産など様々なクリスマス関連のものが販売されています。

ドイツのお菓子といえば日本ではシュトレンが知られていますが、Lebkuchenレープクーヘン(ジンジャーブレッド)も可愛くて楽しいお菓子です。ハチミツ、アーモンド、ナッツ、香辛料、スパイスなどが入っていて、クリスマス時期にはハート型の生地に色とりどりのアイシングやチョコレート飾りや文字を施したものが沢山作られ、マーケットではリボンをつけて壁にぶら下げて販売されています。

小説 パン職人の修造 第3部 世界大会編

小説 パン職人の修造 第4部 山の上のパン屋編


2021年03月20日(土)

小説 パン職人の修造 第1部 パンと律子と青春と

 

パン職人修造 第1部 パンと律子と青春と

1 はじまり

山育ちの田所修造は無口な子供だった。

山々に囲まれた集落は眺めがよく静かに育った。

幼い頃から近くの空手道場に通い、師範について空手の修行をしていた。

空手には形と組手があり、どちらも師範の教えに沿ってコツコツと自分のものにしていく。

頭の中は空手のことしか無かった。

鍛錬をして納得のいく形の習得が出来た時は生きがいを感じた。

やがて黒帯になり、師範代として子供たちの指導をすることもあった。

 

 

高3になった。

とうとう里を離れ働かなくてはならなくなって、学校の壁に貼ってあった求人募集の適当な所を指差し、関東にあるパン屋「パンロンド」の面接試験を受ける。社長の柚木(ゆずき)は皆から親方と呼ばれていた。親方は身長が高く体つきのしっかりした修造を「力持ちそうだ。」と気に入った様だった。

「就職先が決まった」と師範に告げた時、師範はとても寂しそうで見ていると辛かった。

実家を出て、海を渡り1人高速バスに乗ってやってきたパンロンド。

パンロンドはパンの輪舞と言う意味らしく、親方曰く「パンが楽しそうに踊っているイメージ」だそうだ。

店は東南駅の西に続く商店街の真ん中にあり、お客の年齢は様々志向も様々なので、色々なアイテムを取り揃えていた。1番の人気はハード系の山形の食パン「山の輝き」。

 

 

街も仕事も初めてのことばかりだったが、空手時代は様々な空手の型を学び、礼儀正しく、絶えず師範の教えを守ったので、その甲斐もあって、仕事場でも礼節を守り、親方の仕事を学んで実践した。

真面目で吸収率の高い修造を親方と奥さんは可愛がり身内の様に大事にした。

 

2 運命の出来事

街の商店街のパン屋「パンロンド」で働き始めて2年が経った。

親方と職人3人。人も入れ替わり工場は自分が入ってきた頃とは違う配置になった。

親方に仕込みから焼成など一通り教わって出来る事が増え、やり甲斐を感じてきた頃。

「パン屋の仕事って楽しいものだろ?」

「はい親方」

本当に楽しい、物作りって自分の作った物が結果として目に見えてわかる。

修造は言葉には出さなかったがそんな風に思っていた。

 

ーーーー

 

そんなある日

パンロンドに店員として高梨律子が入ってきた。

お店の奥さんが「田所君、こちら高梨さんよ」と紹介してきた。

「高梨律子です、よろしくお願いします」律子が挨拶して修造の方を見たその時。

「、、、どうも」

 

 

律子と目が合った、顔が赤くなり今までなかった程ドキッとする。

なんて笑顔の美しい人なんだろう。

姿だけではない、何か自分にピタッとはまる魂と言うか

この人しかいないと言うか、、、

とにかく気になって仕方がない。

これを運命の出会いとか言うのかな、、、

 

工場で仕事しながら気もそぞろで、親方にばれそうだった。

全く話しかける事ができないまま日々は過ぎていく。

それどころか挨拶も出来ない不甲斐無さだった。

ふぅ~!俺って駄目だな、、そんな風に思いながら工場で仕込みをしていると

お店から「きゃあ!」と言う律子の悲鳴が聞こえた。

見るとナイフを持った痩せた男が入ってきて律子を突き飛ばした。

大変だ!

