パン職人の修造 第4部 緑と大地に囲まれたパン屋
山々に囲まれた修造の実家はもう誰も住んでいない。
修造と律子は以前からの計画通りに実家でパン屋をする為に山の上に移り住んで来た。
「これからここで暮らすんだよ」
「キャンプみたい!」
子供たちは生まれて初めての大自然に驚いた。
修造の実家は山の1番上にあり、家の前からは広大な大地が一望できた。
夕方は空が真っ赤になり全てが赤く染まる。
夜になると辺りは暗く、星が降らんばかりに煌めいている。
天の川を子供達は珍しがった。
「そう言えば子供の頃はあって当たり前だったので、何も考えず星の名前も気にもして無くて、北斗七星ぐらいしか知らなかったな」律子と2人で笑い合ってテラスの椅子に座り「あれはオリオン座、あれが夏の大三角」と律子に教わった。
「私達昔ここでパン屋をやるって言ってたの覚えてる?」
「覚えてたよ」
実際には覚えてるどころか、ドイツにいた時はその思いに駆られて、いつか律子と2人でパン屋を作り、静かに暮らす事を夢に見ていた。
ここでずっとパンを焼いて、律子と子供達と暮らそう。
まず家の補修から始まり、店は入り口の土間に小さなショーケース、奥に2段窯を置き、動きやすいパン工房を作った。
工房の外には屋根付きのベランダを設け、石と煉瓦で薪窯を手作りした。
店の名前はBäckerei Grüne Erdeベッカライグーネエアデと名付けた。緑の大地と言う意味合いだ。
山の上の辺鄙な立地にも関わらず、開店当初はニュースになり車の大行列ができた。修造は持ち前の頑丈な身体でパンを作りづけたが、14時頃にはすっからかんになり、また次の日の1時に起き出してなるべく沢山のパンを揃えた。
山を降りた所の小麦農家と知り合いになり粉を卸して貰ってるうちに、麦ふみや収穫を手伝う様になり、地元の小麦や農産物について色々教えて貰った。
さわさわと音をたてて風にしなる小麦の穂。
緑の小麦畑はやがて黄褐色になり、穂には沢山の実が付き収穫の時期を迎える。
湧水を使い、塩は海側のソルトファーム、野菜は近所の農家のおばさんから買う。農場で作ったチーズやバターもある。
修造の作るパンは地元の味そのものだった。
「地産地消」
修造はまたパンの世界の扉を開けた。
石臼で挽いた小麦を使った生地を低温でじっくりと寝かせ、旨みを引き出す。薪を焚いてしっかりと温度を上げパンを焼く。焼けたパンの裏側を指で叩いて高い音がすると焼けている合図だ。窯から出す瞬間に小麦の香りに包まれると、いつもエーベルトの顔が浮かんだ。
裏庭の栗を甘く煮て、秋ごろから漬けこんだフルーツをたっぷり使ったシュトレンは評判になり、また更に遠くから車に乗ってお客さんが来てくれた。
休みの日は緑と大地を師範のところに連れて行き、道場の子供達に空手を教えた。
師範は修造に嬉しそうに言った「大地はお前の子供の頃そっくりだ。動きが似てるよ。瞬発力がある」
大地はメキメキ空手が上達していった。「楽しみだなあ」
毎日が充実した素晴らしい日々だった。
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夜は2人でソファに横になり、律子と音楽を聴いた。
「修造」
律子は用もないのに修造の瞳を覗き込み音痴な修造にドイツ語の歌を歌わせてからかうように笑った。
修造の生活はまさに人生の収穫の時期そのものだった。
「修造さんお久しぶりです」ある日パン好きのカリスマ小井沼がやって来た。
「久しぶりですね小井沼さん」
修造は聞けばなんでも答えてくれる博識な小井沼に心を開いていた。
取材に来た小井沼にドイツ時代の心の師匠エーベルトが与えた今のパン作りへの影響について説明した。
「これからもこの生活を維持していきたい」
小井沼はこれが充実した男の生きざまだと思った。
「Grüne Erdeは本当に素晴らしいパン屋さんだと思いますよ」
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律子が「猪を見た人がいるそうよ」とおびえて言った。噂は聞いた事はあるけど1度も見たことは無い。
さすがに猪と戦っても勝てないだろうな。「念の為に気を付けてね。何かあったら家から出ないで」
ある日
修造は大地を連れて薪用の枝を落としていた。
大地は地面に落ちた木の実を拾っていた。
枝を集めてふと後ろを振り返ると、大地の20メートルほど後ろに巨大な猪がいた。
