2014年11月30日(日)

希望のりんごについて

こんにちは

希望のりんご

グロワールのラインでよくこの言葉を聞かれたことが

あると思います。

今日は詳しくお話と説明をさせて下さい。

故郷復興りんご

 

希望のりんご代表で、パンラボの池田さんはパン研究家でライターさんです。

東京のパン屋を200件巡り、全国のパン屋にも精通している方です。

 

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まず初めに

2011.3.11に東北を津波が襲い、
沿岸部はことごとく被害にあいました。
東京で池田浩明さんはそれをテレビで見ていて、物資が何もないところが沢山あるのを知り、とりあえず知り合いのパン屋さんに頼んでパンをありったけのパンをかき集め、ボヌールの箕輪シェフと東北に向かい、避難所を紹介してもらっては周り、誰も援助がこない避難所にも行ってパンを渡したりして、各地を周り
最終的に陸前高田の米崎町にある堂の前避難所の方々と知り合いになり、そこで支援をする事になりました。
そこの避難所の代表者は、リンゴ農家の和野下果樹園の金野秀一さん、米崎女性会の菊池清子さんです、
そのお2人と話を通して米崎小の避難所に(のちに仮設住宅に)パンを届けたり、実際に東京の有名店のパン屋さんのシェフに現地に行って貰ってパンを作っては食べて頂いたりしていました。

パンラボブログ パンを届ける はこちら

*陸前高田の津波の被害状況について

  • 人口23,300人(H22国勢調査)
  • 浸水範囲内人口16,640人 *1
  • 死者1,555人 (H24年7月18日時点)*2
  • 行方不明者225人 (同上)*2
  • 家屋全壊+半壊3,341棟 (同上)*2
  • 犠牲者率(%)=死者行方不明者数/浸水範囲内人口×100=10.7


金野さんのおたくは坂の上にあり、陸前高田の海がよく見えます。
陸前高田の被害はそれはそれは広範囲で亡くなった方と行方不明の方で合わせて1700人以上もいらっしゃいました。

津波が押し寄せ、自分の育った町、知り合いや親戚、友達がなくなり、もう2度と立ち直れないと思ったそうです。

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池田さんは陸前高田を何度か訪れた時、
悲惨な現場でリンゴ農家の可愛らしいリンゴの花が生き生きと咲き、実っていくのを見て町を救うのはこれだと思ったそうです。そして希望のりんごと名前をつけました。
実際陸前高田は元々温暖で過ごしやすくリンゴの育成に向いていて、
内地よりも美味しいリンゴができるのでリンゴ農家が沢山あり、アップルロード(岩手県陸前高田市にある、岩手県道38号大船渡広田陸前高田線主要地方道)の同市米田町から広田町まで4.2kmのバイパス区間の愛称。)というおしゃれな名前の道もあるぐらいなのです。

 

 

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池田さんはパン屋さんたちと何度か訪れていくうちに、他の支援団体と知り合いになったり仲間が増えて、他にもリンゴを支援する人がいて、何人かで希望のりんごというグループを作りました。

池田さんが書いた希望のりんごからのメッセージは

「十年後、りんごの木の下で会いましょう。

陸前高田の人たちとの、心のつながりを確かなものにするため、私たちは十年スパンで、復興を見守っていこうとしています。
この春、植樹するりんごの木が成木となる七年後は、震災十周年。
その節目に向け、りんごの実があふれるばかりになる陸前高田市米崎町を作りたいと思っています。」

 

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りんごの日
というのがあるのですが、これは池田さんの知り合いのパン屋さんが参加して米崎りんごを使い、りんごのパンを焼いてその日に販売するというものです。

2016年1月(17.18日予定)りんごの日が行われる予定です。

 

希望のりんごを使ったりんごの果汁だけのジュースと米崎りんごのジャムも販売されます。

米崎りんごの注文は希望のりんごの通信販売、

おでんせ商店街にてフォームから注文する事になります。

まだ作成中なので程なくしてアップされると思います。

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上の写真はりんごジュース点「ともる」です。

 

興味のある方は1月初め頃パンラボブログや希望のりんごのページをチェックしてみて下さい。

 

 

 

 


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