それを見た修造はなぜ入ってきたかもわからない男に素早く掴みかかった。

普段、空手で人を傷つけるなどと言うことは考えられないが、ナイフを振りかざして工場に入り、親方に何か怒鳴り出した男の腕を抑えようとした。

男は抵抗し、修造目掛けてナイフを振り降ろしたので、彼は咄嗟にナイフを掴んでしまった。

ギリギリ親指と人差し指の間でグッと力を入れたが親指の付け根が切れ、血が滴り落ちた。

 

 

ナイフを掴んだまま、男の右脇腹に中段膝蹴りを入れた。

「グハッ」と言って倒れた男は、息ができないのか苦しそうに呻いている。

修造は男の背中に膝を乗せて動けなくした。

警察が来るまでなんとかしなくては。押さえつけながら両腕と両足を紐で縛ったので、あたりは血だらけになりどちらが流血したかも分からなくなった程だった。

「修造大丈夫か?」

親方は自分の代わりに修造が怪我したと思い慌てた。

タオルを修造の手に巻きつけながら

「ごめんよ修造。凄い怪我じゃないか」

「大丈夫です。大したことありません」

犯人は以前遅刻と無欠勤を繰り返して退職に至った男だったと親方から聞いた。

親方をずっと恨んでいたそうだが、我が身を振り返って反省したらいいのにと修造は思った。

律子は修造の荷物を持ち病院に付き添った。

 

「大丈夫ですか?」

普段は温厚で無口な修造が、律子をかばう為に頭に血が昇った所を見た。

きっと私の為なんだわ

 

ーーーー

 

利き手を怪我して包帯が替えにくいだろうと、律子は毎日手当てをしに修造のアパートに行った。

自分の為に毎日包帯を替えてくれる律子を見て、修造は心から愛しいと思ったが。

 

 

でも

いつまで経っても何も言わない修造。

律子は修造を見つめながら言った。

「きっと自分からは何も言ってくれないのね」

「え、、」

「正直に言って下さい」

「あの」

「あの?」

「俺と、、」

「付き合って下さい」

「はい」

一生涯で1番ドキドキした瞬間だった。

 

ーーーー

 

律子も自分の事を好きでいてくれる。

修造は毎日が幸せだった。

律子が気になって仕事が手につかない。

「バカね修造。恥ずかしいじゃない」

そんな修造を見て、彼女はお店の奥さんに事情を話して転職することを決め、その後修造と一緒に住み出した。

アパートと言っても小綺麗で清潔で明るい部屋で、窓からはお日様が燦々と差し込んでいた。

 

 

「今日どこ行く?」

2人ははいつも休みの日を合わせ、街に出てパン屋巡りをして楽しむことが多かった。

修造は色々な店の外観やパンの質、流行りの傾向、従業員の人数などを見て廻った。

街のパン屋のカフェでランチを楽しみながら、律子に「ねぇ、田舎のお母さんに野菜を送ってもらったでしょう? 何かお返しした方がいいわ。 一度も田舎に帰ってないし、たまには連絡したら?」と言われたが「うん」とだけ答えて母親に何も連絡しない。

修造が無口で何も言わないので、律子はいつも修造の表情や雰囲気で全て察するしかなかった。

修造の若々しくエネルギーに溢れ、青く透き通った瞳から本当なのか嘘なのかとか、どのぐらいの熱量が言ってることにあるのかとか判断するしかなかったし、律子はそれが人より得意だった。

たまに「修造」と言ってこちらを向かせて律子への気持ちが真っ直ぐな事を律子も見ていた。

なので他の恋人たちよりも幾分多く見つめあう回数が多かった様だ。

打ち込む性格の修造は仕事で全力を出した。

律子は夕飯の後、疲れて眠る修造を横に読みかけたままのパンの本を見たり、1人ゲームをしたりして過ごすことも多かった。

パン屋の仕事は4時からだ。修造は律子を起こさない様に寝顔を眺めてからそっと出かける。

まだ外は暗く星が煌めいている。

田舎に住んでいた頃は星が降りそうな程見えたが、都会ではそうはいかない。それでも朝の空気は澄んでいた。

一歩パン工場に入ると、まだ人々が寝静まってるとは信じられないほど皆忙しく働いている。

シャッターの閉まった表の通りからはとても想像できないが、開店前のパン屋は忙しい。

仕込みをする人、成型をする人、焼成をする人、品出しをする人、サンドイッチをする人、袋詰めなどをする人。皆、開店時間に向けて動いている。修造は仕込みを任されていた。

