パン職人の修造 第6部 再び世界大会へ 前篇
高校生になった大地が修造と暮らし始めた。
「大地は何かやりたい事があるのかい?」と聞いたが大地もまた無口な方で、「うん」だけしか答えなかった。
こんな風に無口な自分の事を、律子はよく理解してくれていたな。
本当に感謝しかないよ。
修造はプライベートではまだまだぼんやりとしている事が多かった。
大地は先だっての父親への質問に何日か経って「俺、空手の全国大会に出るのが目標なんだ」と答えた。
「手足がすらりと長くて瞬発力がある大地は小さい頃から師範にも強くなるって言われてたな。楽しみにしてるよ。その時は応援に行くからね」
修造は大地とスパーリングをしたり得意技の三日月蹴りや、太ももの裏など身体の中で当たると痛い所を教えた。
上段蹴りを狙ってると見せかけて脇が開いた瞬間に蹴りを入れると相手は悶え苦しむなどなど試合に役立つあれこれを2人で練習してるうちに楽しくなってきて、久しぶりに気分が上がった気がした。
「身体を動かすのは良いな。俺もジムにでも通って少し体型を戻さないと痩せて筋肉も落ちてしまった」
「2人で行く?」
「大地はあまり筋肉をつけちゃいけないよ、身体が重くなるからね。トレーナーに相談してみよう」
そう言って大地と2人でジムに通い始めた。
もともと打ち込むタイプの修造はみるみるうちに身体が仕上がっていった。
「空手の練習は毎日欠かさずしないと、今日はいいや明日やろうなんて言ってると結局やってる奴と格段に差がでるんだ」
そう言いながら修業全般に通ずる言葉だと江川の顔が浮かんだ。
あいつは頼りなく見えて努力家なんだ、なんとか大会で成功させてやりたい。
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世界大会に向け、準備をしていかなければならない。
「江川、地方の祭りでコアでヘビーな祭りを見に行こう。なるべく凄い熱気で炎の燃え盛っている迫力のある祭りだ」修造はパンデコレのデザインを決めようとしていた。
「今回はそっち方面で攻めていく訳ですね?」
「うん」
2人は車を走らせ奥州の火祭りを見に行った。
燃え盛る炎の中を灯籠を持った褌姿の男達が五穀豊穣を願う。
勢いと迫力がある。
火の粉が飛んで辺りは熱気に包まれ祭りは夜通し続いた。
バイタリティ溢れる祭りだ。
「燃える薪の上に立つなんて、、本当に燃えてしまうんじゃないかとヒヤヒヤしますね」
「男の祭りだな」
修造は沢山写真を撮り、それをもとに早速江川とデザイン画を描いてみた。
「炎のゆらめく感じが大事だろ?」
「何か祭りのモチーフみたいなものを追加したいですね。祭りのモチーフといえば祭りの衣装の柄とかですかね?」
「種類は少なそうだね」
「太鼓を真ん中にして灯篭を持った男を立たせるのはどうだろう?」
「行列の先頭に纏(まとい)を持った人がいましたがそれはどうですかね?」まだまだ考える余地があった。
大会の時の芸術作品部門のパンは横幅が限られているからあまり幅広くできない。縦に表現できればどうなるだろう。太鼓のサイズを小さくして他の飾りを高くするか、、それは世界に通用するのか、、、修造は眠れず一晩中考えていた。
次の日は地元の民芸館や、現地ならではの建築様式の建物のある場所に行き、襖に取り付けられた組子細工を見学した。
頭の中で組子細工と祭りを組み合わせて、イラストを何枚か描いてみた。流れるフォルムや誰もみたことのない飾りパンを作らなくてはいけない。出来上がった下絵を江川に見せた。
「うわー! これ難しそうですね。でも試作してみますか?」
2人は帰って祭に関する情報をなるべく細かく調べた。
顔色も良くなり、次第に熱中してきた修造を見て、江川と緑は目を合わせてニッコリした。どうにかして元の修造さんに戻って欲しい。
江川はそう思っていた。あの時の燃えるような熱い修造さんに!