「うわ」
「走って来る」
「やばい」
大地に駆け寄り左手で大地の襟首を掴んで持ち上げ、右手で鉈(なた)を真っ直ぐ走ってくる猪の眉間目掛けて当てた。
鉈は急所にヒットして猪はドオオーーン! と音を立てて倒れた。
修造は生まれてから1番恐怖を感じた。
「大地大丈夫? 怖かったね」震える手で大地を抱きしめた。
猪をどうにかしないといけない。修造は地元の猟友会に電話した。引き取りに来てもらい、猪はトラックで運ばれて行った。
修造はしばらく腕の痛みに悩まされた。「俺も若くないな」
「見て! パン屋の修造が猪を鉈で一撃にしたって地元の新聞に載ってるわ!」
「恥ずかしいよ。こんな事で新聞に載るなんて。。」
程なくして猪の片足が修造の所に運ばれて来た。ジビエ料理はやった事がないが、修造はシュバイネハクセに挑戦することにした。
猪の足を塩水に漬けこんで血抜きをした後、ハーブや香辛料、香味野菜と煮込み、冷ましたら玉ねぎをひいた天板にのせ薪窯で焼いた。
当たりは猪の油の甘いような、香ばしい香りが立ち込めた。それをカットしてジャガイモやハーブを添えて近所のおばさん達に振る舞った。
「子供のころは挨拶しても返事もしなかった修造ちゃんが最近は明るくなってきたね。きっと奥さんがしっかりしてるんだよ。いい奥さんをもらったね」
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充実した生活が何年か続いたが、律子はよく腰を摩るようになった。
脊柱管狭窄症と診断された。
徐々に足のしびれもひどくなってきた。
律子は以前から足の裏に綿を踏んだような感覚があったらしいが気にもしていなかった。家の周りは坂だらけなのでそれが良くなかったのかも知れない。
手術は成功したものの、その後腸腰筋膿瘍を併発して具合が悪くなる一方になり塞ぎがちになった。
お客さんの出入りも落ち着いてきたので修造は律子を看病しながらパンを焼いてお店に並べた。近所の人達がパンに困らないように作ったパンの無人販売所というわけだ。お金の代わりに野菜が沢山置かれている時もある。
律子が移動する時は修造が真綿を運ぶようにそっとお姫様抱っこをするので緑に冷やかされた。
店の前の眺めが良い所に柔らかなクッションの椅子を置き座らせた。
「痛い?」徐々に食欲がなくなる律子を心配して色々なものを勧めた。
痛みと衰弱で何度か入院した律子を心配しながらも、
「俺は行きたい学校があるんだ」と言って大地は空手の強い中学の寮に入った。
「お母さん」
「なあに緑」
「大地が遠くに行ってしまったから言いにくいんだけど、私、江川さんの所でパンの修行がしたいの。お父さんがLeben und Brotで作ってたパンを私も見てたわ。だからそれを引き継いだ江川さんのパンが作りたいの」
「緑、私の事は気にしないであなたはやりたい事をやりなさい。お母さんはお父さんを独り占めするわね」
「お母さん、、私頑張るね」
緑は江川の店Leben und Brotに行くことになった。
緑からのメールによると、江川は実力派のシェフとして名を馳せていてLeben und Brotは繁盛していた様だ。
修造も子供達にメールでお母さんの様子をたまに知らせた。
律子はお医者さんから内臓の機能不全と言われていたが入院を嫌がった。
修造はある時とうとうお医者さんから「奥さんの最後を迎えるなら病院にするか家にするか」と聞かれた。
帰り道
車の中で何かあったら救急車は中々来れない山の中で、人工呼吸しながら車を運転して病院に行くのは無理だ。帰りの車で入院の支度をしなくてはと考えていた。
「修造、もういいの、修造と山の上で一緒にいる」
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律子はお店の前の椅子に座らせてもらい「空手の形を見せて」と言った。
修造は道着に着替え律子の好きな形をしてみせた。
夕焼けに赤く染まり、ゆっくりと両手を広げて形を始めた修造。
最後を迎えた律子の瞳に修造が真っ赤に映っている。律子ははいつのまにか目をつぶって動かなくなった。
「律子」
修造は律子を膝に乗せて抱き、「ごめんね」と言った。今まで苦労しかかけてこなかった。
修造は空手着のまま律子を抱いて離さなかった。徐々に冷たくなった律子がこのまま夜の暗闇に消えてしまいそうだったからだ。
当たりは暗くなり時々揺れる風の音以外は何も無くなった。