4修造の心配

生地を練ってミキサーの様子を見ていると、親方が「修造はいつ結婚するんだい?」と聞いた。

「考えてはいるんですが」

「のんびりしてたら律子さんに逃げられちゃうぞ」

親方は冗談っぽく言ったがそれはちょっと心配なところだった。

このまま何も言わないで律子と離れてしまうなんて考えられない。

でもこの後もすれ違いの生活は続くだろう。

「律子いつもごめんね、時間も合わないし悪いと思ってる。でも今の仕事が好きなんだ。パン屋に勤めてて良かったと思ってる」

「修造、私パンを作ってる時の修造を素敵だと思ってたわ。だから今のままでいて欲しい」

2人はたまにこんな会話をしていた。

 

ーーーー

 

2人の住んでるアパートの近くに、大学生になった律子の妹 園子(そのこ)が部屋を借りて時々訪ねて来る様になった。

「ねぇお姉ちゃん。修造さんと仲良くいってる?」

「自分から何も話さないけど、優しさの塊りみたいな人よ。大切にしてくれる」

「優しさの!凄い、、」

「今度プチっとバースデーパーティーしてくれるのよ。その子も来てね」

そんなのろけを妹は時々聞かされたが姉の律子が幸せそうで嬉しい。

 

ーーーー

 

「お姉ちゃん誕生日おめでとう! これみんな修造さんが用意してくれたの? 羨ましー!」

この日修造は結構頑張って律子の為にパーティー料理を準備した。

テーブルの上にはフルーツを盛ったケーキとお洒落に野菜を飾り付けたローストビーフ、薔薇の花の形のサーモンを施したタルティーヌが置かれている。

「修造ありがとう、私幸せだわ」

律子は修造の優しいまなざしの中の、目力の強い瞳の白目が青白く透き通って美しいところが好きだった。

律子は修造にとても愛されていると感じてはいたが、、きっと自分からは言ってくれないんだわ。と悟ってもいた。

 

もし私たちが結婚したら生活が変わるのかしら

毎日修造を愛して

それ以外に何かいるものがあるのかしら。

 

ーーーー

 

ある時、親方にナッツを使ったコンテストにでる様に勧められた。

「修造、これ大会のパンフレットだよ。結構しっかりした大会なんで色んなパン職人やケーキ職人が応募してる。どんなものを作りたいか決まったら教えてくれよ」

「はい」

修造は帰ってからパンフレットを黙って渡した。

「これに修造も応募するの?まずレシピを送って選ばれたら作品を送るのね」

どのような生地で、素朴なアイテムと食感で、どのような形のものを作ると良いかを、2人で話し合った。

「クルミとフルーツ、アーモンドも使いたい」

「イチジクを洋酒につけてナッツと合わせたら?」

「生地にキャラメル風味のクリームチーズを塗ったら美味しいかもしれない」

2人が持っているパンの知識を引き出し、修造はそれを元に何枚かデザイン画を描いてみた。

仕事中も修造は頭の中で色々想像を巡らせ、何度も試作をしてみた。

親方はブリオッシュの温度など細かく見てやり、材料の組み合わせをアドバイスした。

段々と形になってきて、焼成までは、いい感じになってきていた。

修造は焼き上がったパンを持ち帰り、律子と試食をして意見を聞いた。

「うん! 美味しい! ねえ、このパンの上はキラキラさせられないの? もう少し甘みが欲しいわ」

「キラキラ」と言われて困ったが、無骨な自分と違い、律子の素直な感性を大事にしたいと色々考えてみた。

キラキラ、、、それは修造が苦手な世界観だった。

修造はクルミとアーモンドをグラッセし、トッピングしてから焼成することにした。

その上にナパージュを塗ると、表面はキラキラと光沢を放ち、カリカリとした食感がリズムを生み、とても美味しく感じた。

 

 