「僕、頑張るから修造さんも一緒に燃えて下さいね」
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金曜日
麻弥は店に人が居ようがいまいがお構いなしに修造にべったりだった。
この何年間かの分を全て凝縮しているかの様に修造を構った。
佐山が嫌味っぽく言ってきた。「修造さん。ボスとみんなの前でイチャイチャするのはやめたらどうです? 見るのも嫌なんですが」
「俺かよ?」
「俺じゃないなら何ですか? 嫌々付き合ってるのか? だとしたらほんとに無責任な人ですね」
無責任か、麻弥に押しに押されて交際を始めてしまった。あの時の俺は麻弥に心を持って行かれてしまったんだ。
「佐山、麻弥を傷つけるのは嫌なんだよ。わかってくれ」
「わからないですね。ボスが気の毒です!」
全てが佐山の言う通りだった。傷つけない様にすることが傷つける事になる。
麻弥、俺がここにいるのは世界大会が終わるまでだよ。
何度も言いかけてやめた。
愛が良くわからない。今1番遠ざかりたい言葉だった。
麻弥は律子と全く違うタイプだった。また店舗を増やしバリバリに働いていた。凄く忙しい女社長なのに休みの日を設け、カレンダーに「S」と書いた。修造の頭文字だ。
修造を訪ね「もお〜! 男所帯ってしょうがないわね〜!」と言ってバタバタと掃除して、大地に「ママって呼んでね!」と言ったので、驚いた大地が
(あの人彼女? 「ママ」になるの?)とこっそり手書きのメモを見せてきた。
これには答えに困った。
特に結婚という言葉には抵抗を感じていた。自分が誰かを幸せにするとは到底思えない。
修造は2人にシュニッツェル(トンカツ)とライべクーヘン(ジャガイモのパンケーキ)を作った。
食べながら麻弥は大地にドイツにいた時のお父さんがカッコ良かった話を聞かせた。
「素敵だったわ、ママの憧れの人だったのよ」
(またママって言ってるよ。)大地が修造に目配せした。
修造は何も言わなかった。
後で大地は麻弥にこっそり言った。
「ママさん」
「父はちょっと前まで全然やる気がなかったんだ。そこから考えたら随分ましになったんだよ」
麻弥は貴重な修造の情報をじっと聞いていた。
「誰にも相談せずに一人で抱えてるけど、夜になるとうなされててそれが聞こえてくるんだ」
「だから、少し待ってやってくれない?」
夜うなされる
夢にいつも同じものが出てきて修造を苦しめた。
あのソファに修造が座っている。
何か大切なものを抱えているのに腕の中でふわふわと掻き消え追いかけると声がする。
「お前が悪いんだよ」
「お前のせいで全部なくなったんだ」
と声が修造を取り囲む。
押し寄せる波の様に引いては寄せて。
いつもそこで目が覚めた。
大会の前の江川、緑の為の応援講習会が開かれ、修造と西畑も同行した。修造は全員のためのランチを西畑に並べさせた。「気に入ってるのかい?」何人かのシェフが西畑を指して言った。「そうですね、良い職人になりそうですよ。大会の時はフランスにも連れて行くつもりです。どうぞよろしくお願いします」
世界大会で競う項目は見た目も大事だが審査員がひとつひとつのパンを味見する所が思い出された。「食感と味も気を抜けないな」
タルテイーヌについて色々試行錯誤を重ねた。
3種類のタルティーヌをそれぞれライ麦の配合を変え、そのうち3種類は焼いた牡蠣とチーズ、帆立とピンクペッパー、3色の海藻に和風の味付けを施して、野菜とハーブをそれぞれ2色ずつシャープにカットして飾った。4種類は鹿肉と無花果、ローストビーフとブルーベリー、ターキーとラズベリー、鶏のフリットとレモンなどの、肉と果物の取り合わせを。残りの4種はカブとオレンジとクリームチーズ、渋皮栗と茄子、干し柿とフェタ、ザリガニとナンチュアソースをそれぞれハーブやスパイスと共に美しく盛りつけた。
どれが1番美味いですかね?
