パン職人の修造 江川と修造シリーズ A fulfilling day 修造
「ねぇ?何か変な音が聞こえない?」
機械の故障だろうか?低い擦れる様な音がする。
グーググーグーグー
みたいな?
パンロンドの奥の工場で作業中
江川がキョロキョロしながらカスタードクリームを炊いている藤岡に言った。
「シッ。聞こえますよ本人に」
藤岡がホイッパーから手を放し、そっと指差した音の方を見て江川の大きな丸い目がもっと丸
修造の鼻歌の音だったのだ。
えっ
修造さんってあんなに歌が、、
音痴というか、この音はどこから?
喉?
肺の奥?
修造はと言えばすごく気分良さそうに謎のドイツ語の歌を歌いながら生
ウキウキして喜びで胸がはち切れそうだった。
修造は2人目の子供が無事産まれて
大地と名づけた。
自分の育った山から見える緑の大地のイメージだそうだ。
「なあ聞いてくれよ江川!ほんとちっちゃくて可愛いんだよ」
「はい」
今日だけでも3回くらい聞いた。
そしてビニールシートに生地を3000グラム測って包み、
「産まれた時なんてこんなにちっちゃかったんだ」
「わあ軽〜い」
「それにしても生まれたての赤ちゃんってこんなに軽いんだ、
杉本があやし始めた。
「生きてるって不思議、こんなに小さく生まれて、
その時店から奥さんが修造に声をかけた。
「明後日の昼に一升パンの注文が入ったからお願いね。
「わかりました、明後日の昼に」と言って注文書を受け取った。
「一升パンってなんですかあ?」と杉本が聞いた。
「
「へー」
「元々は一升餅と言って、2キロの餅米をついて作るもので最近は
「はー」
まずパソコンで文字を書き印刷する(もちろん手描きも)、紙に良い感じに貼りつけたり絵を描く。レイアウトが完成したら文字や絵の残したい部分を切り抜く(直に発酵した生地に直接文字を貼り付けて粉をかけるやり方もあります)生地に乗せてくり抜いた所に粉を振りかける。そのあと落ちる粉に気をつけてそーっと剥がす。それを焼くと焼成後は文字がくっきり出るのです。お願いしたら近所のパン屋さんでもやって貰えるかも。
「俺も大地が一歳になったら凄いのを作るぞ!」
「はい」
拳を高く上げ決意表明をした修造にみなどうぞどうぞのジェスチャ
ーーーー
日曜日の昼
若い夫婦が小さい男の子を抱っこして
パンロンドにやって来た。
「一升パンを受け取りに来ました」
親方が窯の前から「可愛いなあ」と男の子を見て言った。
修造も奥から見ていてニコニコしている。
他のものは子育てに縁のない生活をしてるが、
「あのイカつい修造さんがあんなに笑顔で」
と杉本が言った。
「
「へぇ〜」
ーーーー
さて、その湯船では
修造は大きな手に大地の頭を乗せて親指と小指で耳に水が入らない
「俺がお前を守るからな」
成長する迄危険のない様に、
「なあ」
まだまだ睡眠のサイクルが短い大地を抱っこして寝かしつけ、
週2回休みがあるし、パン屋は朝は早いがその分帰りも早い。
こんな風に静かな時に修造は度々世界大会のパンの構想を練ってい
生地の旨味を追求するのはもちろんの事、
そんな風に考え
宿題をやってる緑の横で一緒になって紙に書いたりした。
パンデコレのデザインを考えて律子に超小声で「これどう?」
「こないだ京都に行ってきて勉強になったんでしょう?
「そうなんだ、行って良かったよ」
とか話してるうちにパンデコレのデザインに緑が色鉛筆で色を塗り
それを見ながら紫は紫芋やブルーベリー、※青はバタフライピー、
「和装の女性はどう?」
「着物の?」
「そう」
凄い小声で律子と話し合って色々デザインを描いてみた。
うん、だんだん形になってきたな。
「よし!みっちゃん、スーパーに行こうよ」
そろそろ夕方なので修造は晩御飯の材料を買いに行く事にした。
「うん」
緑と手を繋いでスーパーに続く坂を降りながら「お母さんはね、
「えっほんと?」
しかし思い出してみれば、
「お母さんも複雑だったんだろうな。。緑!