書類とレシピを丁寧に書き、写真を添えて、コンテストに申請した。

親方と2人で結果を待っていると、一次審査を通過したとの知らせが店に届いた。

「おっ 修造おめでとう!第一段階は突破したな!次は指定の日に出来たパンを作って持って行くんだ。頑張れよ!」親方は本当に喜んでくれた。

 

ーーーー

 

律子と修造はよくソファーに横になり寄り添って話をするのが好きだった。

とは言っても話すのはほとんど律子で修造は聞いているだけだったが、それでも2人はとても楽しい時間を過ごした。

 

律子

パン職人としての考えや生き方を理解してくれてありがとう。

やっぱり運命の人なんだ。

律子のいない毎日なんて想像できない。

 

修造は仕事帰りに1人で街に出てジュエリーショップに入り、指輪を選んだ。

シャンデリアの輝く店に1人で入るのは恥ずかしく、とても勇気が必要だった。

「どんなものをお探しですか?」

店員さんに聞かれて顔が真っ赤になりながら「こ、これを」と指輪を選んだ。

 

ある日、母親から修造に電話が入った。

「一度帰ってこんね」

「うん」

母親とはもう何年も会っていない。

いつも連絡を貰うのだがろくに話もしていなかった。

いつか律子を連れて田舎に帰ろう。

 

ーーーー

 

修造は早く仕事が終わった日には、空手の技を忘れない様に近所の公園で練習した。

形と言うのは、決められた順に技を繰り出す動きの連続で、練習を重ねると組手も上達する。形の全てに技が込められている。

その様子をしばらく見ていたおじさんが声をかけて来た。

「君、どこの道場の人? ここら辺の道場の形ではないよね?」

おじさんは近所の神社や小学校で子供達に空手を教えている田中師範だった。

故郷から遠く離れて今は1人で練習している事を伝えると、師範は修造を神社に連れて行った。

「今度から一緒に練習しよう。うちは古武道が主流で棒やヌンチャクの練習もしているんだ」

修造は黙ってうなずいた。

仲間が増えた様な気がした。

それに田中師範は故郷の師範と少し雰囲気が似ている。

 

ーーーー

 

アパートに戻ってからシャワーを浴び、夕食の用意をしていたが律子はまだ帰ってこない。

電話にも出ないしメールも返事がない。

「どうしたんだ」

律子の職場のスーパーにも電話をかけたが、何時間も前に帰ったという。

パンロンドのナイフ男の事件を思い出し、心配になって探しに出かけた。

自転車で街を探し回ったが見つけられない。

人を探す時は中々わからないものだ、ひと筋違うだけでもすれ違ってしまう。

修造は駅の周りを見て座り込んだ。

「律子」

ふと不安が過った。

親方に「逃げられちゃうぞ」と言われたことを思い出した。

何も言わず、煮え切らないのでとうとう愛想を尽かされたのか、、それとも危険な目に遭ってないのか。

警察に相談するか、、

どうしよう

駅前のベンチに座って考えを巡らせていると「修造」と律子が声をかけてきた。

「あ」立ち上がって駆け寄る。

「私、赤ちゃんができたの。でも修造がどんな顔をするかわからないから、今まで喫茶店にいたの」

そう言いながら律子は彼の表情をつぶさに見ていた。

いつまでも何も言わない修造の事が不安だった。

自分が父親に?

突然のことで、本当に驚いた。

まだ若く、二十歳の修造には自信もなく、不安がどっと押し寄せてきた。

しかし、それと同時に自分が父親に!

不思議なほど嬉しくて大きな感動があった。

律子はそんな移り変わる修造の表情を見て笑ってしまった。

 

 

照れながら律子の自転車を押して2人で帰った。

 

ーーーー

 

今日はコンテストに出すパンを会場に持っていく日だ。

修造は何個か焼いたパンの中から、できの良いものを3個選び、箱に入れた。

上手くいってくれ! 修造は祈った。

そして帰ってから律子に指輪を渡した。

「結婚しよう。今まで言わなくてごめんね」

 

 

修造のパンは素材の組み合わせの良さと、食感の良さ、見栄えの良さでコンテストの最優勝賞に輝いた。

「うわー!修造おめでとう!」

親方はとても喜んで、律子と3人で授賞式に出かけた。

トロフィーと額縁に入った賞状を貰い他の受賞者との写真撮影が行われた。

 

