2011年07月13日(水)

被災地からの手紙

こんにちは。今日はツイッターを介して起こった出来事を是非お話させて下さい。

まずは初めからお話します。

出会い

ツイッターは色々な出会いやドラマがあるところだと常々考えておりました。お顔も知りませんが沢山仲良しさんが出来ました。

しょんぼりしてる時には励ましてくれたり、病気の時には心配もしてくれます(ありがとうね)。
フォローしフォローされ、その中で色んな事を教えて貰いました。

その中にパンラボというパン研究所があります。
パンの愛好家の方や、カメラマン、ライター、編集者の方がパンに関する記事を書いたり、ブログを書いたり、パンの4コマ漫画を描いたり(おもしろいよ)しています。

その中にライターの池田さんという方がおられます。
東京の美味しいパン屋さん200件をめぐってブログを書いてらっしゃる方で、私はその方のあるブログを読んで本当に涙が止まりませんでした。

震災後、被災地への支援をする為に東京の有名なパン屋さんに声を掛け、沢山のパン屋さんの協力を得て、みんなの作ったパンを車に満載して避難所に届けられたのです。

文章の端々に池田さんの被災地への思い、パンを通じての人間模様、そして他でもないパンへの思いが伝わってきました。

池田さんの書かれた関連記事

第1回 4月27日 被災地にパンを届ける http://panlabo.jugem.jp/?day=20110427
第2回 5月28日 ぱんを届ける 陸前高田編 http://panlabo.jugem.jp/?day=20110604
第2回続編 南相馬編 http://panlabo.jugem.jp/?day=20110610
(これが一番ジンときました、パルティールの事、村上さんの事)
第3回 6月25日 パンを届ける http://panlabo.jugem.jp/?day=20110629

被災地へ赴いた時の様子が書いてあります。是非読んでみてください。

人を突き動かすものとは何か

池田さんの書かれた文の中にこんな一節があります。

「パンを受け取るとき、パンを食べたときの笑顔が、私たちにとってのなによりの報酬だった。
避難者おひとりの幸福は、パンを届けた私たちの幸福になったのである。
パンを仲立ちとすることによって。
そしておそらくは、食べられたパン自身にとっても幸福なできごとであったにちがいない。」

第2回のブログを読み、池田さんの勇気と熱意と行動力がみんなを動かした、その時の私の感動した気持ちをすぐさま池田さんに伝え、グロワールからも少なからず協力させて頂ける事になりました。

私達はパン屋です、日々パンに携わり パンを食べて喜んで頂くことが1番の喜びです。
パンを通じて、被災地の方に何か伝えたい、何か出来ることは無いだろうか?
その思いは第1回目の頃の池田さんも パンを送った時の私もきっと同じ思いだったと勝手に思っています。

信頼

1度も面識はありませんが、何度かツイッター上やお電話でも打ち合わせがあり、ではいつ頃何人分と話は進んで行き、私達の力量にみあった人数での避難所を探してくれました。
(これがグロワールにとって素晴らしい出会いとなったのです。)

池田さんは会ったことのないこの大阪のパン屋のオバちゃんを信用してくださり、こちらがパンが間に合わないとか送れなければ、現場で待っていてくれる方にご迷惑が掛かるのに、「ではお願いします」と言って下さいました。

緊張しました!でもやらなければ。自分の気持ちを届けたい。パンを届けたい。
そしてこの知らない人に物を頼む「信頼」に答えたい。

パンを届ける

さて、グロワールは大阪の少し北の方にあります。
関東と違って直接届けるのは無理です。
宅急便に何度も訪ねましたが、まだ震災後航空便が岩手まで出ていないので、いくら頑張っても次の日の6時以降になり、それもはっきりとは言えないのお返事が返ってくるばかり。
無理も言えずしかし、遅くなると待っていて頂くのもお気の毒。
もう後は祈るばかりでした。

ツイッターにそのことを呟くと、何人もの人が励ましてくれました(みんなありがとうね)。
そしてグロワールの人達に実はこのお話は。。。と説明をした時 、皆が驚いたようなそして嬉しそうな顔で 心よく協力してくれたのです。
そしてもちろん店長大活躍でした。

池田さんからの電話

私達がパンを送ったのは陸前高田の自然休養村の避難所でした。
皆さんも多分ニュースで何度もご覧になったことのある地域です。

6月25日19時過ぎ、池田さんが避難所を出られてからお電話下さいました。
その声はなんだか不思議なものを見た時のような感慨深いもののように私には思えました。

その日は避難所の最後の日で、みな仮設住宅や行くところが決まって、自治会でパーティーを開いてくれている「励ます会」の始まりとともに、グロワールのパンが到着して、パーティーに華を添えることが出来たのだそうです。

なんという嬉しい偶然だったのでしょう!