「律子」
翌朝訪ねてきた近所のおばさんが、空手着のまま座って律子を抱いてる修造を見てすぐ師範に連絡した。
「修造!しっかりしろ、お前が律子さんを弔ってやらなきゃ誰がやるんだ!」
師範は無理に修造を動かした。
修造は何もする気が起きない日が何ヶ月も続いた。
パンも焼かず店の前に置いたソファに黙ったまま座っている日が多く、緑と大地が心配してちょくちょく訪れ「街へ戻ってまた前のようにパンを焼きなよ」と言ったが「律子のお墓を守らなきゃ」としか言わなかった。
実際自然の中のお墓はほっておくと蜘蛛の巣がはり、そこに木の葉が引っかかってたちまち自然と同化した感じになってしまうからだった。
緑はLeben und Brotに戻り江川に相談した。
江川は世界大会の時の燃えるような動きの修造を思い出し、そんな修造は「信じられない」と鞄を持って新幹線に飛び乗った。
レンタカーで何時間もかかってやっと辿り着くと、話に聞いた様に本当に店の前の椅子に座っていた。
江川が知っている修造とは変わり果てた姿だった。
修造さん、僕の人生は修造さんに貰ったようなものなんですよ。僕がなんとか元の修造さんに戻さないと!
「修造さん」
修造はもうちらっとも江川を見ない。他の世界に行ってしまった様に。
「修造さん、、お気持ちはわかりますが元気出して下さいよ。。」
「僕と2人で世界大会を目指してた時の修造さんを思い出して下さい。メラメラに燃えてたじゃないですか。まだ若くて体力もあるんですがら、店に戻ってきて若いものにパン作りを教えて下さい。何のためにドイツに行ってパンの修行してきたんですか? 宝の持ち腐れじゃないですか」
江川は修造を必死で励ました。
Leben und Brotにもう一度戻る?考えた事も無かった。
ちらっとそう考えたが返事もしない。
江川は「また迎えに来ますからね」と言って自分の店に戻っていった。
それでも全然動こうとしない修造。自分の心から全てのものが抜け落ちた気持ちだった。
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修造はある時ドイツ時代に流行っていた曲を思い出し音痴ながら口ずさんでみた。
すると
それにハモって一緒に歌を歌う人影が現れた。ドイツ語で? 修造が振り向くと、知らない女の人が立っていた。
なんだか仕事が出来そうなパリッとしたベージュのスーツを着ている。
「どちらさんですか?」
すると女の人は「え〜?」信じられない! と言う風に修造の肩をバシッと叩いた。
「無理もないわね! もう何年も経ったから。私! 麻弥よ!」
「麻弥?」
「そうよ! ドイツで一緒のお店で修行してたじゃない」
修造は突然の事すぎてしばらく麻弥が思い出せなかったが、ドイツのクリスマスマーケットで交際を断った女の子だと思い出した。
「あの、、その節は」
「何言ってるの!もう全然気にしてないわよ」麻弥はハキハキと話しかけてきた。
麻弥はドイツのお菓子マイスターの資格を取り、何年か働いた後日本に帰ってきて、テレビで修造を見た時はとても驚いたのだと言う。
その後SNSで修造の事を調べたり、新しいお店の情報もパン好きの人達の発信を見てずっと追っていたらしい。
「私ドイツ菓子のお店を開いたの。今から一緒に行かない? Leben und Brotからすぐ近くよ」
今から一緒にと言うのは辞退したが、江川や緑の事が気になり、一度Leben und Brotに寄る事にした。その時にお店に行く約束をして、割としつこい麻弥を帰らせた。
おわり
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
修造が作った山の上のパン屋さんはある意味理想の生き方ではないでしょうか。雄大な景色を眺めながら薪窯でパンを焼き、地元の人たちと触れ合い、地産地消を心がける。憧れのテーマであります。
修造は最愛の妻律子を亡くし、失意の中にいます。これから修造はどうなるのでしょうか。
今回のテーマの中に「父ちゃん母ちゃんの店」という事が隠れているのですが、これは夫婦2人で営むお店の事で、若い時は勢いがあり2人で商売を続けていられるのですが、やがてどちらかが病気になったり、お亡くなりになると残された方は失意のうちにお店を畳んだりする事もあります。人手不足、後継者不足も要因の一つです。
もし近所に父ちゃん母ちゃんの店があったら応援してあげて下さい。