「このザリガニは美味かったね」
「私もこれが美味しかった」
「このザリガニはレイクロブスターと言って僕の故郷から取り寄せた物なんです。肉厚で味も良いんです」
ザリガニの身のソテーとディルの組み合わせは、ナンチュアソースのザリガニの出汁と濃厚なバターと生クリームの香りが後口にいつまでも旨みを残した。
「よし! タルティーヌにレイクロブスターとブラウンマッシュルームのソテーとナンチュアソースを使ってみよう」
「パンの上にザリガニのステンシルを施したらどうでしょう?」と、3人でアイデアを出し合った。
「塩の代わりに塩麹を使って旨みを出し、仕上げにザリガニにパルメザンを絡めて黄味を振りかけてみるか」
「八つ橋の様な薄いパリッとした食感の生地を焼いて被せてザリガニのステンシルを施せばインパクトがあるぞ」
「どうですか? いかつくカッコいいじゃないですか!」
「ザリガニの形も捨てがたいな」
「これもインパクトありますね。触角の所は糸唐辛子で表現してみましょう。」「足はルッコラを使いましょうか?」
「となると、フタは和柄がいいか」
「どっちがいいか迷いますね」
3人はひとつひとつのパンに深く拘った。
「ペストリーには祭りのイメージのものを関連付けたい」
「太鼓の形とか?」」
「華やかな色合いが良いね」
「ピスタチオとかエスプレッソ、ヘーゼルナッツとか濃厚なラズベリーとか使いたいですね」
「祭りに関連付けて太鼓の形を真ん中で開けられる様にして下は濃厚なラズベリーソース、その上にまろやかな抹茶豆乳ソースを詰めてココアとラズベリーパウダーと粉糖の3色でステンシルを施そう」
「上蓋は内側にホワイトチョコをひとまわししてみましょう」
「試食も進んで飽きが来た頃に抹茶の風味が好印象をもたらさないでしょうかね?」
「ピスタチオのクリームを生地に詰めて外側に組子細工のプレートをのせたらどうでしょう。土台はエスプレッソの風味付けをした生地に和柄のステンシルを1周させましょう」
「これは美味いよ」修造はぶどう、ネクタリン、プルーンとイチゴをバターでソテーして洋酒をふりかけフランベしてフランボワーズとハチミツを入れて煮詰まったらパンにのせてバーナーで焼いた。
「うわ! 旨い!」表面は香ばしく生地に染み込んだフルーツのソースの味が旨みを出していた。
「問題は形だな」
「フルーツボックスみたいな?」
「太鼓によく描かれている模様は?」
「三つ巴の事かい?」
「こんな感じですかね?」
徐々に様々なパンが本決まりになり後は完成度を上げていくだけになった。
修造は緑に繊細なステンシル作りを教えた。
「柄は細かすぎてもよくわからない。端をいい加減にカットするとぼんやりした印象になるんだよ」
そしてカンパーニュの美しい模様のカットの仕方を徹底的に練習させた。
「シャープに同じ感覚でリズムよくカットしていくんだ。深さが違うと焼き上がりにはっきり出てくるからね」
「江川、タイム通りにできるか練習するんだよ、西畑にタイムスケジュールを見て貰って緑と2人で何度もやってみて、時間の感覚を掴んで行くんだ。」
「やってみます!」
修造は出来ることが増えるとタイムスケジュールの行を次々増やした。大会の制限時間の8時間と言う限界に挑戦して、しかも全てを完璧にしなければならない。
「試合と同じだよ、当日に向かって練習して当日は良いパフオーマンスが出来るように自分を調整していく。相手だって努力してるんだ。猛者ばっかりだぞ」
「2人の息があってきたら次は『お互い確かめ合わなくても次の動きを考えて動く』練習をするんだ。え~っと次は、、なんてやっていたら時間なんてあっという間だぞ。2人とも役割をはっきりと決めて動け」
「できるまでやるんだ」
江川は過去に修造と出た大会の事を思い出した。