修造はスーパーで山賊焼きの材料と生クリーム、
山賊焼きは長野県松本市近辺の名物で、
「美味しい」
カットした鶏肉を箸で摘んで噛むと、鶏皮のカリッとした美味い食感の後にジュワッとジューシー感、
「だろ?律子!今日デザートもあるからね」
と言ってさっき作っていた牛乳入りのふわふわのパンにミルククリ
「ほら牛乳パン!」
「あ!懐かしい」
律子は大喜びでフワフワの牛乳パンを頬張った。
牛乳パンは戦後長野県周辺に流行したご当地パンで、
今日は生クリームが多めのクリームをつくって食感を軽くした。
「美味しいねお母さん。
「そうね」
授乳中の律子はそこそこ食欲もあり、それが大地の為にもなる。
いつもなら「したり顔」をするのだが、
「ねえ、今度の日曜日お父さんとお母さんが来るの」
「え」
修造はギクッとした。
律子の父親高梨巌はその字の通り案外厳しい。
ーーー
さて、日曜日
修造はその日仕事だった。
巌と容子は長野からやってきて、可愛い孫の所に直行した。
「いらっしゃい。おじいちゃん、おばあちゃん」
「みっちゃん、久しぶりだね。会いたかったよ」
早速可愛い孫の緑に巌がデレデレし出した。
「大地ちゃん、おじいちゃんとおばあちゃんがきましたよ〜」
緑は小さなお母さんの様に大地を抱っこして巌に渡した。
「わあ〜また大きくなったね」
巌は早速容子と代わる代わるで大地を抱っこした。
「あいつはどうした?今日は仕事なのか?」
「お父さん。あいつなんて呼ばないで!名前で呼んでよ」
と律子に叱られた。
「ええ?」
実は巌はまだ修造を名前で呼んだ事がない。
「おい」
とか
「こっちだ」とか
「あっちだ」とか
おおよそ会話とは言えない。
しかし一度は心が通い合ったことがある。
大地が生まれる知らせを初めて律子から聞かされたその時、2人は確かに心が通い、微笑みあったのだ。
とそこへ緑が話しかけてきた。
「お父さんはお仕事よ。ねぇ、おじいちゃん。一緒にパンロンドまでお散歩に行こうよ」
「お散歩かい?みっちゃん案内してくれる?」
可愛い孫と歩けるので喜んで出かけたが、
2人で楽しく話をしながら歩いて東南商店街まで来た。
「ここら辺は変わらないなあ」
「おや」
何故あそこだけ賑わってるのかとふと見てみた。
人が出入りを続けているお店がある。
「あのパン屋だ」
店の手前にあるガラスから見えるものは?
こりゃなんだ?
パンロンドの外から巌は店内に置いてあるものを見た。
「おじいちゃん、これ、お父さんが作ったのよ。
え!
これ手作りなのか?
「パン?」
パンでできてるのか?
これをあいつが?