「律子、この賞状を持って出かけたいところがあるんだ」

「分かった、修造。一緒に行っていい?」

「うん。気を付けて行こうね」

「その前に役所に行こう」

「うん」

2人は親方夫婦に保証人になって貰い、役所で入籍を済ませた。

 

その後新幹線を乗り継ぎ、レンタカーで何時間も走って山奥の修造の実家にたどり着いた。

お嫁さんと孫ができる知らせと、コンテストで優勝した賞状が入った額縁を持って。

母親は修造がどこでどうしてるのか何も聞かされていなくて心配する毎日だったが、修造が額縁を壁に取り付けるのを見ながら、「こげんキレかお嫁さんば連れてくるとは修造もやるったい!」と、とても喜んだ。

 

「あの子はなんも言わんけんね。。大変やろう?母親ならよかばってんお嫁さんにはちゃんとせにゃ」修造の背中を見ながら律子に言った。

「お母さん、私修造さんの表情を読み取るの結構得意なんです。私達きっと上手くやっていけます」

そう言って2人で笑った。

修造の実家は人里離れた集落のまだまだ上の山の上にある一軒家で、家の周りからは広大な景色が広がっているのが見渡せた。

「律子、こっちだよ」

修造は足元の悪い道を、細心の注意を払いながら律子を歩かせ家の前に広がる眺めを見せた。

「凄いワイドビューだわ」

修造は律子の手を支えて「うん」と言ったが心配で仕方ない。

山の上からは森林がなだらかに谷の底まで見えた。

その向こうの木々のまた向こうに山々が連なって見える。

「空も広いわ」

「今日は雲一つないから夜の眺めも凄いよ」

「えっほんと?私の実家は長野なの。そこも星が凄いけどここは空の広さが違うわね」

「うん」

夜になるのを待って外に出た。

修造は律子をそっと抱きかかえて、空に輝く満天の星を見せた。

「クラクラするぐらいの星!見て!天の川よ修造」

律子は空を指さしながら

「ねえ修造、いつかここに帰って来て2人でパン屋をやりましょうよ」

「うん。。え?ここで?」

「修造と2人ならどこにいても大丈夫だわ」

修造と2人なら辛い事も乗り越えていける。

律子は今日の事を忘れない様に空に誓った。

 

 

ーーーー

 

パンロンドでは賞を取った修造のパンが有名になり沢山のお客さんが来店して、日ごとに忙しくなっていった。

毎日が目まぐるしく過ぎていく。

律子は産院から帰って来て「お医者様が女の子って言ってたわ」と告げた。

律子のお腹の中で命が育っている。

2人は寄り添ってソファに座り、お腹の子供が大きくなるのを楽しみに毎日を過ごした。

 

「名前なんだけど、、俺の故郷の山々のイメージで緑(みどり)はどう?」

「緑、可愛い名前」

「楽しみだ」

 

 

やがて無事に元気な女の子が産まれた。

「律子ありがとう。可愛いね」

律子に似てる、肌や髪の色も同じだ。

でかい俺に似なくて良かったよ。

 

律子は緑をいつも抱き、歌を歌って育てた。

それを見ながら、自分には家族が出来たんだ。

今までとは違うんだ、もっと頑張らなきゃ。

修造は決意を固めた。

 

第1部 おわり

あとがき

読んで頂いてありがとうございました。

このお話はフィクションです。筆者が見聞きしたパンの世界の様々な事を盛り込もうと考えて作りました。これから修造は勝手に動き出します。これを読んでパンの世界について楽しんで頂けたらと思います。

修造の体験しているパン屋さんの毎日。朝早く起きてパン作りをして、恋をして。不器用でいつも出遅れるけど、修造の毎日は充実しています。

迷いの多い青春ですが、パン職人として立派になって欲しいと思います。

修造は賞を取った事で運命がどんどん変わっていきます。さて、どうなるのでしょうか?

それは次号に続く。

文中に出てきたコンテストは、カリフォルニアレーズンコンテストを参考に書きました。

 

小説 パン職人の修造 第2部 ドイツ編

小説 パン職人の修造 第3部 世界大会編


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