「このタイムスケジュールは修造さんが世界大会で作った物より少し劣る気がする。修造さんの速さと正確さは本当にあの時世界1だったんだ」
「あの人はタイムロスを嫌がってタイムスケジュールを頭に叩き込んできていたんだ。あれだけのものを作りながら僕を動かしていた」
勝てるのか? 今の自分は? あんな事が、、
いや
やるんだ
僕は修造さんにではなく自分に勝たなくちゃ。
「もっともっと近づいて行くぞ!」
研修室は数人以外は立ち入りが禁止になった。何日か続けてやっているうちに2人は時間の経過と作業の手順を掴んできた。大会で焦らないための練習だった。心のゆとりがミスを防ぐと考えたからだ。
「あの、修造さん」西畑が廊下で話しかけてきた。
「僕大会が終わったら緑さんにプロポーズするつもりです」
「そうか、それはまた大会が終わったら新たに話そう。今の俺とお前は緑が集中して動きやすいようにしてやる、それが使命だと思って打ち込むんだ。他に心配事がないように、一緒に寄り添ってやれよ」
「心の拠り所になってやれ」
「はい! 修造さん」
そしてとうとうフランスに大会の用品を送る時が来た。
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日本のチームは大会の開催国フランスへ到着した。
会場には世界各国の選手が入るキッチンブースが並んでいる。
前日の準備も終わりかけた頃、修造に話しかけてきたドイツ人がいた。
「久しぶりだね修造」
「?」修造は目の前の男の顔をよく見た。知っている顔だ。
「わからないのか? エーベルトの息子のミヒャエルだよ。」
「あ! 久しぶりだなミヒャエル!」
ミヒャエルはエーベルトの店にはあまり顔を見せなかったので何度かしか会っていないが懐かしい。。
「エーベルトは? エーベルトは元気なのか?」
「親父は死んだよ。あの店は俺が改装して観光客も気軽に入れるカフェにした」
「エーベルトが?! どうして教えてくれなかったんだ!」
エーベルトが、あのエーベルトベッカーが亡くなった?!
「俺と親父はソリが合わなかったのさ。お前がうちに入り浸ってる間、親父はお前の事を随分可愛がっていたな。親父は全てをお前に教えていた」
ミヒャエルはハナをフンと鳴らしながら。
「俺はお前が嫌いだったよ。。」
「そうだ紹介するよ、うちの息子のフランクだ。今回はアシスタントとして参加するが、これから俺が上級の職人に育てて行く」
「明日はお前のブースの横で勝負する事になりそうだ。勿論我がドイツ国の勝利だ。せいぜい頑張るんだな修造」
江川と緑が心配して声を掛けてきた「修造さん、大丈夫ですか? 随分がっくりされていますが」
「お父さん、隣のドイツのコーチとどんな話してたの?」
「俺の恩人が亡くなったんだ」大切な人が次々と、、しかも大事な大会の前日にまたメンタルをやられるなんて。
「あのミヒャエルは技巧派なんですよ。その息子のフランクも大した腕だと聞いています。修造さんの知り合いだったとは分かりませんでしたね」
修造はこぶしを握って立ち上がった。
そして「明日は負けられない!」
「何があってもだ!」と誓った。
久しぶりに心の中に熱いものが込み上げた瞬間だった。
おわり
後編へつづく
あとがき
今回は世界大会のパンについて色々書いてみました。4部門のパンを全て高水準で作るパンの世界大会はやはり凄いと思います。
江川は世界大会に出た頃の修造を追い抜こうと頑張りを見せます。緑と西畑は優しさを見せながら愛を育み、麻弥と修造は心がすれ違います、2人の架空の愛はこれからどうなっていくのでしょうか。
そして最愛の妻律子を失った修造のロストが産んだ悪夢からの脱却は出来るのでしょうか?
※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。