修造のパンデコレをじっと見てると柚木の奥さんが気がついて店内から出
「いらっしゃい、緑ちゃんとおじいちゃま」
「どうもご無沙汰しております」
修造がドイツに行ってる間、
「ちょっと待っててね」奥さんが店内に入って行った。
するとすぐコックコートにコック帽姿の修造が走って出てきた。
「お、お義父さん。。こんにちは」
「お父さん、おじいちゃんと散歩してきたのよ」
「そうなんだ。どうぞ店内へ。パンを見て行って下さい」
「うん」
巌はいい香りの店内に入った。
なんか並んでるパンが変わったな。
巌が店内を見回した。
「先日改装したんですよ」と奥さんが説明した。
ここは前なかったパンが並んでる。
「この棚は修造さんのドイツパンコーナーなんです」
なんだか誇らしげに奥さんに言われる。
高校を卒業してすぐパンロンドで働き、
修行に行ってこれを造ったんだな。
「どうもみっちゃんのおじいちゃん」
「あ、親方。その節は娘がお世話になりました」
2人は売り場の棚を見ながら話した。
「うちのパンも変わりました。
「へぇ」
「もうすぐ大会がある。フランスでの試合があります。
巌は親方の真剣な顔つきをじっと見ていた。
「色んな事のちょっとずつがあいつの時間を奪ってる気がします。
巌は修造のパンを沢山買って店を出た。
確かに親方の言う通りだ。
生半可な事をしていては
頂点は目指せないだろう。
山の上に立てるものも立てなくなるのか。
帰ると容子と律子が食事の用意をしていた。
「おかえりなさい」
「ただいまお母さん。パン買ってきたよ」
「沢山おまけして貰ったね、みっちゃん」
「うん」
しばらくして修造が帰って来た。
「先程は」
修造は巌にペコっと頭を下げた。
「うん」巌は一言だけ返した。
「修造おかえり。先にお風呂に入ってきて」
「うん、
「はーい」
そんな会話を聞いていた巌は大地を抱っこして「
「可愛いなあ大地ちゃんは」
目を細めて大地を見つめながら「こんな可愛い子供たちなんだ。
その時「大地を連れてきてー」
「わっ!お義父さん、すみません」
「嫌だお父さんったら何言ってんの?」
「ふん」
「ふんって何よ褒めたくせに」
「フフン」
夕食の時、
うーん美味いなあ。
サクッと香ばしいパンだわい。
こっちの黒パンはどんな味なんだ?
うん、酸味があって滋味に溢れている。
こないだのクロワッサンも美味かったがこれもこれも美味い。
巌はパンを噛み締めた。
ーーーー
緑が寝る前に容子が本を読んでやっていた。
「修造君、ワシは今日お前の造ったパンを見てきたよ」
「はい」
「親方も言っていた。
「えっ?」
突然の巌の申し出に驚いた。
妻子を取り上げられるのかと思ったがどうやら違う。
巌はなんだか凄そうな大会の特訓をするべきだと考えていた。
「人生にチャンスは何度もない。
一つの事に集中しなさい」
「お義父さん」
今の生活はハリがありとても楽しいが、確かに一抹の不安はある。
身体が2つあったらいいかもしれないが、、
「わかったな」
「はい、律子と話し合ってみます」
ーーーー
巌達が長野に帰った日、修造は律子に巌の申し出の事を話した。
「そうよね、お父さんの言う通りがも」
「私達、夏休みになったら長野に行くわ。
「ごめんね律子」
修造
本当は一緒にいたい。
でもいつか私達パン屋さんをするんだもの。
「大地、緑、みんなでお父さんを応援しようね」
ーーーー
修造が家族と離れ、1人で修行を始めてまもなく
ベッカライボーゲルネストの鳥井シェフが修造と江川を呼び出した。
3人
「僕、フランス料理とか初めてです。緊張するな」
「ビストロは気楽に楽しめる所だよ。ここの料理は美味いから食べさせたいと思ってね」
鳥井は予めオススメコースを予約していた。
オードブルが運ばれてきた。
「わーオシャレ!」
江川は大きなお皿に並んだ色とりどりの前菜に感動した。
シックな調度の店内で少し薄暗い空間に、料理の部分だけLEDのスポットライトが当たって綺麗。
どれも手が混んでいてひとつひとつの形や味に理由がある。
「うわ〜美味しい」
スープとパンの後メインの鴨肉は村田シェフが運んできた。
「どうも鳥井さん」
「今日はお願いします」
江川と修造には1人2枚づつ皿がある
「これは?」
「2つとも食べ比べてみなさい」
江川はひと皿目の鴨肉をカットして口に入れた。
うわ、ちょっと油っぽいかな?