詳しくは、池田さんのブログの被災地にパンを届ける「 第3回 http://t.co/hARwrGc 被災された方の多くは避難所から仮設住宅に移り自立への一歩を踏み出しています。」の後半にも書かれています。

宅急便ありがとう宅急便グッジョブ!!これが7時でも8時でもだめだったのです。6時ちょうどというところがニクイ!いい仕事してますね。

このことを書いたブログを印刷して、池田さんがグロワールに送ってくれたのでみんなで読みました。

2通の手紙

先日避難所の方からお礼のお手紙を送って頂きました。

胸がつまって涙が溢れるような内容のお手紙で、許可を頂き(このときも池田さんにお世話になりました)、お手紙の内容をここに書かせて頂きます。

菊池さんのお手紙

拝啓

厳しい暑さが続いておりますが、皆様におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

東日本大震災後、国内外の大勢の皆様に 物心両面に亘るご支援を賜り、心より厚く御礼申し上げます。

被災した我々の故郷も序々にガレキの撤去も進み、少数ですが仮店舗等も建設され、市内での買い物も以前よりはできるようになりました。

それでも未だ六百余名の行方不明者の方々がご家族の下へ帰っておらず、悲しみも苦しみも消えることなく、かける言葉を失ってしまいます。

私達の避難所でも津波の犠牲になられたご家族や流出してしまった家屋等の事を考えると、希望もなく暗くなることばかりでしたが、日に日に生かされた私達が一生懸命生きなければと、支えあい励ましあって避難所での共同生活を3ヶ月余り過ごしました。

お蔭様で仮設住宅への入居も決まって、避難所を閉鎖するにあたり、大阪のパン屋さんからのご支援に甘えさせていただき、パンパーティーを計画しましたところ、お世話になっている和野自治会の方々も一緒に「元気づける会」を、ということになりました。

いよいよ当日の夕方、いくつものダンボー箱が届きまして、開けてびっくり、「わあっ!すごい!」皆にこにこ顔、早速会場の皆さんにご紹介いたしました。

会場から突然「あ!手紙が入っている!」異口同音に「パーティーにぴったり!美味しいね。色んな味が楽しめて、ぬくもりのあるお手紙が入っていて、ありがたいことだね。嬉しいね。」等々。

すてきなパッケージに色々いっぱいのパン。感謝と満足の笑顔は、ご縁をくださいましたパンラボの池田様がご紹介して下さった通りでございます。

優しいお心使いとおいしいパンで更にいっぱいの元気を頂戴し、今後復興への道を共に歩むということで、今は元気で仮設住宅で過ごしております。

お痛みをおかけしました。ごちそうさまでした。ありがとうございました。

末筆ながら、皆様のご健康とパン屋のグロワール様の今後ますますのご繁栄を心よりお祈り申し上げます。

被災避難者一同

以上は菊池さんからのお手紙です。
頂いたお手紙をネットに載せるのは抵抗もありますし、パンも持ち上げて下さっていることが端々に感じられありがたくそして本当に申し訳ないのですが、ご自身も被災されているのに前向きで明るくお優しい文章をぜひとも皆さんに知らせたかったのです。

そしてもうお一人

鈴木さんからのお手紙

先日は、遠いところから、わざわざおいしいパンを届けていただきありがとうございました。
今回の津波により、人の優しさ、暖かさを感じ、家も車も失ったけど、幸せを感じ涙が止まりません。

今までも世界で色々な出来事をテレビ、新聞で見てきても、大変だなと思い多少の募金はしても、今回のように自ら出向いて応援できなかったことを反省し申し訳なく思いました。

