パン職人の修造 江川と修造シリーズ Prepared for the rose
ベッカライホルツの事務所のデスクに肘をつき、
「あぁ、そう、あの二人ベークウェルに行ってたよ。
俺も負けていられないな。選考会まであと少し、
大木は顎を太い指で摩りながらプランを練っていた。
一方、東南駅の西側に続く商店街にあるパンロンドでは。
「あの〜親方」
「なんだい江川。こないだのヘルプはどうだった?
「はい、
江川はすごく言いにくそうだったので親方は江川をジーッと見た。
「おい!なんでもいいから言ってみろ」
「わ、鷲羽君がここに勉強に来たいって言ってます」
「え!!」
「え?」
「えーっ!」
そこにいた全員がそんな声を出した。
「鷲羽ってあの江川さんをいじめてた奴ですかあ?」
「俺が絞めてやりますよ」
「杉本君、そんなんじゃないよ。勉強したいんだって。
「えっ」最後に修造が驚きの声を出した。
「知らなかった。なんで俺なんかに。ろくに話もして無いのに」
「俺は分かりますよ」藤岡が修造に爽やかに微笑みかけた。
「
「なんだよそれ」
修造は恥ずかしがって下を向いて仕事をし出した。
「お前達も飾りパンの練習をしなくちゃな。
「ここで作ってっていいんですか?」「おう!
「はい、大体は」
「お前は手先が器用だもんな。やる事が繊細だよ。
「僕はまだです。どうしたら。いいのやら」
「おい、俺が見てやるから紙にイメージを描いてみろ」
「はい」親方に言われて白い紙をじっと見ていた
江川は頭を抱えた。「何も思いつかない。
「江川、
「そうですね、修造さん。何があるかなあ」
さて、何日か後、
約束の朝早く、鷲羽がパンロンドにやってきた。
一礼して、入り口に立って工場の方を見ている。
「あなたが鷲羽君?」柚木の奥さんが声をかけた
「はい、そうです。今日は勉強させて頂きに来ました」
奥さんは鷲羽を見て、
「よう!鷲羽。俺は柚木、親方って呼んでくれ。
「思ってたのと違いますね〜」
「そうだね」と杉本と藤岡が鷲羽を見ている。
と、そこまでは良かったが、鷲羽は親方の前に呼ばれた。
「俺が生地を分割するから丸めてバットの上に置いてくれよ」
「はい」
親方がスケッパーというステンレスのカード形の道具を手に持ち分割した生地を、鷲羽は大人しく丸め始めた。
「
その瞬間、工場の温度が十度程下がり、親方と鷲羽以外の全員が凍りついた。
「うわ、こわ」
「なんて事を」
悪気なく失礼な事を平然と言った鷲羽に親方だけは頭から熱を放出
「小さな店?敷地面積の事かよ?」
鷲羽はキョロキョロして「それもありますけど、
「おう!俺は俺の作りたいパンをここで作り続けるさ。
「もっと一等地に店を出したらどうですか?
「はあ?パン屋がみんなそうするとは決まってねぇだろうが」
親方は次の生地を持ってきてさらに分割し出した。
見よ!このスピ
鷲羽は必死に丸めたが、
藤岡が材料を計量中の修造に目で合図した。
親方が怒ってますがどうします?という意味だ。
「藤岡、計量を頼むよ」
「はい」
修造は親方の横に立ち「親方、
親方はふと我に帰り、あ、
修造は溜まった生地を丸めて台の上をスッキリさせてからまた分割
鷲羽は工場の奥から窯の前に立って作業をしている親方のもっと向こうを見た。
狭い店の中にいきいきとパンを選んでトレーに乗せているお客さん
自分だけの好きなパンを選ぶ人もいれば、
「みんなここのパンのファンなんだ。
「俺は誇らしい事だと思うよ」
修造は鷲羽に言った「
一方その頃ホルツでは、
大木は江川に飾りパンの『薔薇の花籠』を教えていた。
シロップ生地というきめ細かい生地を薔薇の形やカゴ用に編んでいく。
「江川、選考会ではどんな飾りパンを作るつもりだ」
「自然のものを取り入れようと思いますがまだ思いついて無くて」
「立体的造形って作ったことは?」
「花とかウェルカムボードなどの練習しかありません」
大木は工程の説明を始めた。
「飾りパンはパンデコレと言って、大会では全て食べられる物で作るんだ。
「綿密に必要なものの大きさ、長さを計算する。
大木は、江川が作ったパーツの表面が乾燥したのを確かめてから窯に入れ、低温にセットしてタイマーをかけた。
「作ったものを焼成するとイメージと全然違ってくることもある。
「はい」
「
「今日は計画通りに生地量を決める練習から」
大木は紙を広げた。「考えとけよ。タイマーが鳴ったら出しといて」と言って江川を一人にした。
江川は作業台の上に紙を広げてペンを右手で振りふり考えた。
何か好きなものから考えようかなあ。
修造さんは実家の周りに咲いてる花がテーマだったな。。
好きなもの
好きなもの
甘いものとか?