名店なのに後口に臭みが残ってる、なんか古いものを出されてるのかなって思っちゃう。
江川は修造の方を見た、口には出さないが江川と同じような顔をしている。
もうふた皿目も同じように食べてみる。
「あ、美味しい。同じ料理なのにこんなに違うなんて驚きだ」
「やわらかくて甘味もある。どうしてこんなに違うの?」
2人は顔を見合わせた。美味しい物を食べた時の顔をしている。
村田が説明した「ひと皿目は脂をいい加減にとって高温で調理しているので鉄分の匂いが残るし肉が硬くなる。ふた皿目は鴨肉の下拵えがきちんとしてあります。すばやく室温に戻してドリップをきちんと取ったり、ナイフで余分な脂を丁寧に取ったり、冷蔵庫で脂をしめたり、低温調理したりと各工程で基本がきちんとしてる方は味が整っているんです」
「そうなんだ、こんなに味が違うんですね。僕知りませんでした」
鳥井も2人に説明した「例えば肉の下拵えは前の日にやるのかやらずに始めるのかで随分違
「はい、素材の下処理一つでもそれぞれ理由があり、
食べるのは美食家の審査員ばかりだ。工程のどの部分にも油断はならない。鳥井が言いたかったのはそこなんだろう。
デザートの前に口直しのフロマージュが運ばれてきた。
コンテチーズ、ロックフオール、カマンベール・ド・ノルマンデイーの次に
燻製のチーズを食べた時口の中にスッと風味が通り抜ける。
「美味い」
他のチーズと違う
「うちで燻製にしてるんですよ」と村田が説明した。
「美味いものを記憶に刻みなさい。もっと自分の可能性を高めるんだ」
鳥井はそう言って、次に食材の豊富な輸入専門店に連れて行った。
「世の中には沢山の食材がある。それらの味をなるべく沢山覚えておくんだ。
そう言いながら鳥井はカゴの中に商品を選らんで入れていった。
修造は、その様子を見ながら鳥井の言う『前日準備の重要性』について覚悟した。前の日の下拵えと種の準備、当日の段取りが勝利の8割だ。後の2
「前の日の1時間にどれだけできるか何度も練習をしておけよ」
そう言って鳥井は袋いっぱいのおすすめ食材や香辛料を渡してきた
「応援してるぞ修造」
「ありがとうございます」
「江川もな」
「はい、今日はご馳走様でした。僕勉強になりました」
鳥井は2人に目で合図して去っていった。
「渋いなあ。かっこいい」江川は受け取った袋を両手にぶら下げ、へ〜っと首を横に傾げながら鳥井の背中を見送ってそう言った。
ーーーー
そのまま2人は修造のアパートの部屋に移動した。
鳥井に貰った物を全部開けて順番に味見してメモに書いていく。
「あのチーズの味。あれは美味かったな」
「美味しかったですね」
「うん、あれをタルテイーヌに使えなかったとしても何か他の事に使いたいな」
タルテイーヌにパテドカンパーニュを使いたい。しかしあれは完成までに3日かかるから無理だ。鳥井シェフの言うとおり、基本に忠実にしなければ上手くいかないだろうな。
そうだ!
修造は何かを閃めいてそれを紙に書いてみた。
「江川」
「はいなんですか」
江川は修造を観察していて何かを思い付いたのに気がついていた。
修造はニヤリと笑いながら言った。
「明日からこれを練習して貰う」
紙を受け取り「えっつ」と声を上げた。
「大会前日の1時間にやって貰う」
「僕やったことありません」
江川の顔が引き攣った。
おわり
A fulfilling day 充実した日々
修造が江川に課した大会前日にやる事とはなんなのか?
修造はまだまだやる事が多いようです。
#バタフライピーとは マメ科の植物、チョウ豆(蝶豆)の事。ハーブ。生地に青い色を着けられる。ハーブテイーとしても楽しめる。レモンやライムを垂らすと紫に変色する。