私は今、夫(56才)と実母(83才)と私(52才)と三人暮らしです。

避難所である公園に避難し、部落の人達と余震におびえ、寒さで車の中で暖まっていました。
あまりに余震が恐いので、たまたま車の外に出た所、白い煙のようなものが見え、誰かの「来た来た」と言う声で足の不自由な母の手を取り、脇の少しなだらかな畑を歩き、脇を見ると、海と波と家の屋根が流れて行くのを見ながら、「ばあちゃん、早く早く、死ぬぞ」を繰り返しながら、必死でひっぱり歩きました。

後ろを振り返ると 我が家も流れ、もう何が何だか、まずは少しでも上に向かって歩こうと。。。

電柱がビリビリと倒れる音が高く恐かった。
息を切らし隣を見ると、母親と祖母が流され、涙を流している高校生が。
旦那さんと一緒に家を出たのに来なかったという、靴下がびしょぬれのおばあさんも。
さっきまで一緒だった人の姿が何人かいない(未だに見つかっていない)。

色々な事があって、まだ仮設も当たらず、親戚のところにいます。
今の夢は、仮設に入って大の字になって横になること。好きなものを使って料理を作ること。
第2の夢は新しい家を建てる事、今は余り時間が無いのです。

母はもう83才。
毎日腰が痛いのに洗濯したり草むしりしたりと気を使っています。
足を引きずりながらも畑で野菜を作る事、はぎれでかばんやスカートなど裁縫をする事が大好きなので、流された家の周りで足踏みミシンを見つけて喜んだものの やっぱり塩水をかぶるとだめですね。。。

これから家を建てたら新しいミシンを買ってあげるからねと話すと 嬉しそうに笑います。

今まで外出を嫌がってましたがもうじき神奈川の小田原に住んでる娘が遊びに来てというので、車椅子を手配して2人で行こうと思っています。

本当なら娘は里帰り出産で3月19日に帰ってくるはずだったのですが、地震が来て神奈川の方で1人で生んだようです。

それでは元気をありがとう。

なんという胸が締め付けられるお手紙でしょう(都合により一部割愛させて頂いていますが)。
恐ろしい津波から逃れる体験 そして生活のご苦労 親孝行な鈴木さんの苦しみは計り知れません

お二人とお電話でお話させて頂きました、菊池さんはお声も若々しく活発な感じのする方で、津波の時は、家の前からは普段宮城県が見えるけれども、波が高すぎてその景色が遮られるほどだったそうです。

お家は小高いところにあり、80㌢ほど浸水されましたが、周りにご家族を亡くされた方や行方不明の方、お家を流された方が沢山おられて、辛い毎日を過ごされたそうです。
行方不明の方もまだ同じ地域だけでも600人もおられ、避難所でも皆 生きなくちゃと明るく笑うけど 一人になると皆黙りこくるそうです

お心のうちは計り知れません。

菊池さんの地区では326世帯で800人余りの方がおられ 米崎町はりんご果樹園が多く、ふれあいりんご祭が行われていたそうです。
今の所は集まる場所もないそうですが、どうか今年の秋口には皆が集まって、お祭りが出来るほど復興しますように心よりお祈り申しあげます。

鈴木さんは電話の向こうでお元気なお声を聞かせて下さいました。

丁度お手紙の通り、神奈川の小田原城にお母さんや娘さんといらっしゃって、お孫さんも無事元気に育って 新幹線でも乗り継ぎの時、駅員さんが親切にしてくださったと喜んでおられ、更に嬉しいことに「今役所に電話して聞いたら、丁度仮設住宅が当選した!」とお話下さいました。

私もお手紙で、「足を伸ばして昼寝したい」「好きな料理を作りたい」とありましたので、もちろん入居後も問題は色々あるでしょうがまずは喜ばしい事ととらえ、おめでとうございますと一緒に喜びの時間を貰いました。本当に良かったです。

お手紙もグロワールのみんなで読みました。涙が止まりませんでした。みんなもうるうるしていました。
店長もありがとう(彼はいつも協力してくれて、一番頑張ってくれるのです)。

最後にこの素敵な出会いを下さった池田さんに感謝したいと存じます。

さて池田さんのお気持ちとしては、これを機会に東北と離れた地域のパン屋さんにも協力してもらい、パンをもっと被災地に送れたら、ということです。
もしこのブログを読んで自分も協力するよというパン屋さんがおられたら、どうかパンラボの池田さんのほうにご連絡お願いします。

http://panlabo.jugem.jp/?cid=1(パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。【D】)

最後まで読んで下さってありがとうございました。

ちかブータン


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