ハチミツかなぁ。
そういえば、
夏になると菩提樹の花で蜜を集めてる養蜂家のおじさんがいたな。
菩提樹は黄色い可愛い花で学名はtilia。翼って意味なんだ。
ハチミツ、菩提樹の花、翼、セイヨウミツバチか。
うーんと呻きながら江川は紙に絵を描いて、
しばらくして戻ってきた大木は、江川の絵を見て言った「ふーん。
「僕にこの部分の作り方を教えて頂けますか?」
江川は指で紙に描いたパーツを指差した。
「よし、ちょっと出かけるか」
さて、
あー
俺またやっちゃったのかなあ
すぐ無神経な事言っちゃうんだ。
首を項垂れて鷲羽は考えていた。
鷲羽が固まっている間に修造はパイローラーでクロワッサンの生地を伸ばして持っ
「お前な、よく人から一線置かれないか?」
「それはしょっちゅうあります」
「あんまり気にして無いから直んないだろ?」
「はい、、いえ、
「他人に対して敬意を払っていない」
「それは、俺、修造さんに凄く敬意を払ってます」
「なんでだ。外国で修行したからかよ」
「始めはよく知らなかったからそうでしたが、
修造が三角にカットした生地を鷲羽は巻き続け、
その様子を時々見ながら修造は話し始めた。
「鷲羽。今の俺があるのは親方のおかげなんだ。
親方が俺が帰ってこれる様に大切なものを守ってくれたんだ。
誰かのおかげとか仲間とか鷲羽の頭には無いワードが出て来た。
「修造さん、さっきの質問の答えですが。俺、
それが俺って人間なんだ。
言葉に出して、鷲羽は改めて自分の腹の中を覗き見た気がした。
「俺、前向きな人でなしって言われた事があります」
「
ストイックな職人には少なからずそんな所があるのかも知れないな
修造はそう考えてからきっぱり言った。
「だからって失礼な事をズケズケ言っていい訳じゃ無い」
「はい、すみません」
「俺に謝るんじゃ無いだろ?」
鷲羽は少し潤んだ目で親方を見た。
おっ鷲羽が見てる。なんだよ。とりあえず笑っとくか?
「あの、さっきはすみませんでした。無神経な事言ってしまって」
「わかりゃいいんだよ、鷲羽。
「そんな日来ない気がします」
「なんでだ。自信ないのか?」
一方その頃
大木の車で江川は留基板金に着いた。
平屋建ての古い建物で壁はトタンで囲われている。
中からはカチャンカチャンと機械の音がしていた。
「ここは板金屋さん?」
「そうだ。さっきの設計図を出して」
「はい」
「どうもこんにちは。大木さん」
機械の音が止まり、
「こんにちは留基さん、ご無沙汰しています。
留基丈治(とめきじょうじ)
「これ、パンの抜き型なんだけどできるかな?」
「ふん」
留基はうなづいて工場の中に入って行った。
しばらくゴソゴソする音がして、
「これこれ、これを曲げたら丁度良いですよ」
と言って手頃な大きさのステンレスの板を持ってきた。
「これによると色んな大きさで六角形なんですね」
「高さは五センチぐらいでお願いします」
「了解です」
留基は歯の抜けた口角を上げて笑ってみせた。
パンロンドでは
親方が鷲羽に優しく話しかけていた。
「太々しい様に見えてお前本当は自信ないのか?
「それ、本当はわかってるんじゃないのか?
そんな会話を工場の奥で見ていた藤岡は「性格矯正」と呟いた。
「鷲羽、俺はこれからもここにいてパンを作り続けるよ。
鷲羽はパンロンドについての誤解が解けた気がした。
ここはホルツともベークウェルとも違う。
ここにあるのはほのぼのとした温かい空気だ。
そしてそれの大元になるのはこの親方なんだ。
「おれ、親方みたいな人に初めて会いました」
もう一人尊敬できる人ができた。
鷲羽の心にこれまでにない何か、
ホルツに戻って出かける前に焼成した花籠の飾りパンの部品を、水飴でボンドの様にして付ける練習を始めた江川は、
「パン職人選抜選考会は業界最大の展示会場で行われる。
「えっ?園部君?大木シェフ、
「お前な、最終日にコンテストが控えてるんだからできっこないだろう?
「絶対ダメです。僕やれます!僕しか修造さんの助手はいません」
「無茶言うなよ、修造と練習して自分の分も最高の出来栄えにしなきゃいけないんだぞ!」
江川は懇願する様な真剣な目で大木を見た。
「僕その為にこれまで練習してきました」
江川の潤んだ目を見て大木は困った
「お前にはあきれるよ」
江川の奴こんな事言い出すとは思ってもいなかったな。
うーん、修造の勝利に重点を置いて、鷲羽と江川、
「どちらも出来るって言うんだな!お前が勝てなかった時は他の選手が世界大会に行く事になるんだぞ!」
「はい!僕やれます!みんなに迷惑をかけません。
「頑固な奴だな。勝手にしろ!」
大木は強めの言葉を残して事務所に行き、選考会の提出書類を出してきて修造の助手の欄の園部の名前を江川に書き換えた。
事務所から出て別室と工場の間に立ち「
おわり
Prepared for the rose(薔薇の覚悟)
江川は修造との勝利の為に薔薇の飾りパンに誓いを立てました。
必ずやり遂げると。